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今日見た映画(2020/06/27)

・ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語 監督:グレタ・ガーウィグ(2019年)

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そもそも若草物語を読んでいないので原作との違いなどを語ることはできない。映画を見てから言えるのは「若草物語」と「続・若草物語」のストーリーを絶妙な語り口で描いているということ。現在進行形で登場人物に起きていることを示す時間軸。過去に何が起きたのかを示す時間軸。この2つの間を行ったり来たりしながら結末へと向かっていく。例えば主人公のジョン・マーチと近所の金持ちの息子ローリーがドラマチックな出会いのシーン。セオリー通りに進めば「二人は結婚するんだろうな」という想像力が働く。しかし映画の前半でローリーはジョンにフラれたことが暗示される。いつ・どこで・どのように・なぜ?という疑問が観客の頭の中には浮かんでくる。でも簡単に答えは与えない。ぶっちゃけかなりひっぱる。でもそれだけにジョン・マーチが抱える寂しさ、喪失感、未来への不安に感情移入できる仕掛け。女性の社会的地位の低さ、結婚することで失うものを4人姉妹の青春時代から生き生きと伝える。時代や文化的背景は違うものの現代に地続きでつながる物語。いい意味で予告編を大きく裏切ってくれる作品だった。あと、ティモシー・シャラメ(男)の美貌に刮目せよ!

スタッフロールもきちんと書籍の体裁を再現していてよかった。個人的には本作においてメリル・ストリープが果たした偉大な役割&フードスタイリストの仕事に興味がある。

・ロレーナ:サンダル履きのランナー 監督:フアン・カルロス・ルルフォ(2019年)

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主人公のロレーナはメキシコ先住民 タラフマラ族の出身で1995年生まれ。辺ぴな山岳地帯で家族と暮らしている。外見は他の先住民の娘たちと全く変わらないが彼女には類稀な才能がある。長距離ランナー、それもウルトラマラソンの優勝経験者なのだ。サンダル履きにスカートをたなびかせて険しい道を走り、他の選手をどんどん抜いていく。ゴールすると世界中からやってきた参加者や観客から記念写真を求められる。アイコン化されていることには若干ウンザリしているようだ。しかし走ることについて語っている時の表情は心から楽しんでいるように見える。「ランニングシューズは持っているけど走りにくいから履かない」と言う姿は痛快だった。たった28分の作品なので物足りない気もするが、密着取材を通して下手に生活に介入しすぎると彼女の人生狂わせてしまう結果になりかねない。これぐらいの長さがちょうどいいのかも。

・わたしはロランス 監督:グザヴィエ・ドラン(2012年)

「わたしはロランス」本ちらし_ファンタジックラブver.

公開時にものすごい話題になったのでよく覚えている。絶賛する声も多い。映画の時代設定が2010年代だったら見え方も違うのだろうが、90年代を舞台にしているだけに、女として生きることを決めた主人公とそれを支えるガールフレンドへの風当たりが痛々しい。くっついたり離れたりを繰り返し、自分自身や周囲を傷つけながらエンディングを迎える。感情移入というより終始”気の毒”という気持ちになった。たぶんこの映画のメッセージを十分に掴みきれていない気がする。

・真珠のボタン 監督:パトリシオ・グスマン(2015年)

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『光のノスタルジア』に続いてチリの雄大な大地と、その土地でかつて起きた凄惨な事件を織り交ぜて語る作品。前半はパタゴニアの海に暮らす先住民が入植者によってどのように絶滅させられたのか。タイトルにもなっている真珠のボタンが何を意味するのか。聞いているだけでおぞましい。後半はピノチェト独裁政権による政治犯への残虐な拷問について。これについては前作でも描かれていたし、少し古いがナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』でも解説されていたが…改めて残虐さに言葉を失う。それにしてもパトリシア・グスマン監督。土地が持つ魅力とその場所で起きた歴史的事件を結びつける手腕が素晴らしい。同じ手法で関東大震災朝鮮人虐殺、アイヌ民族、琉球民族への仕打ちを描いたら大傑作が生まれるだろう。

