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エネルギーの源「自己肯定感」

年の瀬が近づくと、「レクイエム」と称して今年他界した著名人の方々を取り上げて偲ぶTV番組のコーナーがあります。
私は、8月に他界された森英恵さんが印象に残っています。
というのも、逝去された時にメディアで紹介されたエピソードの数々に触れた、森さんが日本人のプライドをもって世界にチャレンジした素晴らしい女性であることを再認識したからです。

そうした感銘を受けたエピソードも交えて「自己肯定感」について紹介していこうと思います。

~ 自己肯定感の大切さ

成功とはその大小にかかわらず、その構成要素の、「足し算」ではなく、「掛け算」だという考え方があります。

成功=目標 X 考え方 X 行動
と表せます。

左辺の数値を最大化するためには、右辺の3項のバランスがとれている必要がありますね。
1X1X8より、3X3X4の方が断然大きい結果になりますから。

ところが掛け算なので、ひとつでもゼロが入るとゼロですし、「考え」という項にはマイナスになる可能性さえあります。

ですから、少なくとも「考え方、思考」は常にプラスに保つことが大切です。そして、それを支えているのが、「セルフイメージ」です。

セルフイメージは、
自己受容 ⇒ 自分を受入れる
自己信頼 ⇒ 自分を信じる
自己尊重 ⇒ 出来る自分を尊重している
から構成されており、思考やその先にある行動の
基盤になっているものです。

私は上記の3つが満たされている状況を「自己肯定感」がある状態と考え、
コーチングセッションでは、クライアントにその気づきを促す質問をすることがよくあります。

~ 自己肯定感を持たないことのメリット!?

自己肯定の反対は、
「自己否定」「自己不信」「自己卑下」
などの言葉が躍る世界になりますが、日本人はどうもこれが好きな文化を持っていると感じることが多いのです。

謙譲の美徳、相手への思いやり、謙遜という美しい文化がどこかで少々ねじ曲がってしまった感があります。
しかも、このネガティブな世界観から生み出される「自信の無さ」を一旦表明しておくと、少々極端ですが、「メリット」が沢山あることも原因のひとつだと思います。

「自信が無い」という魔法の言葉で得られるメリットとは、、、

・やらなくても済みます。
・途中でも止められます。
・失敗しても言い訳が効きます。恥ずかしさが軽減されます。
・そもそも自分事ではないので、何か、誰か、の責任にできます。

正直、私にも身に覚えがあります。
「私なんか、全然未熟でまだまだです。」という台詞は、謙遜という本来の意味以外に、小さな免罪符を求めている様な無意識が働いてしますね。

そして、こうした日本人の自信の無さ(=度を越した謙遜)は特に、世界を舞台にした時に、「日本人には無理ではないか」という思い込みを国民性のレベルで刷り込んでしまった戦後の歴史があると思います。

~ 「世界のクロサワ」のコメント

先日、黒澤明監督の映画「羅生門(1950年)」を調べていくうちに、同監督のこんなコメントをみつけました。

「羅生門」は第12回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞しましたが、作品が映画祭に出品されたことも知らされておらず、受賞は奥さんから聞いて初めて知ったという逸話があるそうです。

黒澤監督のコメントとは、後日の受賞祝賀会で発言した次の様なものです。

「日本映画を一番軽蔑してたのは日本人だった。
その日本映画を外国に出してくれたのは外国人だった。
これを反省する必要はないか?
浮世絵だって外国へ出るまではほとんど市井(しせい)の絵にすぎなかったよね。我々は、自分にしろ自分のものにしろ、すべて卑下して考えすぎる
ところがあるんじゃないかな?
『羅生門』も僕はそう立派な作品だとは思っていません。
だけど、「あれは まぐれ当たりだ」なんて言われると、
どうしてすぐそう卑屈な考え方をしなきゃならないんだ?って気がするね。
どうして、日本人は自分たちのことや作ったものに自信を持つことをやめてしまったんだろう。
なぜ、自分たちの映画を擁護しようとしないのかな?
何を心配してるのかなって、思うんだよ。」
と・・・・

