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写真の真価

世界を自分だけの目で「見る」ということ。誰とも異なる見方をするということ。それが写真を撮る者の役目なのかもしれないと気づいてから、とても生きやすくなりました。

それまではずいぶん狭い視野のまま生きていたような気がします。追い込まれてしまっても、これしかない、と勝手に思い込んで苦しくなることが何度もありました。そういう経験ってありませんか? ほんとうはほかにも道があるかもしれないのに... そんな思考に陥ってしまうのはひどく危ないことですよね。

でも、写真という表現に出会ったおかげで、常にほかにも見方ややり方があるのではないか? そういう考えを持てるようになりました。いろんな角度でものごと捉えようとすることが自然と身についたのです。

例えば、テーブルにあるコップを撮るとします。10人いればそれぞれ違う写真になるはずですよね。横から撮る人、真上から撮る人、すごく近くで撮る人、きらめく水の光を撮る人... さまざまです。もっと言えば、コップを撮る必要だってないのです。たとえ写っていなくても「感じてもらう」ことができるのが写真なんですよね。

というように写真は、その人自身のものの見方が如実にあらわれる表現なんですね。それぞれの生き方や個性があるから、そうなるのは当然なのです。何をどう見つめるか、それは生き方そのものなのだと思います。そして、誰もそれを、つまり生き方に順位をつけたりすることができないのと同じように、ほんとは写真にも勝ち負けはないはずなんです。

写真が向いていると思えるのは、そうやって異なるものの見方を提示することに価値を見出せるからかもしれません。誰かが勝手に決めた枠組みのなかで競い合ったりする必要もありません。ものの見方に違いはあっても優劣はないはずです。それぞれが異なる存在であることを肯定し、性別を超え、互いの多様性を受け入れて認め合うことができる、それこそが写真の真価なのではないでしょうか。

写真があればわたしたちはどこへだっていけるのです。

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このテキストは写真本「ひろがるしゃしん」に収録予定です。

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