見出し画像

他人の正義は大きなお世話!である

自分にとって当たり前のこと、自分にとって普通のこと、自分のなかの正義にもとづいた事、だいたいこういう部分が自分の軸になっている、というのが普通と考える人が大多数であろうと思う。

十人十色とはよく言ったもので、そんな人間が、他人にとっての正義、自分と異なる正義や規範、自分と違う基準で行動する人というのが自分以外の全てなんだ。

実際の日常生活のなかであれば、自分の身の回りの人間関係といえば、家族にはじまり、学校や、会社、地域の何か、そういったモノがそれぞれにあると思う。どういうことかというと、判断基準や価値観・思考などがわりと近いというか、一緒じゃ無いまでも理解しやすい範囲内であろうという事で。

ただやはりネットだとそういう現実社会とは異なった所で、そういった下地も素養もまったく無関係なところで、アカの他人に接触しているんだと理解する必要があるんだよね。

もちろん「ネット ≒ 可能性」なので、実はこの人って会ったこと無いんだけど実際わかり合える存在だった!というのもあるでしょう。また、もうこいつ何なのよ!訳わからん!アタマおかしいだろ!完全にブロックの一択!っていう全く相容れない人もいるだろうし。

、、、っていうのを当事者の方々は当たり前のようにネットで書くから、あ〜あまたこんな事をやっているのかフフフ、という感じでウォッチされるのであるよね。

自分のフォロワーならこれ解ってくれるだろ的な完全に一方的な主張にしか思えない事を書き、たしなめられるとムキになって反論するが、たいていは感情任せなので論理破綻したまま言っちゃってまた責められて、という繰り返しに陥ることが多いようだ。

自分が感じたのは、ある程度は名前もキャラも知られるくらいにネットの世界で活発に活動しており、メシの種もネットの活動中心という実態をもち、謙虚を装いつつも、実はプライド高くて自尊心も非常に強いような秀才タイプ的20代後半〜30代にそういう傾向が見られる事が多いのかな、という感じです。去り際にいらんヒトコト言ってみたりする系ね。学生の頃からの意識高いまま社会人を数年やっちゃいました、で現在に至るって感じだろうか。

特にここ数年ではいろんな分野で、やれ多様性だの多動性だのというワードも目の当たりにするんだけど、ほんとその通りで、正直に想いや考えを吐露するのであればクローズドな会員制のネットのサロンとかならまだしも、SNS、TwitterやFacebookはそういう発言や立ち振る舞いというのはやっぱ不適切というか、不適当なんでしょう。

意見や反論を返す方も、あなたの言っている意見が唯一の正解や正義ではないんだよ、というのをちゃんとメッセージを込めていればいいんだけど、大抵はそうではなくその瞬間に暴言と誹謗中傷を吐いて叩きつけ、自分のストレス発散してるよね?という風に映ることも多いですよね。

ただのネットのド素人のあんた、どっかのお父さん、お母さん、どこぞのお子さんですらネットを使えばいっぱしに発言〜投稿したり絡んでいったりできるようになっちゃってる時代だけど、原則としてそういうのは無責任な立場のストレス発散だから、関わる必要性も無けりゃ損得勘定でもしてみたら価値も無いのがわかるでしょうに。という所になぜか突っかかっていく人達も一定数いらっしゃるのがまたこの世の中なので、我は関与せずというスタイルを通すか、遠巻きに見てるか程度に留めておけばいい。世知辛いですよね。生きづらいですよね。って、そうしてるのは双方ご自身のやり方って事に尽きると思うんですよ、自分は。

やっぱ今の時代に一番重要なのは、実はネットでのスルー力って事なんじゃないかな?って思うことが最近またよくあったり、ネットニュースに一喜一憂するのもバカバカしい、なので早めに自分の中の軸〜判断基準を構築する、ってのが良いやり方なんだろうね。自分の身近な所でちゃんと仕事していく方がきっと幸せな毎日を日常的に過ごせると思うんだよね。そんでせめて人生の後期にはぜひ報われたいもんです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?