見出し画像

復興の話をしよう.vol1

皆さんが住んでる場所が
突然破壊されたら。

ライフラインの供給が止まって
助けてくれるのは誰だろう。

ぼくらはどのように生きるだろう。



2024年1月1日

ぼくはその頃、群馬県草津温泉のホテルで働いていた。
突然スマホから警戒音が鳴る。
食堂にいるほとんどのスマホから発せられる警戒音が異常事態を知らせてくれた。
すぐにテレビで速報が流れる。
地震があったのだ。


 2024年6月

いつもお世話になっている大工のヒロシさんと
バッタリ現場で遭遇した。
これまた日頃職場としてお世話になっているアンティーク屋さんの社長がインテリアの施工をお願いしていたらしい。
実はぼくをこのアンティーク屋さんに紹介してくれたのもヒロシさんなのだ。



ヒロシさんはお正月に奥様の実家に帰省中に被災されて、その後実家近辺を修復されていたスーパーマン。
被災直後は生活インフラや交通経路も破壊されていて、支援物資を届けるだけでも金沢から能登まで6時間かかっていたそう。(今は2時間ほど)

今回も復興作業で能登にいくことを知ったぼくは
衝動で電話をかけていた。

日頃から震災だけでなく、戦災で遠くの人や街が破壊されていくのを見ていて
何もできない自分のちんけさ感じていたところだった。
とにかく動きたかったけれど
装備や資金も揃っていなくて、ほぼ丸腰で乗り込むことを躊躇っていたのだと思う。


ちょうど7月に一人で復興作業に行くが、今回奥さんは同行されないということで
1週間ほどお供させていただけることになった。

今回は能登町より車で40分ほど北上した珠洲市へ。

列島の末端。道路もほとんど一本道。


古い家屋が多く、特に被害の大きかった地域のひとつ。

初めて行く地域というのもあって、被災当時から活動されている拠点”ボラキャン珠洲”を中心として動くことになった。
拠点では運動会でよく活躍するような白い簡易テントの中がリビングのような集会所となっていて、広いキャンプ場の敷地内のブースにテントで宿泊することに。


ガスコンロ·インターネット· シャワー·トイレ··水道·冷蔵庫·洗濯機など

衛星通信のstarlink


長期的に滞在する方を中心として
最低限の生活を送れるように運営されていた。

解体さえ手つかずのまま残っているところが山ほどある
事前に現地の状況をきいていた通りの光景が拡がっていた。

初日

長期滞在してるうちにいつのまにか拠点を運営していた小林さんは
被災者との対話をしながら長い時間を過ごす内に、様々な相談が舞い込んでくるようになったらしい。

地域とボランティアの橋渡し役となっていた。

初日は小林さんのところにきた依頼のひとつ
床の間にハマって抜けなくなった大きな仏壇を救出する仕事に同行することに

ヒロシさんの車には道具も一通りそろっていて、被災してまもなく現地で活動していたから
話がスムーズ

仏壇を救出し、他にも困ってることがないか聴くと

集落の中で活動し現地の人やボランティアの仲間から話を聴いてるなかで
状況が見えてきた。


海で洗濯する大道具野生児のタケルくんに、
サバイバルジーザスこと小林さん
も興味津々の大工作業。

 

自治体は何をしている?


自治体の基本的な動きとしては
「全壊」・「大規模半壊」・「中規模半壊」・「半壊」の判定をして
対象となる補助金を交付する。

半壊のまま住み続けている人。
住める状態ではなく新しい仮設住宅に避難した人。

自治体のホームページにアップされている情報も更新されておらず、
住宅難民データの提供を依頼したのだが、十分なデータがそろっていないようだ。
そこまで手が回っておらず、逆に各街・集落でエリアごとにコーディネーターのような人材が機能しているのかもしれない。

普段から意識しないけど
自治体や国家・民間などの第三者にライフラインのほとんどを任せていることを痛感した。
逆に手が回っていないエリアこそ新しい共同体やシステムをつくるチャンスだったりするのかもしれない。

銭湯の駐車場が廃材置き場に

職人の力

一方自分たちで小屋づくりをしている職人集団のおじちゃんたちもいた。
工費解体が決まった元の家から窓をそのまま持ってきていて
海沿い畑の前に小さな小屋を建てるお手伝い。