激しく同意できます。

日本はこの後、1954年にはホンダが、国際的なオートバイレースである
マン島のタイムトライアルに国産オートバイで初参戦していますし、1957年にはソニーがトランジスタラジオで米国市場で大成功を納めますから、日本人全てが敗戦による自己卑下に鬱々としていたわけではなく、こうした情熱に溢れた先人が世界への道を切り開いていったことがわかります。

~ 自己肯定感は自分で育むもの

当時の日本の国際的地位は、底辺に近いところにあったと思います。
しかし、だからといって自己肯定感が下がることなんてナンセンスだったわけですよね。
高度成長期や、バブルとその崩壊、失われた20年を経て、今また日本の国際的地位は下落しています。

一人当たりGDPは世界24位だ。
先進国の中で賃金が上がっていないのは日本だけ。
女性の地位は世界順位でほとんどビリ。
子供の幸福度、世界の中で低水準。
とかとか・・・

仲間内の酒の席でも、「ダメダメの国」みたいな話になることもあるのですが、だからといって自己肯定感を下げる必要は全くないです。

他人がどうであろうが、社会や国がどうであろうが、自分を受入れ、信じ、尊重する。
この気持ちを維持していくことが成功へつながるのだと信じています。

そして幸いなことに、時代は「素晴らしい日本」「凄い日本」「出来る日本」を体現してくれている人々をどんどん排出しています。
黒澤監督が嘆いた時代は遥か昔になり、ビジネス、スポーツ、映画、芸術、音楽、医療、社会貢献、等々・・・・

そして、その人達の言語化能力も素晴らしいと思うのです。
例えばスポーツの世界では、「金メダル獲ります!」と、ゴールを、現在形で表現し、自信を持って語る選手の多いこと。

確かに、危惧すべき嘆かわしいニッポンの姿があるのは事実ですが、
ダメだ、無理だ、と発言していると、予想外のパワーをもっている「無意識君」が働きだして、自分を後退させていく。
出来ない自分がいつの間にか当たり前になっていく。
このリスクがはらんでいることも自戒しなくてはいけませんね。

~ 森英恵さんのエピソードから

そこで、冒頭の森英恵さんの話になるのですが、主婦からトップデザイナーの道を歩んでいく道程で、彼女が味わった衝撃的な経験がテレビ番組で紹介されていました。

世界のモードの潮流を学ぶために1961年に訪問したニューヨークでのこと。
当時、世界のトップブランドが並ぶのは高級デパートですが、その地下の売り場にはワンダラー(1ドル=当時の換算で360円)・ブラウスと呼ばれる日本製の安いドレスが陳列されていて、これが当時のアメリカにおける日本製品を象徴していたそうです。

森英恵さんは最初、それまで感じていたことのないくらい、惨めな思いで立ちすくむのですが、冷静さを取り戻すと怒りが湧いてきた。

日本は戦争には負けたけど、文化も伝統も美意識もある。
丁寧なものづくりを得意とする国ではなかったのか、と。

それ以来、森英恵さんはアメリカに日本の美意識を認めさせようと、尽力しニューヨークで海外初となるHANAE MORI SHOWを開くに至ります。

もし、日本人としての自己肯定感を常日頃から持っていなければ、ワンダラー・ブラウスを見た時に、
「あーそうなんだなぁ、この程度が今の日本が提供できる商品なんだろうなぁ」とか、もっと卑屈になれば、「地下の売り場だろうが、ワンダラーだろうが、アメリカで売られていればいいじゃないの」と・・・

流石にここまで極端ではないにせよ、日本人としての否定、不信、卑下が心にあったら、「惨めな思い」が「怒り」に転じるだけのエネルギーは呼び起されなかったと思います。

この自己肯定感、すなわちプライドですね。

女性の職場進出が稀だった戦後の日本で、デザイナーとしての道を切り開いていったバイタリティーに加え、優れたものを作れる日本人としてのプライドを持っていたのでしょうね。

自己肯定感は、事に対峙して生まれるものではなく、意識、無意識にかかわらず、常に持っていることが大切だと思うのです。

安藤秀樹
株式会社ドリームパイプライン代表

公式ホームページ: https://dreampipeline.com
お問い合わせ先: hideki.ando@dreampl.com

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