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『「つぶれてしまえ」と言っていた人(久保利英明)を味方にした理由』久保利英明×斉藤惇

久保利英明×斉藤惇
(日本プロフェッショナル野球組織コミッショナー/KKRジャパン KKR Global Institute シニアフェロー)対談Vol.1


久保利「初めてお会いしたのは、野村證券に、総会屋に対する利益供与があって」
斉藤「はい」


久保利「多分その頃は、副社長を辞めるという覚悟をお決めになっていらしたと思うのですが、突然に僕が前にいた森綜合法律事務所(現:森・濱田松本法律事務所)にお見えになって」
斉藤「はい」

久保利「今度きっちりとした「内部管理役員会」を作るから」
斉藤「うん」
久保利「ここのメンバーにまずなってほしい」

斉藤「はい」
久保利「というご依頼を受けたんですよね」
斉藤「はい」

久保利「あのときはあれですか。社内的には僕をそういうボジションに据えるというコンセンサスはとれていたんですか」
斉藤「コンセンサスは、まったくないです」
久保利「ない(笑)」
斉藤「(笑)」


久保利「ないんですね(笑)」
斉藤 「あのときはもう終戦状況みたいなもので。私は副社長でしたけれども、社内をみると上はもう色々な問題で会社にはほとんど出席していなかったんじゃないかと思いますね」
久保利 「なるほど」

斉藤 「当時情報が非常に少なかったということもあってですね。他の役員も、右往左往していました」

斉藤「このままだと会社がつぶれてしまうなと思いまして。私は立場上、法務関係も見ていたので、お願いにあがりました。とにかくあの事件自体が非常に今思っても残念な、ありえない」

斉藤 「もともとは、海外や商品、いろんなものを経験しましてね。その後、それまで経験していなかった総務や企画、というものを担当させられたので徹底的な合理化経営をやりました」
久保利「うんうん」

斉藤「管理会計制度を導入して、かなり厳しい経営を(しました)」
久保利「なるほど、なるほど」
斉藤「上には社長、会長ぐらいしかおられないんですけれども。任せつつもなかなかこいつうるさいなという感じの立場だったと思います(笑)」
久保利「(笑)」

斉藤「野村證券というのは、当時はもう世界一か世界二かというところまでいってましてね」
久保利「そうですね」


斉藤「日本では、トヨタさんの次ぐらいの利益を出す会社になっていましたしウォールストリートでもよく「次はお前、何を狙ってるんだ」とメリルリンチとかモルガンスタンレーの連中にもよく言われてですね。「まさか世界を支配するんじゃないだろうな」と」
久保利「(笑)」
斉藤「言われたくらいにかなり拡張していたんですね」
久保利「なるほど」

斉藤「自分も、これはひょっとしたらいけるかもしれないという覚悟だったので、あの事件が、検察あるいは新聞から指摘されて、本当にショックだったんです」
久保利「なるほど」

斉藤「中でこんなことが起こっているという、ありえないということです」
久保利「ありえないと思うんです」
斉藤「戦争直後ならともかくもですね。まったくありえないことです 」
久保利「はい」

斉藤「これは抜本的に変えないと会社つぶれると思いましたんで、
代表権ある人はみんな辞めてくださいと」
久保利「はい」


斉藤「みんな大変ショックだったんですけど、専務以上の会議を毎週やってましたので、そこで「みんな辞表を書いてくれませんか」と言いまして「お前なんの権限があってそんなこと言うんだ」という人もいました」
久保利「(笑)あぁ」


斉藤「私は結構若造で役員になってましたから、先輩が多かった。
それでもまぁ強行しようということで」
久保利「なるほど」

斉藤 「バックアップしてくれたのは非常に若手です。さっきお話した法務関係の方々で、名前を出していいか、若松君とか」
久保利 「はい。おられましたね」

斉藤 「法務部長をやらせていた人ですね。彼らがこの会社を一緒になって変えましょうと」
久保利 「なるほどね」
斉藤 「変えないといけないということで、じゃあそうしようと言って委員会を」
久保利 「作ったんですね」


斉藤 「作ろうと。外部者によってですね。内部ではもうダメだということで外部者で本当に厳しい見方をなさる方をお招きしたいということを言ったら「ものすごい怖い人がいますよ」と」
久保利「(笑)」
斉藤「「いいですか」と言うんで僕は「そりゃ知らないけどいいよ」ということで」
久保利「会ったこともないんですよね」


