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何者でなくてもいい。”私の感覚”は”私の感覚”のままで。

「大切なことは、身体が教えてくれた。」

『変な奴だ』『こいつ、何言ってんだ?』と思う人もいるかもしれないけど、私は本気で思ってる。

「大切なことは、身体が教えてくれた。」


お客様の身体に触れながら感じることを、自分の身体でも試す。

自分の身体に触れているうちに、自分でも気づけなかった”自分の気持ち”に気づいた。

お客様の身体に触れて、お客様の心の声を聞くうちに、自分の心の声に気づいた。


お客様のことも、自分のことも・・・全部、身体が教えてくれた。


自分の中にしまい込んだ感情も。

自分でも気づかないうちに蓄積された感情や体験も。

自分の心の声も。

自分が今、何をすべきかも。どこに進むべきかも。

人との距離感も、付き合い方も。

生き方さえも。


簡単には思いつかないくらい、言葉にできないくらい、たくさんのモノを教えてくれた。そして、癒してくれた。

こんなことを書いてると、『たくさんの人に気持ち悪いと思われるだろうな』と思う。

だけど、感覚的にそう感じてきたんだから、仕方ない。

たとえ、見知らぬ誰かに『気持ち悪い』と思われたところで、自分の感覚を抑え込む続けるよりもいいだろう。…と思いたい。


※※※

本当はね、『教えてくれたのは、本当に身体なのかな?』と疑問にも思う。

セラピストになる前、身体のことなんて知らない頃から、たくさんの気づきがあって、たくさんの事を学んでる。


人との出会いや、関わりの中で学んでいることも多いと思う。

だから教えてくれたのは、身体じゃないのかもいしれない。

昔から、ふと思いついたこと、いつのまにか頭の中にある答えが、的を得ているような体験がある。

”身体”よりも、それの方が大切だと思ってる。

だけど、それを何と呼んでいいのかがわからない。名前を知らない。


『私には、ものすごい洞察力がある!』と思ってた。

だけど、それじゃ説明のつかないことがたくさんある。

友達が言う「変わってる子」というのは、何が変わってるのかなんてわからない。「癒される」は、何によって、どう癒されているのかが詳しくわからない。

私は変わり者でいたいわけじゃないし、誰かを癒すために友達でいる訳じゃない。

ただ、私は私なんだ。

私が何者かなんてどうでもいい。


ただ私は、私でいるだけなんだと思う。

感覚的に話し、なんとなく行動する。心の中は不安や悩みでいっぱいになる時もあるけど、それでも最終的には、答えは決まってる。

なんとなく、人の心に寄り添うことが好きだったりする。人の痛みに敏感で、困っていたら声をかけたくなる。声をかけれないとソワソワする。

それだけ。


誰かが勝手に、「霊感だ」「チャネリングだ」とか、スピリチュアルな事にしようとする。

スピリチュアルなことなんて信じていないくせに、「それがスピリチュアルなモノなのか・・・」と自分にできないこと・理解できないことを見えないモノに押し付ける。

私は、そういうのが好きじゃない。

私の感覚に、勝手に名前を付けないで。

居場所なんて、自分で決めるよ。


例え、誰かの言うモノが正しかったのだとしても、私はそれを意識的にやってるわけじゃない。私は、私だ。

”私の感覚”は、”私の感覚”なんだ。

”私の感覚”が何者かを誰にも決められたくない。

制限なんて作らずに、ただ自分の感覚を表現したい。


※※※

「私の感覚は、私の感覚だ。」と言いながら、「大切なことは、身体が教えてくれた」と言って、自分の感覚を身体のせいにしていたのかもしれない。

そんなことを思った。


自分の感覚なのに、自分でも説明のつかないことがたくさんある。

本当は、心のどこかで、自分の感覚を表現する事さえ恐がってるのかもしれない。


素直に表現すると、自分で予想していた以上に、かっこいいことを言ってることがある。

誰かに憧れてほしいわけでもなく、『特別だ』と思われたいわけでもない。私はただ普通でいたいんだ。

だから、自分の歩んできた道や悩んできたことまで、素直に書いていきたいのかもしれない。


『この人すごいな』『天才だな』と憧れる人もきっと、自分の感覚を大切に育んだだけで、ただの人なんだ。

私もただ、私のままでいい。




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