海外スタディ・ツアー2019(サバン・アチェ編)

第4回となったNPO法人リーダーズカフェ主催の海外スタディ・ツアー。今年も6人のカフェメンバーとインドネシアに行ってきました。

そのツアー記を「サバン・アチェ編」と「ジャカルタ編」に分けて投稿します。

参加メンバー

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(左から)
矢儀丈博(やぎたけひろ)さん:関西学院大学商学部4年
松尾采音(まつおあやね)さん:関西学院大学文学部1年
三宅歩維(みやけあい)さん:関西学院大学文学部4年
皐月真穂(さつきまほ)さん:立命館大学政策科学部2年
松橋周央(まつはしひろお)さん:関西学院大学法学部2年
皐月秀起(さつきひでおき):NPO法人リーダーズカフェ代表理事
諏訪圭亮(すわけいすけ)さん:関西学院大学法学部2年

参加メンバーのレビューはこちらから

訪問先

インドネシア国 アチェ、ジャカルタ

今回のスタディ・ツアーの目的

日本とインドネシアの様々な違いをデータベース化し相互の理解や自国文化の見直しにつなげる

行程

2019年9月2日(月)出発~9月9日(月)帰国

(第1日目)9月2日(月)

17:30:阪急仁川駅を出発。6人を乗せて、関西国際空港へ
18:30:関西国際空港着~チェックイン
4月の搭乗の時は手荷物チェックは緩かったが、今回は手荷物すべての重さを測らされ、荷物ひとつを預けることに。荷物の紛失と荷物引き取りの時間短縮のためにすべて機内持ち込みにするつもりだったが、ひとつ7㎏までというルールがAirAsiaは厳しかった…。

気を取り直して出国審査を済ませ、夕食は「がんこ寿司」に。インドネシアでも日本食は食べますが、日本での日本食はしばらくお別れ。

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22:00:関西空港発(AirAsia D72)~ 後ろのふたり席は隣を気にせず、LCCなので狭いながらも割と快適。

(第2日目)9月3日(火)

3:15:クアラルンプール(マレーシア)国際空港に30分ほど早めに到着(フライト時間は約7時間)

一旦入国手続き。再チェックイン前に朝食を食べることに。朝4時頃だったので閉まっている店もあったが、麺の店がありそこで食べることに。

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麺のお店の名前は忘れたが、みなさんにお勧めできる味でもなかった。

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チェックイン機で搭乗手続き。ここまではよかったが、また手荷物重量検査でひっかかり、預け直すことに。来年からは7キロチェックを厳格にしよう。

トランジットが3時間もあるため、待合いロビーでゆっくり。コーヒーを飲んだり、歯を磨いたり、いろいろ。マクドナルドが中にあったのを忘れていた。海外でマクドナルドもな…と思ったが、万国共通の朝マックでもよかったかもとチラリ。

7:30:クアラルンプール発(AirAsia AK423)フライト時間は1.5時間。

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8:00:インドネシア・バンダアチェ着 ここで3日間過ごす

簡単な入国審査があり、両替を済ませ、外に出ると、ワッとタクシーの運転手が何人も寄ってくる。私は慣れているので分かっていたが、運転手の男が何人も寄ってきて、わけのわからないインドネシア語で「どこへ行くんだ?何人だ?うちの車に乗らないか?」と言い寄ってくるのに、他のメンバーはびっくりして少し怖がっている様子もあった。前もってレクチャーしておけばよかった…。

ここからの移動は無料の路線バスにするか、タクシーを捕まえるか悩んだが、バスを待つのがめんどくさくなり、「7人が1台に乗れるんやったらタクシーにする」とある運転手に言ったら、「俺の車は乗れるから来い」と言われ、荷物を積み込み一路フェリー乗り場に向かう。1台で7人乗れたのはよかった。

9:00:サバン行きのフェリー乗り場に到着 約30分ほど

7人分の切符を買い(帽子をかぶっているのが筆者)、

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出発まで小1時間、待合室で。

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そうしていると、前回来たときは閉まっていた観光案内所が開いたので、そこでアチェとサバンのレクチャーをしてもらうことに。

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ナイトフライトにもう1回フライト、それに運転手攻撃、さらには英語での説明にだいぶみんなは疲れたよう。でも、もうここは日本じゃないんだ、外国なんだと嫌でも理解してもらうにはいい機会だったと思う。

9:00:フェリー発 乗船時間は約1時間

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席は飛行機と同じくらいの広さで、エアコンも効いている。

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11:00:サバン着

バンダアチェからフェリーで約1時間、サバンに着く。島の名前はウェーで、その中心地がサバンという街だが、全国的にはサバンで通っている。その理由はまた後ほど。呼び方はサバンで通します。

ホテルに手配を頼んでいた車。人数が7人と多いが、車2台には分かれたくないので、「何とか1台で」と頼んでいた。どんな車か心配していたが、古いがゆったり座れる白いバンを用意してくれていた。

まずは、今回のツアーのメインの滞在先のひとつ、トーチカへ。

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トーチカとはロシア語がルーツで、コンクリートでできた防御陣地の意味。実は、このサバンには第二次大戦中に旧日本軍がつくったトーチカがあちことに現存している。その中で一番大きなものはこれ。

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このトーチカの中には、こんなものも。ホンモノ??