斉藤「お会いしてません。確か若松が連れて行ってくれてですね、先生にお会いしました。先生の名前は私は知っていました。当時は今と違って総会屋が」
久保利「総会屋いましたからね、いっぱい」

斉藤「総会がある度に総会屋の話題が出てる時でございましたし、それと同時に先生のお名前もいろんなところに出てたように思います」
久保利「(笑)」
斉藤「ただお会いしたこともなかったしですね」
久保利「そうですね」

斉藤「当時私は法務部をはじめいろいろな部を管轄していたんですけど、例えば遠い支店で投資信託等をお客さんに強制的に売ったり。いろんな事件がありました」
久保利「はい」
斉藤「そういう時にローヤー資格のある者や、勉強していた部下を集めました」
久保利「はい」

斉藤「ところが、彼らを支店へ派遣するとですね。出張費がかかりますよね」
久保利「ええ」
斉藤「それから、先生方に相談しますからリーガルフィーが」
久保利「はい」
斉藤 「このフィーを全部支店にチャージするという制度を作ったんですね」
久保利「ほぉ」


斉藤 「だから悪いことをして、どこどこ支店は利益が出てます。昔は支店別表彰制度なんかありましたからね」
久保利「(笑)」
斉藤 「当然、走るわけです、みんな。それがギリギリを超えて走る。それをなんとかコントロールしなきゃいけない」

斉藤「これはもう口とか精神論でいくよりもですね。数字で争わせてるんで数字が落ちるという現象を起こすと規制されるということですね」
久保利「なるほど」
斉藤「不正をやってそれにかかったコストは全部お前の支店のチャージだと。本店はもたないと」
久保利「なるほど」
斉藤「いう制度を作った。これでバタバタバタッと不正が落ちていくという」
久保利「(笑)減ったんですね」

斉藤「当時法務部は文書をチェックしていたんですけど、少しアクションをとる法務部に変えましてその為にスタッフは結構たくさんになってました」

斉藤「その人たちが、あなたがそういうことを考えているなら委員会を作ってしっかりやりましょうよと。で、先生はおられますよというので」
久保利「(笑)なるほど」

斉藤「じゃあ、おっかない先生のところへ連れて行ってくれと言ってお会いしました」
久保利「そうですね」
斉藤「はい」


久保利「僕はその頃はもう野村なんてね。第一勧銀、四大証券事件と言われて」
斉藤「はい」
久保利「四大証券がみんなやってたんですね」
斉藤「そうですね」

久保利「大銀行もやってたわけですよね。だからそんなものはつぶれちまえ」
斉藤「そうでしょうね(笑)」
久保利「と言っていました」

久保利「野村なんか偉そうにしてるけどそんなもんつぶれちまえと言っていたものですから。その人を内部管理役員会の役員にするというのは相当」
斉藤「一番効果ありますからね。でも、それが(笑)」

久保利「氏家さんが、座っているだけで恐ろしい人がいいとおっしゃっていただいたけれども」
斉藤「氏家さんはですね。実は彼は野村證券に入社していないんですね」
久保利「ほぉ」

斉藤 「我々は入ると同時に支店にばらまかれて、必ず訪問外交で」
久保利「長崎とか、ああいうとこへ行ってやったんですね」
斉藤 「私は長崎ですけど。投資信託を、株を売って歩くとか当時はノルマがあって、達成しなかったら、夜1時でも2時でも働けという会社だったんでですね。それに耐えた連中の集団だったんですけど。氏家さんは、実は日産自動車」
久保利「はい」

斉藤 「彼は確か、留学生でシカゴへ行って、フリードマン(注:ミルトン・フリードマン/アメリカの経済学者)かな?の下に行って」
久保利「そう、フリードマン。シカゴ大学ですよね」
斉藤 「そこから、なんでかどうなのか知りませんけど野村證券を選んできたんですね」
久保利「ほぉ」

斉藤「野村を次は誰にやらせるかということが課題になったわけです。この野村を再生する。するんだけども戦後の歴史を、勉強しているとどうしてもこの断ち切れないものがあると」

斉藤「北裏さん(注:北裏 喜一郎氏、野村證券元社長)という尊敬できる先輩は「清流を汚すな」というちょっと意味不明な言葉を残して去ってるんですね」
久保利「(笑)」


