風なき闘い -なぜ民主党候補ヒラリー・クリントンは敗れたのか-

 アメリカ大統領選挙は、共和党の候補ドナルド・トランプ氏の勝利に終わった。1年間の激しい選挙戦を終えて、想定外と思われるトランプ氏の勝利に様々な憶測が飛んでいます。

 センセーショナルな気持ちを抑えて、我々は原因を分析しなければなりません。なぜ、民主党のヒラリー・クリントン候補は敗れたのか、と。

平戸藩主・松浦清(松浦静山)はこう言いました。

「予曰く。勝に不思議の勝あり。負に不思議の負なし。問、如何なれば不思議の勝と云う。曰く、遵レ道守レ術ときは其心必不レ勇と雖ども得レ勝。是心を顧るときは則不思議とす。故に曰ふ。又問、如何なれば不思議の負なしと云ふ。曰、背レ道違レ術、然るときは其負無レ疑、故に云爾客乃伏す。

http://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/pg502.html

 松浦静山の言葉を借りるなら道を背き、術を違えたのはどこであるのか、きちんと分析しなければ、希望のある未来にはたどり着きません。

 現時点での分析の結果ではあるけれども、過度に絶望したり失望したりする必要はまったくないことがわかりました。少なくともカナダに逃げ出す必要なんてどこにもありません。

 勇敢なヒラリー候補がスピーチで引いた聖書の一節その通り、あきらめず前進するほかないでしょう。

わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。

ガラテヤ人への手紙 6:9


勝負を決めた場所

 アメリカ大統領選挙は、州ごとに割り振られた選挙人を総取りする制度です。得票では、ヒラリー・クリントンがドナルド・トランプに勝ったとしても州単位で負けてしまえば、その分の選挙人は獲得できません(メイン州を除く)。

 アメリカは二大政党制で、民主党が強い州と共和党が強い州があります。政党の色を使って民主党が強い州を「ブルー・ステイト」(青い州)、共和党が強い州を「レッド・ステイト」(赤い州)と呼びます。青い州は、西海岸と、北西部の工業地帯。赤い州は、中部・南部の農業地帯。

今回の投票結果は以下の地図のようになるのですが、候補者の個性に左右されず、基本的にはこれまでの民主党 vs 共和党の選挙戦と変わらないように見えます。唯一大きく違うかなと思うところ、そして、勝負を決した場所であるのは、ウィスコンシン・ミシガン・オハイオ・ペンシルバニアといった北東部の五大湖の周りの工業地帯だけです。

 この工業地帯の投票傾向で、この選挙結果が決まってしまったといっても過言ではないと思います。これらの州で64人もの選挙人を獲得できなかったからです。裏返しで言うならば、この州の敗因を分析すれば、なぜヒラリー・クリントンと民主党が敗れたのか明らかになると思います。

 

吹かなかった風

 今回の選挙報道では、トランプ旋風によってこれまで共和党の候補者が得票を獲得できなかった層から支持を得ていると言われていました。北西部では実際どうだったのでしょうか?

(得票数はwikipediaより。1992・1996は第3の候補がいたため、得票数が低迷した。)

過去20年近くの両党の候補の獲得票数を見る限り、著しくドナルド・トランプ氏が得票を伸ばしているとはいえないでしょう。民主党の代表の座を予備選挙で争ったバーニー・サンダース氏とドナルド・トランプ氏も支持基盤が近いという話もありましたが、ドナルド・トランプ氏の伸び悩みを見ると、流れたサンダース支持者はごくわずかと見ていいでしょう。

 そういう意味では、ドナルド・トランプ氏の選挙戦はうまく言っているとは言えなかったものの、何らかの理由で対抗馬ヒラリー・クリントンが低迷したため、棚ぼた的に勝ってしまった。当選が決まった時に冴えない顔をしていたという話を聞いたことがありますが、彼としても勝った実感がなかったのではないでしょうか。

 出口調査でも、ドナルド・トランプ氏が民主党支持者を取り込めなかったことも明らかになっています。

CNNのペンシルバニアでの出口調査(他の州でも結果は同じなので省略)http://edition.cnn.com/election/results/states/pennsylvania

 繰り返しますが、ドナルド・トランプ氏が勝ったのではない、少なくとも共和党候補として以外の魅力を持っていたわけではない、ただ、ヒラリー・クリントン氏と民主党が敗れ去っただけです。なぜ、ヒラリー・クリントンと民主党が敗れたのか掘り下げていかなければなりません。


オヤジ達が「棄権」を決めた理由~NAFTAもしくは民主党の裏切りの歴史~

 合衆国の北西部は、民主党が強い地域として知られていました。なぜ強いのかというと、工場地帯で多くの労働者がおり、労働組合の組織率が比較的に高く、組合を通して多くの労働者が民主党を支持していたからです。現在、労働組合の組織率が低下しており、若い人が労働組合に入ってこないため、組合の中で高齢化が進んでいるといいます。

 ここからは完全な仮説ではありますが、彼ら、中高年の組織化された労働者が、投票をボイコットしたため、ヒラリー・クリントン氏が思うように票を得ることができなかったことが敗因ではないか、と考えています。

 世代別の得票率を見ると、若い世代ではヒラリー・クリントン氏が支持を得ているのに対し、中高年層ではドナルド・トランプ氏が高いのがわかります。

 ドナルド・トランプ氏の得票が過去の共和党候補と比べて伸びていないことを考えると、中高年の工場労働者達がドナルド・トランプに投票したのではなく「棄権」したのではないでしょうか。その結果、中高年では共和党支持者が多くなり、この割合になったと言えると思います。

