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秘密の森の、その向こう/セリーヌ・シアマ監督

セリーヌ・シアマ監督の「秘密の森の、その向こう」を見る。18世紀の女性画家と肖像画のモデルとなった女性との愛情を描いた「燃ゆる女の肖像」(2019)の監督であり、最近ではジャック・オディアール監督の「パリ13区」で共同脚本を書いたことでも話題になった。

「秘密の森の、その向こう」。原題は「Petite maman」という73分の短い作品だ。8歳の少女ネリーは「森」で同じ8歳の母マリオンと出会う。

ネリー(ジョセフィーヌ・サンス)の大好きなおばあちゃんが亡くなる。祖母の家の後片付けをする両親とともに、ネリーは「森」にひっそりと佇むその「家」を訪れる。母親のマリオン(ニナ・ミュリス)の様子から、ネリーはその家に流れる不穏な空気を感じている。翌朝ネリーが起きると、マリオンは家を出てしまった後であった。

母と娘というのは独特な関係性を持っている、と母でも娘でもない自分は想像する。親と子の関係性を越えて「秘密」を共有できるというか、ある意味では依存関係の一種といえるかもしれない。「森」に建てた小屋、枯れ枝を集めて組んだ小屋なのだが、その場を境に時空がずれ込み、少女マリオンに(見た目はネリーとそっくりだ)連れられ、たどり着いたのはやはり祖母の家だとネリーは気づく。

8歳の少女はかくも聡明である。ネリーは23年前の母親である8歳のPetite maman/マリオン(ガブリエル・サンス)との出会いを自然に受け入れる。マリオンには「杖」をつく母親がいる。ネリーにとっては亡くなったばかりの祖母、若き日の祖母の姿であるはずだ。それはある種の別の時空の現実であり、介入不可能な世界の出来事である。ここでネリーとマリオンは母娘としてではなく、「秘密」を共有する友だちとして、残りの3日間をともに過ごすのだ。

ここでシアマ監督は「何を描いて」「何を描いてない」のかについて考えてみる。マリオンには3日後に大きな試練が待っている。8歳の彼女は手術のために入院をする。このまま放置すれば母親と同じ病気を発症することになるからだ。「現在」の世界ではネリーの母である31歳のマリオンは生きている、つまり手術は成功し最悪の事態こそ回避された。一方で母マリオンは苦悩を抱えたまま家を出て行ってしまっている。

8歳のネリーは、8歳のマリオンとの「遊び」を通して、彼女の夢(母親のそれ)は女優になることだ(だった)と知る。少なくともネリーの母/31歳のマリオンは少女時代の夢をかなえることなく大人になり、子どもを産み、母親の介護も抱えたまま「Petite maman」になったと想像する。

「描かれてないこと」に言及するのは困難なことだ。誕生日を迎え9歳になったマリオンが得ることになった身体的な自由と引き換えに、母親のケアという精神的な呪縛を、少女自らの意志で背負うことになってしまった。それが他ならぬ彼女の「人生」なのではないか。母と娘の関係性の逆転としての「Petite maman」である。そして母親の死に際し、その負債が一気に彼女に押し寄せる…。母親マリオンのシーンだけ抽出し頭の中で繋いでみれば、あながちそれも過剰な連想とまではいえないのではないか。

では、今度は「描かれている」ネリーと父親との父娘関係について考えてみる。やはり父でも娘でもない自分は想像するしかないが...。8歳のネリーと8歳のマリオンとの間で生成される「場」は非現実的な現実空間である一方、ネリーと父親がいる「場」である祖母の家はリアルに現実の時空の内にある。8歳の母マリオンと彼女の母親の「家」には父親(あるいは母の配偶者)は存在しないが、現実世界のネリーには父親が、31歳のマリオンには夫がいる。

「象徴的」に扱われているであろう「父親が髭を剃る」というネリーの「望み」をかなえるシーンは、父娘間の「遊び」として回収されもするわけだが、これはネリーと8歳のマリオンとの「遊び」であるパンケーキ作りの最中の、お互いの鼻の下に「髭」をつけ合う「遊び」として反復される。そして「現実」の世界に二人が再び着地した時、世界はどのような形で接続されるのか…。

73分という、最近の商業映画としてはずいぶんと短い上映時間の内側に、かくも密度の高い精神世界の現実を描くとは...。セリーヌ・シアマ監督は「秘密の森の、その向こう」(Petite maman)で母娘関係の淡いファンタジーを描いたわけではない。しかしそこには「希望」も託されている。9歳のマリオンの「ハッピィー・バースデー」の歌は2度繰り返されたのだから。全ての人に是非。

監督:セリーヌ・シアマ
出演:ジョゼフィーヌ・サンス | ガブリエル・サンス | ニナ・ミュリス

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