斉藤 「実はこれだったんだなと思ったんですけど「清流を汚してる」ということです。要するに今でもあるかもしれませんけど、先輩から後輩に見えない世界で受け継いでいく世界」
久保利「なるほどなるほど」

斉藤「ここはアンタッチャブル。これは先輩がやったことだから。というのがあるんでこれを断ち切ろうと思ったんですね」
久保利「なるほど」


斉藤「断ち切るには、誰がいいか。何も知らないのが一番」
久保利「知らない人がいい(笑)」

斉藤「ええ(笑)だから野村證券を氏家さんに本当に悪いけど、彼はほとんど野村證券知りません」
久保利「なるほど」

斉藤「僕は彼を部下として何回か使ったこともあったしですね。能力もあったので周りには「なんで氏家君だ」という声はあったんですけど」
久保利「うん、ね」

斉藤「答えは「火星人だから」って。僕は答えていたんですけどね(笑)」
久保利「宇宙人とか火星人とか言われてましたね」
斉藤「宇宙人とか火星人とか言って、それがまた問題になったりしましたけど(笑)」
久保利「(笑)」

斉藤「新聞にまでそういうことしゃべっちゃって。つまり過去の野村を知らない人間にやらせることによって」
久保利「なるほど」
斉藤「新しい野村に生まれ変わらせようという考えがありまして」

斉藤「そこで、とにかく遮断しよう遮断していただく。なかなか厳しい役割をどなたかに」
久保利「(笑)」
斉藤「やってもらわないと。そこをあいまいにやってもらうとですね。またなんかズルズル表だけあれして」
久保利「きれいにして」

斉藤「はい。きれいにして。実は、地下水は汚れてると。これはもうこの会社の命をとってしまうと思いましたし」
久保利「なるほど」


斉藤「我々、何代か野村徳七以来一応のそのへんのプライドはあったんでですね。なんとかこれやらなきゃいかんと」
久保利「なるほどね」
斉藤「思いまして、先生に」
久保利「僕も驚いたけれども、みんながそんなにね」
斉藤「うん」

久保利「僕みたいな者が「つぶれちまえ」なんて言ってる敵ですよね。野村にとってはね。だけど、敵を味方にして、思い切り悪いところをぜんぶえぐってきれいにしようという覚悟があるならば、じゃあやってみようかという気になりましたよね」

斉藤「ありがとうございます。ま、もちろんあの社内、ちょっとあとになりますけど。なんでこんな厳しい先生を誰が選んだんだとかね(笑)」
久保利「問題になるでしょうね(笑)」
斉藤「それは知らん顔してましたけどね(笑)「誰だろうね」とか言って(笑)」

久保利「そう。僕まず「香典、持って行くな」と言ったんです」
斉藤「(笑)」
久保利「「1万円ですよ、香典、たった1万円」「そうじゃないだろう。あんたら突然1万円札が立つような束になって持って行く香典が本当にないのか」と言ったら、なんかみんなピシッとしないから」
斉藤「(笑)」
久保利「「じゃあ、とにかく1万円でもダメ」って言って、香典をやめて」

斉藤「そうですね」
久保利「あとは受付を支店長が一生懸命やればね。ご遺族の人たちはよくわかってくれるよと」
斉藤「あぁ」
久保利「いう話をして、証券界の現場も何も知らない僕がね」

斉藤「先生がお入りになって、私はもうそこですぐ」
久保利「いらっしゃいませんでしたね」
斉藤「引いていきましたんで。ただ、ちょっとだけ数ヶ月、別の棟にいたときになんとなく先生が厳しいんだと。誰だこれを選んだのは。とか」
久保利「(笑)」

斉藤「退職金をちょっとね」
久保利「はい」
斉藤「いろいろあれされましたんで退職金がどうももらえないらしいと」
久保利「うん、うん」
斉藤「誰だ、これ」
久保利「不満が出てくるわけですね」
斉藤「ええ。ありましたね。それは私は、まあ黙って横向いてましたけど、はい」
久保利「なるほど」
斉藤「(笑)」


久保利「退職金がもらいたいと。もらいたいって自分で使うんじゃなくて、ようするにドネーションをね」
斉藤「はい」
久保利「これで失脚をしてしまった人たちに、ドネーションしたいと」
斉藤「はい」
久保利「ドネーションというのは、そういう不浄な金からつくるもんじゃなくて」
斉藤「(笑)」
久保利「自分の身銭をきらなければ、ドネーションじゃないから。そんな趣旨に反するんじゃないの?って言って、確かにそれも僕、否定したかもしれませんね」