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ここは公園になっていて、ゆっくり散策することができる。

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散策していると、また別のトーチカが。今度のは’こぶり’だ。

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しかしまあ、それにしても海がきれい…

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もう信じられないくらいに。でも、上の写真でカメラを構えている彼はトーチカの上に乗っている。

この海は、マラッカ海峡といって、日本などアジアに行く石油などを積んだタンカーはみなここを通る。

第二次世界大戦は、日本の真珠湾攻撃が号砲となった。ちょうどその直前に、旧日本軍は英国を中心とする連合軍に勝ち、シンガポールを制圧した。シンガポールに近いこの場所は、戦前から旧日本軍の兵士が駐留していたと想像する。

このトーチカの中から、海を双眼鏡などで見ながら敵艦を偵察している。嫌でも、きれいな海は目に入ってくる。勝っている時はまだいい。でも劣勢になり、敗色濃厚になってきた時に、どんな思いで私たちの先輩はこの海を見ていたんだろうと思うと、何とも言えない気持ちになってくる。平和のありがたさが身に染みた滞在となった。

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トーチカをあとにし、「RM KENCANA」でランチ。

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食べたいおかずとご飯を自分でお皿にとるスタイル。数年前にジョコ大統領がサバンに来た時も立ち寄ったようで、店内に写真が飾ってあった。

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ランチ後、例の白いバンで一路、島の最北端へ

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ここは「ゼロキロメートルポイント」といって、サバンの最北端にして、インドネシアの最西端の場所です。

インドネシアには約2.6億人が住んでいる国ですが、国土も広く、特に東西の距離はアメリカ大陸とほぼ同じ。その最西端がここサバンで、インドネシアの端から端までという時に、「サバンからメルウケまで」という言い方をします。日本でいう、北海道から沖縄までと同じです。決して、「ウェーからメルウケ」とは言わない。本当はウェー(島)でもいいと思いますが、もうサバンが全国的に有名なので、島自体もサバンと言われています。

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ゼロキロポイントを後にし、いよいよ初日のホテルに到着。

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Freddies Santai Sumurtiga」というビーチリゾート。チェックインを済ませ、部屋に荷物を置くやいなや、ビーチに出る。時間も15時を過ぎており、急がなくては!

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やはり海を見ると嫌がおうにもテンションが上がる。それまでの疲れやいずこへ…。

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ビーチの砂は白くてキレイが、岩や石があちこちにあり、みんな手やら足の裏やらが傷だらけ(苦笑)。

日が暮れて、19:30から夕食に。西洋・インドネシアの折衷料理という感じ。最初にスープとサラダを食べ、メインはビュッフェスタイル。種類はそれほど多くないが、味はとてもいい。スパイスとココナッツミルクで煮込んだアチェの郷土料理「ルンダン」もかなりおいしい!

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いい意味で「手作り」な味で、これはアタリだなあと思っていたら、理由が分かりました。食事も中盤に差し掛かってきたあたりで、ひとりの初老のおじいさんが食堂に出てきて、話を始めました。

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まずは、今日のメニューの説明から始まり、次に各テーブルに座っているお客さんを順番に紹介し始めました。「こちらは〇〇さん、今日はどちらに行かれましたか?エンジョイできましたか?」などフランクに聞いてくれます。名前もちゃんと調べている。

おっと、この流れだと私たちも紹介される!やばい、英語か…。私たちのテーブルは最後の方に呼ばれました。「トーチカに行き、ビーチでも遊びまくった(みたいな雰囲気で)」で英語で緊張しながら答えました。

そして、それだけにとどまらず、いろいろとアチェのこと、サバンのことを滔々と語り始めました。ちょっと遠くて、しかも英語なのであんまり理解はできませんでしたが、「アチェはオランダにも日本にも制圧され、戦地になり、戦後は内戦が絶えず、最近ではスマトラ沖地震による津波もあり、数々の苦難があったが、その度に復活してきた。それはここサバンも同じだ。私たちには不屈の魂がある」というようなことを言われていた。

