ありがとうって言われたくない…だと?

さて、晩飯は何にしようか…
手羽元あったから煮るとしよう。
キャベツもあったからお好み焼きも作るかなぁ。
あ、お好み焼き粉がねぇや。
って、その前にシンク片付けてないから洗い物せにゃならんなぁ。
面倒くさいわ。

と、家に帰るとシンクが片付けられてた!!!
やるな、娘!
もうね、今から晩飯作ろうと思ったときにシンクが片付いてなかったら、もういいや、なんか弁当買ってこようか…なんて気持になるんですよ。
いや、ホントにありがたい♪

なんて考えていると娘様登場♪
「シンク片付けてくれたのね、ありがとう♪」

「…」

おや?
聞こえてなかったのかしら?
再び
「ありがとう!」

「いや、そういうのいいから…
別にありがとうって言ってくれなくていいから。」

出たな、反抗期め!
と、言いたいけど俺の教育も影響してるかも。
以前、こういう事を話した事がある。
「褒められる事のレベルはその人の成長と共にどんどん上がっていく。
保育園の頃はトイレが上手にできただけで褒められたけど、大人になったらそんな事では褒められなくなる。
小学生低学年ならば足し算が出来ただけで褒められるが、高学年になったらそれは当たり前になる。」
なんて話をしたもんだから、シンクの片付けくらいは褒められるべきものではない、と感じたのかもしれない…

けど、今回は別に褒めてる訳じゃないんだよなぁ。
ただただ、嬉しかったことへの感謝の言葉なんだよなぁ。
と思ったけれども、待てよ、と。
娘の反抗の理由が、仮に「ありがとう」の”クオリティ”に不満があったとしよう。
クオリティに不満を抱くほど、「ありがとう」が満ち溢れてたのではなかろうか、と。
「ありがとう」慣れしてるのではなかろうか、と。
「ありがとう」に食傷気味だったんではなかろうか、と。
もしそうであるならば、ありがとうの栄養失調になってないだけでもいいのかなぁ、なんて思ってみたりした。
って事は、「ありがとう」の肥満状態なのか?
「ありがとう」のメタボが反抗期なのか?
確かに娘に言われたわ…

お父さんは私に優しいんじゃなくて甘やかしてるだけだから。

ですってよ( ノД`)シクシク

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