斉藤「先生は否定なさったのかもしれません。ただ、私たちはもうこれはやりましたね、やっぱり。今の時代にあるのかどうか知りませんけど、退職金を我々もらう資格はないんじゃないかという気もあって。出た人で、ファンド作って」
久保利「うん、ね」
斉藤「もらわなかった人にお渡しするということは、昔々ですけどやりました」

斉藤「私はまったく後悔はなくてですね。なんとしてでもこの会社自体を
やっぱり世界一の会社にしたいという気持ちが」
久保利「はい」
斉藤「ずっとありまして」
久保利「その意欲というのは、ひしひしとわかりましたよね。そのためにきれいになるんだと」
斉藤「そうです」


斉藤「いやー、検察庁に私、やっぱり何回も呼ばれて」
久保利「ええ」
斉藤「取り調べっていうんでしょうか。事情聴取うけたんですけども。あまりにも会社の経費が私が財務担当になってから急減してるんですね」
久保利「うん」
斉藤「取り調べの検事がですね「お前、この金どこに隠した」って」
久保利「(笑)」
斉藤「なんか「菓子箱に入れてどっかへ届けただろう」とか」
久保利「(笑)」

斉藤「「先生ねえ」」
久保利「悪代官みたい(笑)」

斉藤「「それ、先生の心がそういう風に見えるんです」と。僕はこれは必死でちゃんと数字を入れて」って。本当にあの専務会というのではみんなが「やめてくれ」って言ったんですけど使ってる経費というのがあるんですね」
久保利「はい、はい」

斉藤「役員、代表権持つとある程度使える」
久保利「ええ」
斉藤「これ一人ずつ名前挙げてですね。「今週は、誰々さん、いくら、今週は、いくら」と言って」
久保利「(笑)」
斉藤「やってたんですよ。「合計もう数千万円お使いになってます、ちょっと使いすぎだと思います」とか言って、それがまだ一番ペーペーの」
久保利「ペーペーの」


斉藤「私、意外と早くなっちゃったもんですから。ペーペーで歳はですね」
久保利「年頃はね」
斉藤「先輩に向かってですね「ゴルフのやりすぎじゃないですか」とかね」
久保利「(笑)」

斉藤 「「銀座で飲みすぎておられませんか」とか言うもんだから「お前なあ、何を偉そうに言うんだ」とよく言われました」
久保利 「いやいや」

斉藤 「ただそうやって経費とか、無駄なものは全部表に出るようにしていきましてね」
久保利 「透明性ですね、やっぱり」


斉藤 「はい。それはだけどほんとうに、検事さん自体がびっくりしたぐらいの」
久保利 「なるほど」
斉藤 「だから、そのまますっとこのウォール街で勝つ会社にしたかったんでですね」
久保利 「たしかにね」
斉藤 「今思っても残念なんですけどね」


久保利 「まあね。時代っていうか、仕方ないというか」
斉藤 「はい」
久保利 「そのあと、いろいろこう僕も野村の社外取締役として」
斉藤 「はい」

久保利 「リーマンをどうするこうするっていうのも」
斉藤 「ありましたね」


久保利 「関与しましたけど。だけど、みんな意欲としてはね、何とか昔のっていうか、前の時代の世界で通用する野村になりたい。ドメスティックの地場の証券会社みたいなものを大きくなったというだけではつまらんと」
斉藤 「はい」
久保利 「いうことは、ほんと必死で考えてましたよね」

斉藤 「そうですね。妙なプライドになってたかもしれませんけど、我々の先輩の瀬川美能留(注:元野村證券社長)とか奥村綱雄(注:元野村證券社長)というのが、戦争から帰ってきてですね。関西の小さな、小さなというとあれですけど、中堅の証券会社でしたから」
久保利 「なるほど」

斉藤 「それが東京へ出て、宴会すらやらせてもらえなかったっていうぐらいの会社だったのを、とにかく頑張って、そして留学生もですね、誰よりも早く海外留学生を出して」
久保利 「なるほど」

斉藤 「ウォールストリートに旗を立てると。ま、戦前から出てるんですけれども」
久保利 「はい」

斉藤 「東京銀行、当時の、今の三菱UFJのメンバーですけど、東京銀行と野村證券と三井物産だったと言われるぐらい」
久保利 「なるほど」
斉藤 「ウォールストリートには、早く出てるんですね」
久保利 「そうですよね」