阿吽の呼吸であっという間に躯体が出来上がる。
瓦は砕いて調湿材に


 祭りの機能

7月5日

コロナ以降ストップしていた石川のあばれ祭り
災害に見舞われ2024年の一発目が7月5日に開催されることとなった。


あばれ祭とは

約350年前の寛文年間(1661~1672)当地に悪病が流行したため、京都の祇園社から牛頭天王を勧請。盛大な祭礼を始めたところ、神霊と化した青蜂が悪疫病者を救った。
喜んだ地元の人々はキリコをかついで八坂神社へ詣でたのがあばれ祭の始まりとされる。現在では高さ七メートル、約40数本の奉燈(キリコ)が町をねり歩き、2基の神興を海や川、火の中に投げ込んであばれる男壮な海の祭典として知られている。

https://abarematsuri.jp/about

 牛頭天王

牛頭天王は、古代にさかのぼる蘇民将来の説話が陰陽師などによって伝承されるうちに、日本古来の霊信仰とむすびついて行疫神とみられるようになり、その霊力がきわめて強力であるがゆえに、逆にこれを丁重に祀れば、かえって災厄をまぬがれることができると解されて除疫神としての神格をもつようになったものである。荒魂が和魂へと転換されたわけであるが、日本神話では天上を追放された「荒ぶる神」スサノオとの習合がこの過程においてなされたものと考えられる[12]。

wikipedia

 神仏習合
仏教の天部の神々も元来はヒンドゥー教の神であったように、インドに起こった仏教は他国への伝播の過程において、日本だけでなく中国においても、その地域社会の土着の神々や歴史上の重要人物を仏菩薩の化身として包摂することで根付いていった歴史がある[8]。仏教にはそのような性質が本来あったことが神仏習合を生んだ要因でもあった[8]。

wikipedia

2日目には神輿を海に沈めるらしい。
山でとれた木を使ってわざわざ作った神輿を、海に放り投げて沈めて踏みつけるという。
しかも暴れるほど神様が喜ぶ設定になっているらしい。

こんなどこの鹿の骨かもわからん奴が担いでたら、一緒に海に沈められてしまうんじゃないかと妄想してしまったが

今回はなんと前日に募集がかかっていた。
キリコは本来地元民しか担がないことになっているのにだ。
金沢などの都市部に避難した地元民が多く、担ぎ手が不足しているらしい。

なんとぼくもキリコを担がせてもらえることになった。
宇出津の近くの町、柳田村で育ったヒロシさんの奥さんが担当の人と連絡を取ってくれた。
当日は集合場所にいくと見事なキリコが漁港沿いの街道に鎮座していた。



キリコの上で子供たちが鐘でリズムを作り笛を吹く。

いやさかよっそい さかそいっ さかよっそい↑

渦巻き状に松明が燃え盛る中心へ向かって往復で3時間。


途中一緒に担いでいるうちの一人の若お母さんに素性を聞かれ挨拶を交わした。

来てくれてありがとう

と言ってくれたのが嬉しかった。

再組織化

拠点で長野からきたビジネスチックなおばさんが色々なことを教えてくれた。

仮設住宅に避難するとできる新しい近隣関係。

住人のある方が新しい歪なコミュニティから孤立してしまう現象が目立っていたらしい。

そのことを契機に仮設住宅には集会所を設けることが徹底されるようになったそうだ。

新しいコミュニティ構築の媒介として

内輪に閉じすぎない伝統的な祭りが機能していく気がしている。

ところで

ヒロシさんが10月、11月にまた能登へ遠征に行きます。
ぼくもタイミング合えばいきます
新しい仮設や一般住宅の建設も進んでると思いますが、
7月の時点で修繕し切れぬまま住み続けている方がまだまだ多い印象でした。

使用用途や作業内容なども明記しています。
皆様からのご寄付お待ちしております。


現地からの情報提供や遠方からの支援もぜひお願いします。
不足してるものと近隣の県の資源がうまく繋がる仕組みを作りたいです。
アイディアと余力のある方ご連絡お待ちしてます。


つづく




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?