出会う 関わりきる

今日の夕方、後期スタッフと話す。

ことの始まりは、数日前。(おそらく)車に轢かれて亡くなっていたイタチと、たまたま敷地近くの道路で出会って連れ帰る。同じ場に居合わせた子達とのやりとりの中で、体中を観察させてもらい、大きな人たちに剥製と骨格標本にしてもらうような流れで、このイタチさんと向き合っている。

小さな人たちと、死について触れてから、「これでよかったのだろうか?」と結構モヤモヤしながら標本となっていく様子を見守っている自分がいる。

そんな数日間がたった今日。大きな人の標本作りに関わっているスタッフと、これまでとこれからについてやりとりをしていく。命を扱うこと、そこへの配慮をどうしていこうか、と。

途中から、前日に命との出会いについて意見をくれていた、しんさんも交えての話。しんさんの今までの経験。小さな子達が死とどう出会い、関わって行ったのかをきく。そうやって死と出会って行った子が、大きくなってもやっぱりそのことについて、とてもよく覚えているということも、教えてくれた。

どのように出会っていくのか。その出会いがその子にとって、どのような体験になるのか。そういうことを吟味しながら、もっと丁寧に出会い方を考えていきたい。

それは、命についてだけに限らず、素材や道具であっても、人、施設、本、価値観・・・など、様々。それらとの出会いかたについても、もっと丁寧に考えよう。

そして、例えば「死」と出会ってから、出会いきるというのか、関わりきるというのか。最後まで見届けられるような関わりの工夫を、寄り添う人として、考えなければいけないなと、しんさんとのやりとりの中でとても感じた。