ジェンドリンのプラトン解釈と彼の遺稿論文集“Saying What We Mean”

去年の人間性心理学会大会において、オンラインで口頭発表した時のスライドを公開します。

田中秀男 (2020, September). フェルトセンスへの創造的遡行を介した発言間の移行:ジェンドリンのプラトン対話篇注釈を手引きとして。日本人間性心理学会第39回大会(群馬パース大学)口頭発表発表資料

発表の前半では、2018年に刊行されたジェンドリンの遺稿論文集“Saying What We Mean”の構成、その位置づけなどを論じています。

この遺稿論文集の名を冠して、来月の四月に英語のシンポジウム“Saying What We Mean: A Symposium on the Works of Eugene Gendlin”が行われるわけです。公式サイトはこちら:
https://www.seattleu.edu/artsci/2021-gendlin-symposium/?redirect=true

話を戻すと、発表の後半では、ジェンドリンのプラトン解釈を論じてます。

ただし、論じたからと言って彼のプラトン解釈が妥当だと言いたいわけではありません。むしろ、「御多分に漏れず、我田引水だなあ」と思ってます。

しかし、彼が先行する哲学者たちを論じる著作を読むことにはメリットもあると私は思っています。なぜなら、そうした著作を読むと、ジェンドリン自身が編み出した用語で固めた主要著作よりもむしろ、彼の思考スタイルが分かりやすく際立ってくるからです。たとえて言うならば、ドゥルーズによるニーチェの「永劫回帰」解釈は的外れだと思うとしても、「反復による差異化」という観点をニーチェの著作に投影するところにドゥルーズらしさが際立って見えてくる、というのに似ているというところでしょうか。インクの染みが何に見えるかを通してその本人の感じ方・考え方を捉える、みたいなもんです。

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