食事後に写真を撮ってもらいました。明日行くアチェや今日のサバンで、ちょうど学びたいことを学ばせてもらった。今夜の料理の味にもいろいろこれまでのことが入っているような気もした。素晴らしい「コト消費」ができ、長かった初日を終える。

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(第3日目)9月4日(水)

昨晩、学生たちは疲れも見せず、UNOをしていたよう。若い…。

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5:30:起床 旧日本軍の兵士たちも、この朝日を毎日見ていたんだろうか

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6:30:朝日を見ながら朝食

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白い食パンの後ろに隠れた、フレンチトースト。昨晩のMCじーさんが6時前からいい匂いをさせながら作ってくれていた

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7:00:ホテルをチェックアウト。車でフェリー乗り場に向かう

8:00:アチェ行フェリーが出発。行きに比べて、帰りは少し空いていた。ここで爆睡。

9:00:フェリー乗り場に1日ぶりに戻ってくる。ホテル手配のタクシーで一旦ホテルに荷物を置き、ここからアチェ市内を観光。

プランパダン公園

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別名「世界の国にありがとう」公園。2004年、アチェに壊滅的な被害をもたらしたスマトラ沖地震による津波災害。

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地震・津波後に支援をした世界の53の国名・国旗・各国の言葉で「平和よ、ありがとう」と刻まれていて、各国への感謝の意を伝えています。

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この公園内にある飛行機は、1945年にインドネシアがオランダと独立戦争を戦っていた時に、アチェの人々は寄付を募って、飛行機2機を買って共和国軍に贈った内の1機(もう1機はジャカルタにあるそう)です。

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その頃はまだ中央政府と関係良好だったんですね。アチェは天然ガスや石油など資源が豊富で、地域として裕福だったから寄付もできたんでしょう。そこから半世紀以上紛争の道へ・・・。中央政府がもっとうまくアチェとうまくできなかったのか?と、私なんかは思います。

資源があったから、日本に侵略され、政府からも利用される。苦い過去です。

津波博物館

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2004年に壊滅的な被害をもたらしたスマトラ沖大地震を後世に伝えるために2009年に建てられました。Tsunamiは世界公用語。ここアチェでも普通に「つなみ」は通じます。

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今回のアチェ滞在のポイントのひとつの「津波博物館」。まず入り口に、津波に襲われたヘリコプターの実物がお出迎え。

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そして入り口に歩を進めると、真っ暗な壁と壁の間を歩かされます。そこは、津波の体験ロードで、津波の音、湿気の多い感触、そして後半には少し水しぶきも。ぞっとしながら、中に進みます。

次は、ドーム状になった部屋があり、壁一面に亡くなった方の名前が書かれています。

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通路を進むと

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津波に関する展示が数多くあるが、こういった遺品の実物も見る者に突き刺さってくるが、

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ジオラマもとてもよくできており、リアル感が半端なかった。

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津波博物館を後にし、近くでランチを

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アチェコーヒーも

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ランチ後、またみんなで歩きながら、

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PLTD AGUNG1

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アチェでは、大地震の出来事を風化させずに世界や若い世代に伝えていこうと積極的です。津波の被害にあった場所をそのまま残し、観光スポットにしています。

その代表的なものが、この「PLTD Agung1」です。

大型ディーゼル発電船の名前が由来だそうで、沖から5キロ先のここに流れ着きました。

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上にも上がれて、アチェ市内を見渡すことができます

ちなみに、ここは「TSUNAMI EDUCATION PARK」となっています。震災から目をそらさず、観光に来てもらおうと奮闘中です。

バイトゥラフマン モスク

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アチェを知る上で押さえておきたいポイントの1つ、厳しいイスラム戒律があります。

アチェは、インドネシアで最も敬虔なイスラム教徒が多い都市で有名です。宗教警察が存在し、イスラム教に反する行為に対しシャリア(イスラム法)が適用される唯一の州です。賭博・飲酒・同性愛はもちろん、公然での男女の抱擁・パンクロックなども罰せられ、むち打ち刑が処されます。これがおそらく、世界或いはインドネシア国内からもアチェが距離を置かれる理由のひとつです。

そんなアチェ・ナショナリズムの聖地がこの「バイトゥラフマン・グランド・モスク」です。

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東南アジアで一番美しいモスクと言われています。どうですか?立派でしょう!ジャカルタのイスティクラル・モスクの方がそりゃあ大きいですが、荘厳さではこちらに軍配が上がるのではないでしょうか?津波にも地震にも耐え、このモスクの上階に避難した人々も救ったというエピソードもあります。

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アチェ観光はここまでで終了。14時にホテルにチェックインし、休憩やジャカルタでのプレゼン準備、UNOなど。

夜20時に、明日お邪魔する日本食カフェ「hana(ハナ)」さんと会食をさせて頂く。

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これにて、ツアー3日目が終了

(第4日目)9月5日(木)

