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ミシュラン三つ星レストランへの挑戦 vol.10

東京・白金のフレンチレストラン「ラ クレリエール」のオーナーシェフ、柴田が日々、何を考えているかを綴ります。

第二章 プロの世界へ

vol.1からご覧いただく場合はコチラからどうぞ
 → 第一章 レストランのシェフになる

10.パリの三つ星レストランでの修業 <後編>~ル・グラン・ヴェフール~

晴れて魚料理セクションのシェフになった僕ですが、その後もまあ、いろんな事件がありました。

周囲の態度を変えた「マカロン事件」

20人のスタッフが働く厨房では、道具や機器は順番で使わざるを得ません。道具は早い者勝ちなので、厨房に行ったら先ず必要な道具を確保します。魚料理のシェフは使う道具が多いこともあって、僕は毎日厨房に一番乗りしていました。
その日はフランを焼くためにコンベクションオーブンが必要でした。シェフパティシエのジェラールがマカロンを焼いていたので、次に使う段取りをつけ、アパレイユを作ってスタンバイしていました。ところが、頃合いを見計らってコンベクションの所に行くと、また新しいマカロン生地が入っている。焼き上がりに不満だったジェラールが、僕に何も言わずに作り直しをしていたのです。ヴァプール(蒸し焼き)をするフランにコンベクションオーブンは必須。だけど厨房にあるのは1台だけ。焼き上がりを待っていたら、タイミングを合わせて作ったアパレイユがダメになってしまう。

もう、厨房で大暴れです。
暴れながら日本語で「コンベクションを使わせてくれない!」「順番を守らない!!」と喚きました。
実は、それまでも道具の順番を飛ばされたりすることが何度もあったので、とうとうキレちゃったんですね。
驚き狼狽えるスタッフたちの中で、二人のシェフが僕の味方になってくれました。もちろん、僕が何を言っているのかは分からない。けれど、「普段ミスをしない、仕事をちゃんとやる温厚な人間がこれだけ怒っているということは、悪いのは柴田じゃない」と考えてのことでした。

この事件を境に、皆が「ボンジュール、柴」と言うようになりました。いつも抜かされていた賄いで出されるフロマージュブランも、よそって渡してくれるようになりました。
怒ったから、ではなく、自分の気持ちを伝えようとしたから、自己を表現したから生まれた変化だということは、皆の態度や言葉から分かりました。伝えることの大事さを改めて知った出来事でした。

ハッピーとアンハッピーがいっぺんに来た「大火傷事件」

このようにル・グラン・ヴェフールでは結構いろいろありましたが、一番の大ごとと言うと火傷で2週間動けなくなった事でしょうね。
仲良しのロシア人パオロは魚料理のドゥミシェフドパルティだったのですが、格闘家のミルコ・プロコップそっくりの筋肉モリモリで、他のスタッフが二人がかりで持つ巨大な寸胴鍋をいつも一人で運ぶ力持ちでした。

ちょうどその日は僕の誕生日で、厨房のスタッフが僕にハッピーバースデイを歌ってくれていました。その後ろをグラグラに煮立ったフォンの入った寸胴鍋を持ったパオロが通った時に事件はおきました。パオロが足を滑らせて鍋ごとひっくり返ったんです。熱々のフォンを浴びた僕の背中と両脛は大火傷。咄嗟に自分で冷やしたのですが、その時は本当に「もうダメかも」と思いました。すぐに病院に運ばれ、3週間ほど仕事を休む羽目になりました。

ちなみに、この時、僕を病院に連れて行き、その後も病院と家の往復を手伝い、看病してくれたのが「マカロン事件」のジェラールでした。彼には今でもとても感謝しています。
そして、パオロは今、フランスの三つ星レストラン「メゾン・ピック」の支店でシェフを務めています。

フランス修業終了、日本へ!

ル・グラン・ヴェフールでは8カ月働きました。店からは残って欲しいと言われましたが、当初から「ビザが切れるまでの1年間」と決めていましたし、僕自身、常に「出来ることを100%で!」と全力でやってきたので、思い残すことなく予定通りに帰国しました。

オステルリー・ビュー・ムーランでもル・グラン・ヴェフールでも、本当に多くのことを学ばせていただきました。場所もミシュランの星の数も違うしシェフの個性も違うけれど、不思議と共通することもありました。
一番違うところで言うと、営業中の緊張感ですかね。ル・グラン・ヴェフールの営業中の忙しさは尋常ではありませんでした。50人のお客様が一気に入り、もともと営業時間も長くないのであらゆることが集中する。対応する、というよりも、戦っているような気持ちでした。僕はポジション的にも「自分がコケたら店全体がコケる」と思っていたので、常にギリギリの緊張感で臨んでいました。
帰国前にオステルリー・ビュー・ムーランにも挨拶に行ったんですが、パリで過ごした後のブルゴーニュは、時間の流れも人々の言葉もゆっくりで別世界でした(笑)

帰国したらどうするか?自分の店を構えるという選択肢もあるでしょう。でも僕は、独立するにもまだ学んでおきたいことがあったので、フランスにいる間にその準備を進めていました。
次回からは日本に戻ってから現在のラ クレリエールを開くまでのお話です。

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このnoteを初めて読んでくださった方へ
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はじめに初めまして。ラ クレリエールの柴田です。
白金でフレンチレストランのオーナーシェフをしています。
2020年のコロナ自粛の間、レストランのあり方や自分が今後進むべき道など色々と考えました。その中で「ミシュランで三つ星を獲得すること」を一つの指標として強く意識するようになりました。
そして、どのようにすれば三つ星を獲得できるのか、三つ星にふさわしいと皆様から認めていただけるのか、日々、考えたことや行動したことを記録に残そうと考えました。
ご興味を持っていただけたら幸いです。

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