双極性障害、ママだけど働きたい
双極性障害がある時点で働くのもまあまあ大変
発症すると長きにわたって気分のアップダウンを繰り返す双極性障害という病気。家系にも同じ病気の人がいたので自分にも遺伝したんだな…とうつ病のような症状を呈してから年単位の治療の末の診断を受け、受け入れるのは容易でした。以後、ずっと躁鬱とのお付き合いです。
病状も一番悪いときの躁鬱の混合状態や急速交代を経て、徐々に落ち着きを取り戻したものの今も決して体調は良くありません。この記事も布団の中で書いていたり、普段もソファで休みながら書いていることがほとんどです。なんとなく普段から気だるいことが多くなってしまいました。
その上でなんとしても子供を産みたいという強い願いの末に大学病院でのハイリスク出産を経てなんとか子供を産み、父親の育休取得や保育園の利用を経て数年、ようやく育児もひと段落です。
この辺は過去の記事に書かせていただいたので興味のある方は見て頂けると嬉しいです。
勇気を出して第一歩、マイペースに働き始める
まず、外で働く選択肢はない。診断書にもある「就労不能」「予後不良」の文字。そう、普段から体調も良いとは言えずに寝込みがち、そこから体力づくりや産後のダイエットは成功したものの日頃の疲れやすさや体調の悪さは払拭できなかったのです。
子供が保育園に通い始めた直後もママさんライターとして活動を始めたものの、即座に体調を崩してしまい年単位の休業に。
ですが子供が成長し体調が落ち着いてから時間が余ったのもあり、まずはアンケートモニターなどでコツコツお小遣いを稼ぎを始めました。年間数万円。スタートとしては上々かな?と思っています。
そして直近では障害者専用のクラウドソーシングに登録をし、障害者にあえて頼みたいという思いの方々と繋がることになり有り難く少しずつではありますがお仕事もしています。
すぐに寝込むので受注した体調によっては即座に執筆に入り、推敲や誤字脱字のチェックがすんだらなるべく早めに納品させて頂くことを心がけております。
双極性障害という病気柄、元気なときのパワーと勢いが大事なのです。その後少し休めは帳尻は合います。
こうして本格的に始めた療養生活を送りながらの在宅ワークですが正直なところ、家事育児の副業という範囲内は抜けることが難しいのかもしれません。
毎日毎日が元気ってこともありませんし、記事の執筆をさせて頂いた後やお仕事の話をさせて頂いた後は病人なりに結構疲れてしまいます。時間差で疲れが出て翌週ぐったりする感じです。
ですのでそのあとは素直に数日休業。鬱症状とされる自分の症状はとにかく眠ってしまう。少しは精神症状もありますが、基本的には眠くなり活動量を下げざるを得ないので、布団に入り休む時期に入ります。
その傍らで難しい記事は書けなくともブログやこういった軽めの記事であれば起きているタイミングで執筆ができますので、暇つぶし程度に楽しんでいたりします。
それでもはたらくって、なんでだろう
この病状で働くってまあまあ無茶振りかもしれません。育児も家事もありますし。
躁鬱があって、専業主婦で、ママで、子供との時間も大事にしたい。
ありがたいことに配偶者は毎日頑張ってお仕事をして真面目にお金を入れてくれます。
人によりますが、重い病気だと障害年金があったりもします。
でもなんで働くの?といわれてしまうと、お仕事をさせて頂き報酬を頂く瞬間が大好きなのかもしれません。
端的に言えばそもそも昔からお金大好きなのですが、人様とやりとりをして何かを成すことがきっと昔から好きなのです。
お互いにありがとうと交わせるようなビジネスの関係も好きなのです。
「ありがとうございました、また機会があればよろしくお願いします。」
こうやって終わった仕事は最高に楽しい。遊ぶより楽しい。でもそうじゃない時もあるかもしれません。やりとりの末に一悶着をへて「この件やっと終わった〜」なんて仕事もあるかもしれませんが、業務が終われば存外スッキリしています。
そして、何かを成す母でありたいのかもしれない。
「大きくなったらママみたいなママになりたい」
娘が言います。そんなふうに思ってくれてるからこそ卑屈にならない堂々とした、それでありながら自分らしいママでありたいと強く思うようになりました。
娘にとってちょっと憧れの女性になりたい。それもまた再度はたらくモチベーションでした。
自分の中で「はたらく」は自分らしさを取り戻すことでもあったのです。
在宅しか無理かもしれない、でも娘との時間は大事にできるしいいかな。
少額しか稼げないかもしれない、でもだんだん仕事を増やしていければいいや
病気の症状も出すかもしれない、でも時々休んで時々バリバリ働こう
障害もあるしあまり仕事は頂けないかもしれない、でも正直にしてそれでも良い方々とお仕事をしよう
双極性障害で迷惑をかけるかもしれない、でもちゃんと躁鬱の波を抑えて「躁鬱らしくない」ことを大事にしていこう
全て、これらが許されることはとても恵まれている環境であると自覚があります。
そして今はライターとして徐々にお仕事をさせて頂きこれからも無理なくやらせて頂けたら嬉しいなと思っています。
かつての本の虫が今は文字の虫に。読む側から書く側になってしまいました。
私の書く文章は拙いながらもWebサイトに掲載されたり、ブログやnoteなどのsnsにも残っています。これらもまた、娘が大きくなってから「ママはこんな仕事をしていたんだ」という足跡にもなるんじゃないかなと期待もしています。
長くないかもしれない命を燃やして
最後に少し悲しい話をすると、双極性障害や精神疾患があるとやや平均寿命が縮んでしまうという話もあります。詳しくはないので詳細は省きますが、調べた感じでは周りの人より少しだけ先に死んでしまうかもしれないんだな、長生きはしない可能性が高いんだな、と理解はしました。初めて知った当時は少し泣きました。
でも、「はたらく」を通して自分の生きた証を残したい。ママこんなお仕事をしているんだよ!と娘に胸を張って言いたい。あわよくば何か作品を残したい。稼いだお金で娘と思い出を作りたい。
何よりも、自分が自分らしくいられる仕事がフリーランスのライターだった。
自分の指先で言葉を紡ぎ、人様に何かを伝える仕事。頭に常に言葉が走り回っている自分には適職だったのです。自分らしさを取り戻すための「はたらく」。
そして最愛の娘へ何かを残したい気持ち、それが「はたらく」への最大のモチベーションなのかもしれません。
病気があるからこそ、ちょっと急足で。
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