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ベイビー・ブローカー/是枝裕和監督

是枝裕和監督の「ベイビー・ブローカー」を見る。是枝監督といえば2018年に「万引き家族」でパルム・ドールを受賞し注目を浴びたが、今回の作品はそれを上回る密度の高い作品だ。元々は熊本の慈善病院の取材から始まったそうだが、舞台、俳優、製作とも韓国で行われた韓国映画である。

雨の中を傘もささずに急な坂道を登っていく女の後ろ姿。ポン・ジュノ監督の「パラサイト 半地下の家族」でも見た、低い土地に住む人々のことを思い浮かべる。女は意を決しポストの扉を開き、中の小さな籠に子どもをあずけ、扉を閉じる。扉の内側には男が二人。「いつか必ず迎えに来ます」と書かれたメモと子どもの名前を確認すると、監視カメラの映像を消去する。女二人が車の中から彼女の動きを注視している。一人が「棄てるなら産むなよ…」と吐き捨てるように呟く。

古いクリーニング店でミシンを踏むサンヒョン(ソン・ガンホ)は、私たちがイメージするブローカーとは不似合いなほどに甲斐甲斐しく子どもの世話をする。ヤクザが借金の取り立てにやって来る。

大方の予想に反し、子どもを捨てたと思われた母親は戻って来た。だが施設が子どもを受け入れた記録が無い。この施設に勤めるドンス(カン・ドンウォン)は密かに乳児を横流ししているらしい。事情を察した母親ソヨン(イ・ジウン)は、ドンスとともにサンヒョンのクリーニング店へ向かい、息子ウソンと再会する。車の中から彼らの様子を伺う二人は、婦人・青年科の刑事スジン(ぺ・ドゥナ)と彼女の部下で、闇斡旋を現行犯で抑えるべく彼らをマークしているのだ。

ソヨンはサンヒョンとドンスと共に取引の現場に同行するのだが、相手夫婦に息子を値踏みされたことに激高し、その話は流れてしまった。男児1000ウォン、女児800ウォン。ネット上で取引される命の相場である。訪れた養護施設でもドンスは何かとソヨンに突っかかる。「じゃあ悪いのは母親だけなのか!」ソヨンは反発する。ドンスは施設の門の前に置き去りにされ、メモに残された「迎えに来る」という言葉を胸に養子になるのを拒み続けたのだと、サンヒョンは彼女に伝える。ここでひとつの和解がある。

後ろの扉が壊れたワゴン車に乗り次の取引へと向かうなか、施設で出会った少年が荷台に紛れ込んでいることが発覚する。ことの次第を少年に知られて追い返すこともできない。彼らのその後の「旅」は、最良の養父母を探す大人3人に9歳の少年を加えた奇妙な擬似家族と犯罪を追う刑事をめぐり、物語はその核心へと進んでゆく。

「家族の旅」の間、彼らの誰もが「育児」を押し付けることがない。夜中の授乳もオペレーションの当番を決める(少年も分担を買って出る)。突然の発熱に皆が狼狽する。施設で年少の子の世話をしてきたドンスのそれは堂に入ったものだ。

彼らは各々が各々の「痛み」を抱え、同時に家族に恵まれずに育った過去に、自分が生まれてきた意味を肯定出来ずにもいる。ソヨンが我が子を他者に託すのには深い訳があるのだが、その理由について「個人の責任」と集約せずに、この社会全体の在り方についてを問うているのがこの「ベイビー・ブローカー」という映画の特徴である。彼らを追い詰める側である刑事スジンもまた、心に「傷」を持つ者である。彼らと関わるにつれ、スジンが最初に発した「言葉」から、彼女自身がどこまで解放されるのか。それがこの物語を動かす鍵となっており、それはまた、この映画を見る「私たち」自身がに自ずと降り掛かってくるはずだ。

この映画について、それが韓国固有の社会問題に集約できないのは当然としても、それにしても、この物語を紡ぐ韓国の俳優たちの演技は本当に素晴らしく、賞賛に値する。彼らの「言葉」への感受性、それは彼らが背負って来た「歴史」とその「傷」に無関係ではない。最近はあまり「近くて遠い国」とは言わないかもしれないが、彼らの「傷」の理由が日本の植民地主義にあり、冷戦と分断を日本本土の外に押し付けておきながら朝鮮戦争で特需に沸いた恥知らずな経済成長の向こう側で、彼らがいかに傷つき、いかに戦ってきたかについて、これを機に「私たち」も再考すべきではないのか。最近読んだ韓国文学の翻訳者の著作からそんなことを考えている。多くの人がこの映画を見るとよいと思う。実際、とても美しい映画なのだから。

監督:是枝裕和  出演:ソン・ガンホ | カン・ドンウォン | ペ・ドゥナ


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