 話はそれますが、民主党の予備選挙では、バーニー・サンダース氏が若い世代の支持を集めました。若い世代においてはヒラリー・クリントン氏の支持者が多いことを考えると、バーニー・サンダース氏のヒラリー・クリントン候補への投票の呼びかけはかなり功を奏したことがわかります。

 話を戻します。なぜ、中高年の工場労働者がヒラリー・クリントン氏に投票しなかったのか。それは、オバマ政権までの民主党の積み重ねた裏切りの歴史があるからだと考えられます。

 アメリカの労働組合は、保護貿易を求めてきました。もし関税がなくなれば人件費の安い他の国に工場が移転しそこからものを輸入することになります。その結果、アメリカの労働者達は失業してしまうからです。民主党の議員や大統領候補もこのことをよく知っていて、選挙のたびに約束してきました。

 ビル・クリントンは、北米自由貿易協定(NAFTA)を締結しないことを公約に掲げて大統領になりました。しかし、彼は当選後、公約を撤回してNAFTAを締結します。

 バラク・オバマは、NAFTA再交渉および撤退をほのめかして大統領になります。しかし、当選後そのような動きを見せず、むしろTPPを推進しました。

 ヒラリー・クリントンは、労組中央の要請を受け、TPP反対・NAFTA再交渉を主張しました。しかし、誰が信じるというのでしょう。繰り返された裏切りの歴史を、若い学生や労組中央の幹部と違って現場のベテラン達はよく知っていました。彼らは思ったでしょう。もうだまされないぞ、一度、公約違反による痛みを味わうべきだと。

 冒頭の松浦静山の言葉「背レ道違レ術」とはこの公約違反のことであって、その結果、ヒラリー・クリントン氏の後ろに吹く風は止まり、凪の中、苦しい闘いをしなければならなくなりました。

 在米の日本人がtwitterで「私の周りは民主党支持者ばかり」とか「私の周りは共和党支持者ばかり」ということをつぶやいています。しかしながら、うちの組合はいつも民主党支持で熱いけれど、今回はやる気なかったという声は聞かれないでしょう。なぜなら、日本語ができる人がそこにほとんどいないからです。

 何人かの日本人が海を渡って取材に赴いているそうですが、彼らが行くべきはミシガンの工場の組合事務所ではなかろうか、と思います。


「新しい社会運動」と既存の運動の壁を乗り越える

 1960年代以降、マルクス主義的なイデオロギーに依拠しない社会運動を「新しい社会運動」と呼ぶ人がいます。例えば、環境運動であったり消費者運動であったり。特に最近では、情報通信技術を駆使した新しい取り組みも見られるようになりました。ウォール街を取り囲んだオキュパイ運動もそこに並べることができるでしょう。

 若い世代の民主党とヒラリー・クリントン氏への支持は、いわゆる「新しい社会運動」に導かれたものであっただろうと思います。投票行動を見ると既存の労働運動の世界と「新しい社会運動」の世界に大きな壁があるように思えました。バーニー・サンダース氏を支持した若い世代と労働組合のおじさん・おばさん達が目指しているものはほとんど同じにも関わらず。

 「国民」全体としてのニーズと「労働者」のニーズが相容れないときがあります。ベテラン労働社会学研究者の熊沢さんはこういう風におっしゃっています。

国民的多数の要求が特定労働者のグループを抑圧したり、職場労働者のグループが個人の労働者の切実なニーズを抑圧したりすることは、全体主義に通じる行為

http://ictj-report.joho.or.jp/1601-02/sp01.html

 数年前には、相模鉄道でストライキがありました。最近も相模鉄道が労働組合との間で結んだ労働協約を違反しようとし深刻な問題になっているということです。日本の「新しい社会運動」に関わる皆様は、個別の労働問題に対して関心を持っていますでしょうか。労働運動に関わっていなくとも、私達も労働者の一人です。

 こういうと「新しい社会運動」の側だけに求めすぎているようですが、労働組合の活動も変わっていく必要があるだろうと思います。相模鉄道のストライキの時に好意的なツイートは決して多くありませんでした。「新しい社会運動」に関わるような革新的な人たちにシンパシーを持ってもらえるように努めなければ、労働者の権利自身が否定される世の中になってしまいます。

 日本最大のナショナルセンターである連合も、組合員だけでなく日本の全労働者の権利擁護の為の活動に指針を切り替えつつあります。11/10にも加盟組合員だけでなく全労働者の権利擁護を目指した「クラシノソコアゲ応援団 東京アクション」がありました。しかし、これらの活動は加盟労働組合のみで執り行われていて、1000人以上の参加がありましたが、組織伝手でない参加者は私だけであったでしょう。twitterを見ても3人ほどしかつぶやいていませんでした。

 ともに考えともに活動することによって、壁を乗り越えてよりよい社会を作っていきましょう。

追記:組合と社会運動の分断って日本での先入観が入っているかもしれない、あっちではそんなに問題になっていないかもしれないです。

山崎憲「コミュニティ・オーガナイジングが労働組合運動を変える――組織が官僚化し弱体化するのを根底からひっくり返す」井上伸『editor』2016/5/31

http://editor.fem.jp/blog/?p=2159

<参考文献>

 西川賢「アメリカ大統領選挙UPDATE 1:労組票はどう動くか?」東京財団 2011/11/5 http://www.tkfd.or.jp/research/america/a00130

 木走まさみつ「TPPでネオリベに突然変異したオバマ大統領」『木走日記』2011/11/22 http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20111122/1321952460


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