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酵母のことを知るとよりワインが面白くなる-1

 酵母は、我々人間を含む動物、植物と同じように細胞の中に核を持つ真核生物の1つである。我々と違うところは、生活の大部分を1つの細胞だけで過ごしているところである。

 我々は、彼らの性質を利用し、パン生地をふくらませたり、ビールやワイン、日本酒などの醸造酒を製造するために糖分からアルコールを作らせている。

 例えば、ワインの歴史を振り返ると、紀元前5000年頃には東欧、現在のジョージアのあたりでワイン醸造が行われていたという記録はあるものの、酵母の存在が科学的に示されたのは、フランスの偉大な研究者であるルイ・パスツールの登場まで待たなければならない。彼は1860年に酵母がアルコール発酵の起源と、酵母の関与を提唱した。ワインの歴史から考えると、割と最近の出来事である。

 そして、1890年にスイスの植物学者であり、醸造家でもあるヘルマン・ミュラー(ブドウ品種のミュラー・トゥルガウの生みの親)により、自然界から単離した酵母を純粋培養し、ワイン醸造に用いる試みが初めて行われた。

 現在当たり前のように市販されており、世界中で用いられている選抜されたワイン醸造用酵母の先駆けである。ただし、このような選抜したワイン醸造用酵母が広く流通し始めたのは、1970年代に入ってからということだ。

 研究者や醸造家によって選抜された優秀なワイン醸造用酵母が広く流通するようになってから、ワイン醸造中の発酵管理の効率化、微生物に由来するワイン品質の欠陥発生リスク低減、ワイン品質の向上など、様々なメリットがもたらされた。 

 一方、選抜されたワイン醸造用酵母(いわゆる、乾燥酵母)を使わず、自らの畑で収穫されたブドウに潜む酵母、或は繰り返しワインを仕込むことで醸造所に住みついた酵母たちの力を借りて、ワイン醸造を行い続ける醸造家も多く存在する。つい最近の、1970年以前は皆がそうだったのだから、乾燥酵母を使うのは必ずしも必須ではないのだ。

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 乾燥酵母を使用するかどうかは、醸造家の考え方次第であるが、2つの視点に議論が分かれると思う。

① non-Saccharomyces酵母をどう活かすか

② その土地由来のSaccharomyces酵母に何を期待するか

 今回は、①に絞ってまとめたいと思う。

ブドウに住んでいる酵母の仲間達

 ワインを作る上で主役となる酵母は、Saccharomyces属の酵母達である。その中でも特に重要な酵母は、Saccharomyces cerevisiaeである。ワインのみならず、ビール、日本酒、パンの製造にもこの酵母が主に使われている。S.cerevisiaeは、もちろんブドウにも存在するが、数は少なく、発酵前のブドウから探し出すのはとても難しい。

 その代わりにSaccharomyces属以外の酵母達がブドウの表面には数多く存在している。Saccharomyces属以外の酵母を、シンプルに総称して、non-Saccharomyces酵母と呼んでいる。代表的なSaccharomyces酵母及びnon-Saccharomyces酵母を以下にまとめておく。

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 このような酵母達は、一般にブドウ畑のある産地の気候、ワイナリーの環境などの要素によって、種類や分布割合は変動することが知られている。例えば、Saccharomyces属のSaccharomyces uvarumはS.cereviciaeと同様にワイン醸造に主役級の酵母であるが、冷涼な産地で多く見られ、より低温で発酵できる能力をもつ(10℃以下)。

アルコール発酵中に酵母達はどのように生活しているか

 先にブドウの表面にはS.cereviciaeはわずかしか存在しないと記載したように、タンクにブドウ或はブドウ果汁を投入した段階から、発酵初期の段階はnon-Saccharomyces酵母の天国状態となっている。先の一覧に記載した種類以外にも多種多様な酵母達が相互に影響を与えながら、増殖していく。

 しかしながら、多くのnon-Saccharomyces酵母は嫌気的な環境(酸素が少ない環境)になり、そしてアルコール濃度が増してくると、それらのストレスに耐えられず、徐々に死んでいく。その間に、嫌気的な環境、高いアルコール濃度に対する耐性を持つS.cereviciaeが増殖を重ね、最終的にはそれらの分布が逆転し、発酵後期にはほぼS.cereviciaeしかいない状態になっていく。

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 上のグラフに各発酵段階における酵母の分布のイメージを示した。ちなみに、亜硫酸の使用を添加すると、一部のnon-Saccharomyces酵母は増殖が抑制され、S.cereviciaeの増殖が早まる。乾燥酵母を添加する場合もその添加量にもよるが、上記よりもさらに早くステージが進むイメージを持ってもらえればよいと思う。

 つまり、S.cereviciaeの増殖が早まり、アルコール発酵が早く進行するほど、non-Saccharomyces酵母が及ぼす、ワインの香味への影響は少なくなるということだ。

Non-Saccharomyces酵母は善か悪か

 結論からいうと、良いものもいるし、悪いものもいる。例えば、Hanseniaspora uvarumは、セメダインのような香りがする酢酸エチルを多く生成し、ワインの香味を悪くするリスクがある。一方で、Pichia Kluyveriはソーヴィニヨン・ブランの特徴香であり、グレープフルーツのような香りを持つ3MHの含有量を高める能力があることが報告された。Torulaspora delbureckiiも同様に3MHやモモやバナナのようなフルーツの香りがするエステル類の含有量を高める能力があることが報告された。

 ワインは、複数の香りや味わい成分で構成されている。単一の物質でみると、嫌な香りでも他の香りとバランスされてしまえば、逆に複雑さに繋がることもある。例えば、セメダインのような香りがする酢酸エチルも少量で、全体の香りの中で突出してなければ、複雑さの1要素として捉えることもできる。

 ワインが変質するかもしれないリスクを払いながら、non-Saccharomyces酵母の力を引き出せるように、乾燥酵母をつかわず、アルコール発酵をゆっくり進捗させ、ワインを作るのも醸造家の選択の1つなのだ。

作りたいワインはどんなワインなのか

 例えば、すっきりとした、フレッシュな香りを全面に引き出したタイプのソーヴィニヨン・ブランを作る目的の場合は、自分であれば迷わず亜硫酸を使い、乾燥酵母を使う。

 一方で、暖かい産地で採れた果実の香り、豊かな味わいを表現したい樽発酵のシャルドネを作る目的の場合は、亜硫酸はつかわず、乾燥酵母も使わず、ゆっくりと発酵をさせたキュヴェをいくつか作るのも良いと思う。

 また、メルローやカベルネ・ソーヴィニヨンなどのブドウを使い、複雑で余韻の長いしっかりしたワインを作るためには、亜硫酸は使い、酢酸や酢酸エチルの生成を抑制しながら、乾燥酵母を使わず、じっくり時間をかけて醸すこともある。或は、乾燥酵母は使用するものの、添加時期を通常より2ー3日送らせ、ブドウ由来の微生物を最大限利用することもある。

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 近年は、Saccharomyces酵母だけでなく、non-Saccharomyces酵母も市販され始めているため、これらを利用するのも1つの選択肢だ。

 目的は、自分自身が納得したワイン品質を実現すること、飲み手に満足して頂ける品質を実現することである。乾燥酵母を使う、使わないということにこだわるよりは、様々なリスクと向き合いながら、どのようにしたら目的に近いワインが作れるのかを考え、試行錯誤と意思決定をしたいと思う。

次回は、2つ目の「その土地由来のSaccharomyces酵母に何を期待するか」について書いてみたいと思う

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