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官能小説|接待、道具妻 第1話

 会社の業績が傾いていたのは、社員の誰もが知っていた。傾きが徐々に大きくなり、早期退職を募るまでになった。
 
 当然のことながら、夏のボーナスは支給されなかった。愛妻の葉子は、「仕方がないよ」と言ってくれたが、そう言わせてしまった事実に、僕の胸は強く締め付けられた。

 会社での役職は係長。中間管理職という誰しもが敬遠する立場だ。最近の僕は、リストラによる人員整理と将来の不安から辞めてしまった同僚や部下たちの穴埋めのために、孤軍奮闘で業務を進めていた。
 
 そして会社の業績が持ち直した頃だった。ポストの穴埋めという理由もあったのだろう、37歳にして社内的には異例の早さで課長職への昇進を果たしたのだった。

 ◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

「今夜は粗相がないように頼むよ」
「任せなさいって。準備オッケーよ!」

 神経質になっている僕の言葉に、33歳の愛妻―――、葉子が右手にオッケーサインを作って答えてくれた。身長が高く胸も大きい。グラマラスで色白な自慢の妻だ。
 結婚して10年近くが経つ今でも、一緒に外を歩けば男たちの視線を集めた。これと言った特徴のない僕には、出来過ぎた女性だと思っている。

 今夜は昇進祝いを兼ねて、僕の出世を後押しした井上部長を自宅に招いていた。
 人員整理後の社内の雰囲気を考えると、大っぴらに外で会を催す訳にはいかず、井上部長の提案もあって、我が家でのささやかな昇進祝いの運びとなったのだ。

 まだまだ残暑が厳しい季節―――。
 自宅で部長を迎える準備をしている妻の葉子は子供を2人産んでいる。元は僕と同じ会社で働く同僚だった。

 OL時代には魅力的な容姿の他に、愛嬌のある性格から会社のアイドル的存在で社長の覚えもよかった。そんな妻の心を射止めたのは何故なんだろうか、と平凡な僕は未だに考えてしまう。

 たしか井上部長の下で働いていた時期があったとか―――、葉子が言ったのか、社内で耳にしたのかは覚えていない。
 そうなると妻にとっては、結婚式に招待して以来の顔合わせとなるはずだった。

 そういえば井上部長を家に招く話をした時、葉子は浮かない表情をしていたような気がする。夫の上司を家に招くという事は、その実、接待みたいなものだ。当然だろう、と思う。

 もしかしたらOL時代に嫌な上司だったのではないのだろうか。曇った表情の葉子を見た時は、心に迷いが生じた。
 しかし井上部長の奥さんが一緒に来ることを伝えると、表情が少しだけ和らいだので、僕は迷いつつも葉子に甘えることにしたのだ。

 ―――ピン~、ポン~

 玄関のチャイムが鳴った。
 急いでエプロンを外している葉子を伴って玄関先へ出ると、手土産を持った井上部長が1人で立っていた。

「少し遅れてしまったようだな」
「いえ大丈夫です。今夜はありがとうございます。狭い家ですが、どうぞ中へお上がりください」
 スーツ姿の井上部長が、片手を頭に乗せて言った。
 出迎えた僕は、プライベートな気持ちをいつもの仕事モードに瞬時に切り替えた。

「お久しぶりです」
「おお、久しぶりだね谷君――― いや奥さん」

 ゆったりと腰を折った葉子が挨拶をした。妻の顔を見た井上部長は、満面の笑みを浮かべて葉子を旧姓で呼び、すぐに訂正する。気のせいだろうが、なんとなくと芝居掛かっていたように見えた。

 頭を上げた葉子がそのまま首を傾げて僕を見た。何を言いたいのかは分かる。葉子の懸念を代弁して聞いてみた。

 「あ、あの奥様は?」
 「そうなんだよ、連絡すればよかったんだが――― すまない。妻は風邪をひいてしまったらしくてね」
 
 悪びれた様子もなく井上部長は飄々ひょうひょうと言ってのけた。早く言ってくれよ料理が余るだろう、と心の中で呟いた僕の横で、葉子の表情が曇ったのが分かった。

「そ、そうなんですか・・・・・・ 奥様は大丈夫で?」
「ああ熱はないみたいだから大丈夫だろう。女房も楽しみにしていたのに残念だよ」
 玄関先に立つ井上部長の言葉を聞いて、葉子が小さな溜息をついた。

「お大事になさってください」
「ああ、ありがとう」

「あなた、部長さんを中へ案内して」
 凛とした妻の声―――、いつまで井上部長を玄関先に立たせおくのか。気持ちを切り替えた葉子の指示に従って、井上部長を家の中へ案内した。よく気が利く妻、内助の功というやつだ。

「狭くるしい所ですが、お上がりください。子供たちは実家に預けてるんで、今夜はゆっくりしてください」
 井上部長をダイニングへ案内して上着を預かり、テーブルの椅子に座ってもらう。
 そして対面の椅子に、「失礼します」と言って座った僕は気持ちを接待モードに切り替えた。
 
 葉子はそそくさ・・・・とキッチンへ移動した。その態度は、どことなく会話を避けているみたいで、表情は硬く顔色はすぐれなかった。

 ダイニングテーブルの上には、特上の寿司桶を中心に葉子の手料理が並んだ。
 ビールから焼酎、そして日本酒へとすすんで井上部長は気分よさげで、内心ほっとした。

 会社での絶大なる権力が集中する部長職。課長職となったからといって、僕なんかは井上部長の一声で窓際もしくは左遷コースだろう。
 昇進祝いのはずが、主役の僕が接待していた。予想した通りの展開だった。家に上司なんかを招くもんじゃない。

 交わされる話の内容は仕事上のものが中心で、僕の隣に座った葉子は、井上部長の話に小さく相槌を打ったり、タイミングよく酌をして機嫌を取ってくれた。我ながらよく出来た、いや出来過ぎた妻だと思う。

 どんどんと酒がすすみ、上機嫌の井上部長は葉子のOL時代の話を始めた。なんでも相当に優秀な部下だったらしく、退社のきっかけを作った当時の僕を恨んでいたのだとか・・・・・・。笑いながら言われても背中に冷たい汗をかいてしまった。

 そして葉子の当時の人気ぶりに話題が触れ、予想通りというべきか、社内で女好きとの噂のある井上部長の話が、下世話なものへと変化していった。

 テーブルに座ってすぐ、井上部長の露骨な視線は気になっていた。
 僕との話の合間でもキッチンを行き来する葉子を目で追いかけ、無遠慮に体の方ばかりを見ていた。
 
 酔った井上部長は、「今も昔と変わらず綺麗だ」「子供を産んでオッパイが大きくなった」などと、しらふでは聞くに堪えない発言を繰り返した。 
 
 そして一線を越えた。夫である僕の目の前で葉子に触れたのだ。酌の為に差し出した葉子の手を自分の手で握り、「奥さんの肌はスベスベしてるな」と言って口の端を歪め、いやらしく笑ったのだ。
 
 手を引っ込めようとした葉子が、助けを求めるようにして困り顔を僕に向けた。どうやら井上部長が強く握って離さないようだ。

「ぶ、部長・・・・・・」
「藤田君! 昇進おめでとう」
 
 見かねて言った僕に、井上部長はちぐはぐな返答をした・・・・・・。
 口から出かかった制止の言葉は、井上部長の言葉で喉の奥へ引っ込んでしまう。 
 自分でも情けない夫だと思う。そうさ―――、時に理不尽な会社組織というものを僕は十分に知っているんだ。

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