・おいしいコーヒーの真実 監督:ニック・フランシス(2006年)

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今回のUPLINKクラウドの中で唯一見たことがある作品。確か公開当時にモーリー・ロバートソンのPodcastがラジオ番組で紹介されていた。エチオピアのコーヒー産地から6度の取引を経てスタバの客の手に届く頃には25倍の価格になっている。ニューヨークでの取引価格が生産者への搾取を加速させる。それに対してフェアトレードを掲げる取引相手を開拓しようとするエチオピアの生産者組合。彼らの涙ぐましい努力も牛歩のようなスピードでの変化しかもたらさない。コーヒーを買付する側の問題だけではない。農家は国から土地を与えられているため逃げることができない。与えられた土地はコーヒーか惑溺性のある植物チャットの栽培にしか向いていない。本当に家族を食べさせたいと思うならチャットを育てるしかない。こちらは買い手はいくらでもいて値段もはずむ。アフリカがコーヒー豆のシェアを占める割合も時代とともに変化している。発展途上国から安く仕入れて高く売る。プランテーションが始まって以降、人類史でずっと続いてきたビジネスモデルがいかに人々を苦しめているのか。不都合な現実を突きつけてくる。それでもコーヒーはやめられないのだけれど。

・パリ、ただよう花 監督:ロウ・イエ(2011年)

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ロウ・イエが描くカップルは異性・同性に関わらずろくな結末を迎えない(ブラインドマッサージを除く)今回はフランスに暮らす中国人女性とフランス人男性の物語。二人の出会いと別れ。お互いに既婚であったり、別の場所に交際している相手がいるにも関わらず関係を持ち続ける。人はそれぞれ複雑な事情があって表面に見せていないだけ。これだけセックスしているのに、やってもやっても相互理解が深まらないっていうのも残酷な話。計ってないけど映画全体で何分間この二人の肉体関係を見せられたことか。見方を変えれば単なるセックス依存症。これをフランス人監督が撮っていたら中国人コミュニティ激おこ案件だろうな。娄烨だから許されるのか?ちなみに主演のコリーヌ・ヤンはフランス生まれ。本作の撮影ではじめて北京を訪れたらしい。これ以降の出演作は不明。

・エンドレス・ポエトリー 監督:アレハンドロ・ホドロフスキー(2016年)

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いい加減手を付けないと見る機会を逃しそうなので鑑賞した。全く前情報を入れずに再生したら冒頭でいきなりあの3人家族が登場。それも前作で波乱万丈の人生を送り人格が変わったかに見えたあの親父が!まさかの全然変わっていない!相変わらずのマッチョぶりに心のなかで総ツッコミをかけてしまった。それにしてもホドロフスキーは身体欠損や小人症へのオブセッションが凄い。映画批評的な文脈から見れば象徴的な意味があるのだろうけど。両親からの知らせを受けて青年ホドロフスキーが焼け落ちた実家を訪れるシーン。瓦礫の中から母親のコルセットを掘り起こし風船にくくりつけて飛ばす。あの場面で一瞬だけ聞こえた歌声。おそらくオペラ歌手でもある母親役のパメラ・フローレンが歌っている。これ、ヴィラ=ロボスのブラジル風バッハ第5番のアリアじゃん。視覚的にぶっ飛んでいるのに、輪をかけて音楽でもメチャクチャ手が込んでいる。驚かされるばかり。表層的にはメチャクチャやっているようにしか見えない。しかし人に色がついていたり、ここでどのように動くのか、衣装はどんなものか、裸なのか、景色は…その全てにホドロフスキーなりの演出や意図がある。これを考えて、人に伝えて、形にできるのは映画監督と言うより偉大な芸術家に違いない。

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