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今日見た映画(2020/04/28)

・『今、僕は』 監督:竹馬靖具 (2009年)

悟は母との二人暮らし。「うっせ―、お前のせいでこんなになったんだ」とのたまう姿はステレオタイプなひきこもり。学生時代の友達とも疎遠。コンビニで買ってきた飯を食い、プレステで遊ぶ日々。ある日、母親の根回しで目の前に現れた青年に連れられてワイン工場で働き始める。「お母さんには前の職場で世話になった」と語る青年の手ほどきで、見様見真似で掃除や軽作業に取り組む。そんな日々も続くはずはなく、悟は仕事を投げ出してしまう。再び部屋に引きこもる暮らしを再開する。彼の部屋はある意味で精神的な安全地帯でもあり、社会との間に見えない結界が張られているようにも思える。映画の中盤でその安全地帯はあっけなく消えてしまう。孤立無援になった悟。助けを差し伸べようとする青年。拒絶する悟。永遠に続くかのように見えるやりとりのなかで悟は遂に自分の感情を爆発させる。無職の時期、仕事が少ない時期、鬱の時期。部屋にいる時間が長かったときのことを思い出した。カメラに映る悟の姿はかつての自分のよう。普通の社会生活を送れている人からすれば戯言に聞こえるかも知れないが、自分の意志で部屋から出ていかないこと、意志はあっても出られないことの間に明確の差など存在しないのだ。今、彼はどうしているのだろう。

・『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』 監督:スティーヴン・カンター (2017年)

ウクライナ出身、19歳で史上最年少の英国ロイヤル・バレエ団プリンシパルとなったセルゲイ・ポルーニン。幼股関節が柔らかいことに目をつけた母親は幼い頃からセルゲイに体操を習わせる。小学生ぐらいにさしかかると「体操orバレエ」の選択を迫られる。迷わず親はバレエを選ばせ、両親、祖母などは海外に出稼ぎに。一家の希望であるセルゲイのために全精力を注ぎ込む。さらに夢は大きくなり母親は息子をロイヤル・バレエ団のオーディションに送り込む。息子セルゲイは自分がバレエに打ち込めば家族を再び一つにできると信じて踊り続けるが。残念ながら両親は離婚。若くして才能を爆発させつつも内側には両親の失望を抱えている青年の姿が記録されていた。鍛え抜かれた肉体に大きく刻まれたタトゥーが幾つか。肩に彫られたヒース・レジャー演じるジョーカーから醸し出される「こじらせ男子感」。嫌いじゃない。コカインを吸うとよく踊れる、なんて発言が許されるのも海外ならでは。結局セルゲイはロイヤル・バレエ団を電撃退団し、新天地ロシアへ。ゼロからスタートして再び頂点に上り詰めるも再び引退。その際に踊ったビデオが最後に流れるのだが、まあかっこいい。やめるやめる詐欺の印象も無きにしもあらずだが、頂点を極めた人だけが感じる孤独や虚しさみたいなものが漂っていてよかった。

・『帰ってきたヒトラー』 監督:デヴィッド・ヴェンド(2015年)

第二次大戦中のヒトラーが現代に登場してドイツ社会を引っかき回すドタバタ劇。最初のうちはコメディーとして見ていられる。いや、最後までコメディータッチは貫かれている。でも笑えない現実が各所に散りばめられている。歴史上のヒトラーは狂気の人としての印象が強いが、もし現代に蘇れば彼は巧みに、ときにユーモアを交えて人々を扇動するのだろう。本物のヒトラーを目にした人々が最後まで彼をコメディアンと疑わないところが示唆的だ。狂気に満ちた演説より、緊張と弛緩のバルブを絶妙に操りながら民衆の不満を増幅させていく。笑いを交えながら「祖国のために死ねるか」「シェパードとダックスフンドは種族が違う」などと問いかける。ヒトラーが民衆を支配したのではなく、民衆が道具としてヒトラーを選ぶ。ヒトラーは人々そのものなの、という恐ろしい結論を観客に突きつけて映画は幕を閉じる。さて、我々は何を見せられたのか。ワイドショーでは映画と同じ光景が繰り広げられている。油断をすればいつでも奴らは帰ってくる。あと、ポスターの犬に悪意を感じる。

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