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「終活」

慌ててブログを開いてくれたみなさん、安心してください、僕は生きてます。
まだまだ死ぬ予定はありません。

「終活」を調べると、自らの人生の終わりに向けた活動と出てきます。
簡単にいうと、遺言や財産相続、葬儀、お墓などの生前のうちに身の回りを整えていくことです。

何か新しいことを始めるのはあっさりできても、
意外と何かをやめるということが1番難しかったり、一筋縄でいかなかったり…

さて、今回タイトルの示す「終活」はサッカーの終活です。

大学サッカーを本気でやれるのもあと1週間ほどとなりました。

いつかの講演会で講師の方がおっしゃっていたように、サッカーにけじめをつける時が来たんじゃないかなと。

僕はサッカーはいつか終えなければ「いけない」と思っています。
この理由や、今の僕がどのような終わり方を目指しているのかについて書いていこうと思います。

この終わりの瞬間というのは必ず訪れます。
だから、どうか自分にはまだ先だと閉じないで欲しいな。
終わりを意識すると今この瞬間が変化するからです。

では、本編へ行きましょう!


1.僕がいつかサッカーをやめなければいけない理由①〜僕らは与えられたサッカーを消費しているに過ぎない〜


僕がサッカーをやめなければいけないと思っている理由、


それは、


いま僕が毎日しているサッカーは「与えられたもの」であると考えているから。


大学の部活動という位置づけで、

東京都大学サッカー連盟のもとで、

グラウンドを、ボールを、リーグ戦を、、、

今の環境は与えられている。


僕らは今その与えられた環境の中でサッカーをしているに過ぎない。

プレイヤーというのは末端に位置しているとも言えるかもしれない。


僕らがサッカーをしている姿に感動したり、勇気をもらっている人もいるだろ。

だから、僕らも与えている側にいるのじゃないのか?

とも考えました。


確かに一見自分が与えているように見えますが、

それは、サッカーを通して間接的に与えているものであって、

サッカー自体は与えられているものであることに変わりはありません。


僕は、人生を通してサッカーでも、サッカー以外でも

与えることのできる人になりたいです。


もうサッカーには本当に本当に十二分に恩恵を与えてもらえた。

そろそろ次のステップに進む必要があるのではないかなと考え始めました。

サッカーにそれを返していかないといけないと思うんです。

(詳しくは次章で)


だから、「与えられている今のサッカーから脱却すること」が1つ目の理由です。


2.僕がいつかサッカーをやめなければいけない理由②〜サッカーという言語を失った時どう生きていくか〜


2つ目の理由。


これまで、時間やお金など自分の持ちうるものを限りなくサッカーにつぎ込んできました。

逆の言い方をすれば、多くのものを捨ててきました。


でも、そのおかげもあってか、サッカーは僕らの共通言語として

多くのかけがえのない人たちとの繋がりをもたらしてくれました。

サッカーがあれば友達になれたし、新たな出会いが生まれてきました。

サッカーの評価がグラウンドの外でも影響力を持つこともあった。


いわば、サッカーが自分自身の核となるアイデンティティーとなっています。


そんな自分からサッカーをとったらどうなるんだろう。

僕はどうやって生きていくんだろう。


そうなったら世界中を旅するようにして生きたいし、

これまでの人生で疎かにしていたことにチャレンジできるのではないかと。


特に、「学ぶこと」

これは疎かにしていたなと思う。

自分が今このステージに居るのは勉強が足りてないからだと今なら確信を持ってそう考えられる。


自分の人生は自分で切り開いていくしかない。

そのためには、1度サッカーから離れ、生き抜く力を身につけなければならない。

これは、1つ目の理由にも繋がってくるのだけど、

自分が与える側の人間になるためにはサッカーだけにリソースを割いていては間に合わないと気付きました。


これが2つ目の理由です。


3.サッカーへの恩返し


さて、先述した、

”もうサッカーには本当に本当に十二分に恩恵を与えてもらえた。

そろそろ次のステップに進む必要があるのではないかなと考え始めました。

サッカーにそれを返していかないといけないと思うんです。”

この部分についてもう少し掘り下げたいと思います。


僕はサッカーに育てられました。

まだまだ気づけないほどの多くの恩恵を受けました。


だからこそ、


今度は僕がサッカーを与える側になることがサッカーへの最大の恩返しになるのではないか


と考えました。


サッカーをサッカーで返していく。


僕がこの、サッカーを与えていくというので、1番最初に思いついたのはサッカー少年たちの姿です。

そんな未来の子たちに、サッカーを還元していきたいと。


どう実現するかはまだまだわかりませんが、

今ちかくで、日本の少年たちを海外に送り出すプロジェクトが現に動いています。

今までは漠然と面白そうだなと思っていたことが、使命感を感じるようになってきました。

そこまでやって、やっと終活なのかなって思います。


4.サッカーの卒業論文


あと、終活としてやらなければいけないと感じていることがもう1つあります。


それは、今までのサッカー人生をすべて言語化することです。


最近、自分はサッカーを通して得たものや失ったもの、経験してきたことの価値、これから先も役に立つであろう教訓や人として忘れてはいけないことなどなど、自分がまだ気づいていないことがありすぎるなと感じています。


だからこそ、表面的に得た目に見えるものから、目に見えないことまで、書き出して、抽象化して、それを伝えていく作業をしないと終われないし、もったいなさすぎる。


きっと書かなくても感覚的に身についていることや、当たり前じゃんってこともあると思います。


でも、自分の当たり前は人から見たら当たり前じゃないかもしれないし、


なにより、自分のサッカー人生は1つの壮大なストーリーとして今後の人生の指針になるレベルの大きな武器になるのではないかと考えています。


これらが僕の「終活」

サッカーを終えるためにやるべきこと。


よし、やるかーーー!!


5.さいごに


ここまで読んでいただきありがとうございます。


読んでいて思ったかもしれませんが、自分でも書いていて思ったのは、

今後完全にサッカーをやめようとしている気はサラサラないということです。


あくまでも、一時的に自分の成し遂げたいことのために離れるという感覚のほうが正しいですね。

僕もサッカーはもちろんしていきたいですしね!!

ただ、きっと、アツくアツくサッカーを追い求めるのはおそらく最後になるんじゃないかなと思ったのであえて「やめる」と書きました。


終わりを意識すると、今を大事にしなければいけないことに気付きます。

終盤で焦っても取り返しがつかないこともあります。

だから、後悔から学ぶのではなく、やることをやりきる方から学びを得られるように今この瞬間から。


まずは大学生活ラスト2試合、勝って終わることが最大のミッションです。

泣いても笑っても終ってしまう。

すべてをぶつけます。


令和元年 10月5日 東山 裕輝

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