斉藤 「はい。そういうこともありまして、たまたま私も伝統あるウォールストリートに派遣されたということもあってですね」
久保利 「ロンドンかニューヨークかと聞かれて、ニューヨーク。とおっしゃった」

斉藤 「ええ。私は留学生でもなんでもなくてですね」
久保利 「現場で働いてて」
斉藤 「それこそ長崎支店、堺支店というところで、どぶ板ふんでた典型的な株屋の売り子でしたんで。そっからポーンとニューヨークへ。海外行かす、行かせるけど、ロンドン行きたいか、ニューヨーク行きたいか。なんにもわからないですよね」
久保利 「(笑)」

斉藤 「だけど、なんとなくアメリカがいいよなと思って」
久保利 「なるほど、なるほど」
斉藤 「ニューヨークにしたんですけども。これは非常に私にとっては勉強になりましたけどもね」

久保利 「それからずっと結局ニューヨークベースみたいな感じでお仕事してらっしゃるし」
斉藤 「勉強になりました。やっぱりニューヨークも非常にインノバティブで。今使われてるその先物ですとか、デリバティブですとか、ああいうものは当時開発されたんですね」
久保利 「そうですね」

斉藤 「マサチューセッツ工科大学とシカゴ大学を中心に。これを身をもってマスターというか学ぶことができまして、そして日本に持ち込むという役割もやらしていただいたんで、非常に勉強になりました」
久保利 「なるほど。まあそういうことを野村の中でやってこられて、ニューヨークに行かれる」
斉藤 「はい」

久保利 「そして、日本人となるべく付き合うなと」
斉藤 「そうですね」
久保利 「三國さん(注:三國陽夫氏。野村證券出身の証券アナリスト)のアドバイスもあってね」

斉藤 「そうです、これは彼のアドバイスです。本当にアメリカ3年行ってきました。実はお友達は日本人ばっかりです。やってきたのは麻雀です。なんていうのは、本当に多かったです」
久保利 「多かったでしょう」

斉藤 「ええ。三國君は同期だったんで。彼はフルブライトで、先にアメリカに渡ってたんでですね。で、ウォールストリートで働いて帰ってきてたんで「三國君、アメリカに行くことになったんだけど、どうしたらいいんだ」
って言ったら「日本人と付き合うな」と言ったんですね」
久保利 「なるほど(笑)」

斉藤 「麻雀するな」
久保利 「麻雀するな」


斉藤 「とにかくアメリカ人の友達をたくさん作れと言ってくれまして、これはほんとうにいいアドバイスで、いまだに昨日もその頃の友達から、アメリカ人、もう75歳、80歳ですけど、メールが来て「スイミングの本を読んでるけど、これに江戸時代のジャパンスイミングというのがあるけど、これはなんだ」とかね(笑)」

久保利 「日本泳法ね(笑)」
斉藤 「(笑)日本泳法」
久保利 「水府流とかね」
斉藤 「日本、JAPAN EIHOって書いてあるらしいですよ(笑)」
久保利 「JAPAN EIHO(笑)」

斉藤 「「それはなんだ」とかね(笑)」
久保利 「平泳ぎと伸し泳ぎなんですよね」
斉藤 「そうそう(笑)だから、いまだにそういうもう仕事の上でも」
久保利 「いいですね」

斉藤 「ほんとにファーストネームで呼び合う。ずっといまだにですね、これは宝で。やっぱり三國君のアドバイスというのはありがたかったですね」

【斉藤惇 PROFILE 】
日本プロフェッショナル野球組織コミッショナー/KKRジャパン KKR Global Institute シニアフェロー

1939年生まれ
慶應義塾大学商学部卒業

野村証券株式会社代表取締役副社長
住友ライフ・インベストメント株式会社代表取締役社長・会長等を歴任
2003年4月~2007年5月株式会社産業再生機構代表取締役社長
2007年6月東京証券取引所の代表取締役社長
同年8月株式会社東京証券取引所グループ取締役兼代表執行役社長を兼任
2013年1月~2015年6月
株式会社日本取引所グループの取締役兼代表執行役グループCEO
2015年8月
KKRジャパン会長
2017年11月
日本野球機構会長
2017年12月
KKR Global Institute シニアフェロー就任

 


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