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過去の記事を読み返す意味

皆さんも過去に自分が書いたもの、noteに投降した記事などを読み返してみることがあると思いますが、その時どのような思いを抱きますか。私の場合、大抵湧き上がってくる思いは、「恥ずかしい」です。その恥ずかしさから記事ごと削除してしまいたいと思うようなものもあれば、どこかしこ「これはおかしいな」と思う程度のものもあります。しかしどうであれ、私は自分が過去に書いたものはすべて残しておくことに決めています。それは、その時の自分が考えていたことや感じたことを読み返すことで、今の自分はどうなのかと問うためです。

もし過去の自分が書いたものに対し、陶酔したり、誇るような気持ちが湧いてきたりするようならば、それこそ最も恥ずべきことだと思います。その間自分は何をやってきたのかと。これでいいと思った時点で、私の人間的成長は止まり、あとは堕落するだけです。

「自分は正しい、自分は間違っていない」という慢心こそ、私が常に戦わねばならない最大の敵なのです。これは「自分自身を否定せよ」ということではなく、自我に固執している「己の実相をそのまま見つめよ」ということです。ここを外して物知り顔で何事かを語るなど、それこそ「大恥かき」もいいところです。

今のところ、過去の自分に対して「恥ずかしい」という思いが湧き上がってくることで、「よしよし、自分は大丈夫、昔の自分より成長しているぞ」と思う自分がいる。しかし実は、その思いこそが私の最大の慢心なのです。


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