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お休み前の雑感  β(beta)

毎日投稿かぁ・・。それは結果論だと思った方がいいと思う根拠。それはいわば「行」でもあるし、お遍路のようなものでもある。


まず、偏屈なジジイがもの申しているとお考えください。

『この見解はあくまでも個人のものによります』←よくちいちゃな文字で出てくるやつ

さて、noteの様々な記事を垣間見ますと、

「毎日投稿100日達成しました」
とか、
「スキ1000達成」
「フォロアー数万」

うん、それは素晴らしいです。尊敬に値します。

喜んでいいと思います、普通できることではありません。

 あたしもとりあえず「毎日投稿」の状態になっています。すごくいびつなんですが、当初はnoteって、なんだか、FBやTwitterといった、SNSの延長で、「特に優良でも読んでもらいたい」というか、そういう「岩波文庫」的な本屋さんみたいな感じに思っていたんですね。

 あたしも、当時は文章でなく「光画」の発表の場と思っていました。また、ここから出版までこぎ着けた方も多々おられます。システム的には「売文」「売画」が自由にできる「バザール オブ カルチャー」なのかなとも思っていました。しかし、最近は性格が変わり、もっと自由な発信の場になった感じがします。

 現に、ここに出典される方の作品においては、ポテンシャルは相当なレベルだと実感しております。
 こういうのを「文化のるつぼ=カルチェ・ラタン」というものなのでございましょう。これは素晴らしいことだと思いますし、「売り物にならなくても発信しよう」そんな意欲がわいてきたんですね

 ですからあたしは、こういうものに入っていくための「発信」のレベルを上げることが肝心だと思ったのです。
 すなわち、自分の文化的レベルを客観的に試したいがため、過去のプロパティを、「蔵出し」することにした結果、「毎日投稿」しても間に合わないくらいのコンテンツ数になってしまいました。

下書きに貯めたのが半端ない数なんです・・・。どうしようか・・なんです

すなわち現在の「毎日投稿状況」は「目的」ではなく「結果」なのです。

 ですから、あたしの記事に反応していただいた方が、あたしが「すごいな!」と思った方だったら。 あるいは、反応していただいた方の世界を見て「すごい!」と思う感覚を大事にしたいと思っております。それがうれしくて反応をたのしみにしています。いわば「文化交流」でしょう。
相手にされてなければ、「それだけのレベル」なのです。「評価」とはそういう性質のものなのです。


 ただ、老婆心ながら、一つ気になるのは、「毎日投稿」とか「スキ何人達成」とかそういうものがもし「自己目的化」しているのであれば、もう一度

初めて「スキ」とか「フォロー」いただいた、新鮮な感覚を忘れないでいただきたいな。そんなことを思うわけです。数じゃなく、「認めてくれた人との文化感覚の『同調』の質が大事だと。・・・そんな感覚です。

まぁ、「数」の勝負で言えば、「何言ってんだ」みたいにはなるでしょうが、こういうのは「選挙」で十分なので、あたしは、ここの場で「すごいもの」にいつも出会いたいと思い、在野の高レベルな才能に反応してもらいたく、駄作を投稿しているのかも知れません。

今晩の駄文でした。誰かを批判するものではございません。
あくまでも、あたしの個人的な見解に基づきます。

追伸
で、こういうカッコいいことをいっていましたが、まさに「祇園精舎のスダッタ長者」の故事が身にしみております。それが、最近のこの投稿です



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