朝食は、近くのKyriad Murayaホテルのビュッフェを

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9時半にチェックアウトし、Grabで2台配車。1台は、ホテルのお兄ちゃんに手配してもらう。

10時から、日本食カフェ「Hana(はな)」さんで、接客インターンをさせて頂く。

こちらは、4月にアチェに下見に来た時に、たまたまネットで見つけたお店です。首都ジャカルタから遠く離れたアチェで日本人の方がお店をやっておられるのに心揺さぶられ、今回学生を引き連れての訪問をご夫婦に快諾していただきました。

場所は、アチェ市内から少し離れた、シャアクラ国立大学などが終結している文教地区にあります。

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広い敷地の中にある茅葺屋根が目を引きます。ここは料理を作るキッチンスペース。

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緑に囲まれているので、どこも涼しそうですが、お話を聞いたここが特等スペースのように思います。最初は少なかった座席も、お客さんが増えるにしたがって増設し、今では50近い座席数になったとのこと。常に入れ替わり立ち代わりお客さんが入ってきます。この日は大学の授業が始まって最初の日で、日本からの来客もあるとの告知もされていたことも手伝ってか、ほぼ満席でした。

さっそく、私たちは戦闘服に着替え、

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接客をしていきました。厨房で出来上がった料理を、テーブル番号を聞き、届けます。

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たこ焼きをつくったり、

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写真を一緒に撮ったり(とにかく向こうの人は写真好きです)、

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小さい子どもの相手をしたりと、大忙しでした。

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Hanaさんの看板料理は「たこ焼き」です!店先にも甘いソースの香りが漂ってきます。外はカリッと、中はトロっと。ソースも日本から輸入をしていては高いので、手作りしていると。さすが店を切り盛りしている方が大阪出身です。お名前などは後ほど。

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そして、これは宇治金時のかき氷。アチェで宇治金時が食べれるとは思っていませんでした。このかき氷。宇治抹茶だけは京都から取り寄せ、あとは小豆から餅からすべては現地調達していると。すごくないですか?

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私は私で、アチェで動画配信をやっている方が取材に来られ、インタビューされ、さっそくYoutubeにあがっていました。

店を切り盛りするのは、石井久美子さん。年齢は聞いていません(笑)。

シャクアラ大で建築を教えるご主人のフダさんと小学6年生と5年生のふたりのお子さんとの4人暮らし。

大学卒業後、大阪でメーカー勤務をしていた久美子さんはバリ様式にハマり、京都のインドネシア友好協会に入会したときに、当時京都大学大学院に留学していたフダさんと出会いました。交流会で意気投合し、結婚し、会社を辞めアチェに移り住んで10年になります。

カフェ開店のきっかけは、シャクアラ大の文化祭で日本を紹介するために、お好み焼きと宇治金時を出店したら、大学生や地元の人たちに大好評。もっと日本の味を広めれたらと、自宅の庭で始めたのが2012年とのことでした。

バリ好きで大阪出身の久美子さんが構想・レイアウトを考え、建築が専門のフダさんが設計・建築する。この夫婦の連携も見事です。

先ほどの、たこ焼きが10,000ルピア、ラーメンが18,000ルピア、宇治金時が11,000ルピアと、現地の大学生でも気軽に来れる価格設定が魅力。

今では、25人の従業員さんがおり、その内半分以上は何と住み込みで、自宅の隣を増築し寝る場所などをつくり、食事も一緒に食べ、まさに寝食を共にしているところが一番恐れ入りました。

1時間ほど接客をさせて頂いた後、たこ焼きなどお昼ご飯を頂き、後半は石井さんが声掛けをしてくださった、「知日派」の若者たちと交流。

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店内では至ることろで、話にHanaが咲き、日本食を通じて交流の輪が広がっている、日本の誇りだと心底感じました。

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学生たちも口を揃えて「楽しかった」と言っており、英語と日本語を使いながら、コミュニケーションがとれたのがよかったと思います。

本当に貴重な機会を頂きました。また何年後かに、違う学生を連れてお邪魔したいと思います。この場を借りて、あらためて御礼を申し上げます。

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着替えをし、14時にHanaさんを出発。また足はGrabで。

14時半に空港に着き、カフェで休憩

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サバン~アチェの旅はここまでです。ここからジャカルタまで約3時間の移動します。

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統治~戦争~ODA~津波と、アチェと日本はつくづくご縁がある街です。自然もあり、歴史もあり、観光もできる。日本人も活躍されている。何度も訪れたい街で、私の引き出しにしっかり入りました。

海外スタディ・ツアー「サバン・アチェ編」はこれにて終了。次は「ジャカルタ編」へと続きます。

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