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そのまんまの私で、素直に、自由に、楽しんで表現していきます

ここ数日、石垣島に来てからのノートを見返してる。
『あぁ、そういうことだったんだ』『これは自分で引き寄せたことだったんだ…』『すごくイヤな思いをしたと思ってたけど、そこには愛情があったんだな』と、たくさんのことに気づけた。

今日は、「文章を書くこと」についても考えてた。

誰かは、『どうやって』を考えず、『どうなりたいか』をイメージするのだと言った。
だけど私には、『どうなりたいか』がわからなかった。

…正確には、『どうなりたい』を想像した時に、『あれも、これも…』がたくさんありすぎて具体的な形がわからなかったんだと思う。
しかも、それが複雑に絡み合っていて…、今の私には具体的に想像できなかったんだと思う。

セラピストになる時もそうだった。
今考えても、あの頃の私に想像できるのは、今の私ではなく、もっと普通のセラピストだったと思う。
具体的な想像をしなかったから、今の私になったんじゃないかなって。

※※

今日、ふと思った。
私の原動力は、『楽しい』なんだと思う。
そこには、『誰かのため』とか『叶えたい何か』があったりもする。…だけど、それがどんなものであっても、『楽しい』がわたしの原動力になってるような気がする。

私はきっと、「自分らしく、自分の世界の中で楽しむこと」がすごく好きなんだと思う。
他人がどう思ってるかとか、自分の世界を表現することで他人にどう思われるかではなく…、ただ、自分の世界を自由に、楽しく表現していたいだけなんだと思う。

セラピストとしてマッサージしてた頃も、そうだった。
きっと誰かは、『マッサージに「表現」なんてない』と思うんだろうなって。
だけど私にとってのマッサージは、1つ1つが繋がった1つの作品のようなもので、私なりに、その時に、その瞬間に生まれる感覚を表現した作品のようなものだった。
1つ1つの手技が、1つ1つの体の動きが繋がって…、最終的に、体や心が繋がった一つのバランスになる。身体・心・エネルギー…全てを一つに繋げることが大切だった。
そこにどんな感情を乗せて、体とどんな会話をして、そんなエネルギー状態で、なにを整えて…。
それを制限されることも、監視されることも、途中で遮られることも…いやだったんだなって。
人と寄り添って、繋がって、一体化して…、そうやって1つ1つの作品を作り上げていくような…、自分の感覚を最大限に表現していく感覚が、すごく幸せで、楽しかった。

私はただ、楽しんで、自分の感覚を表現していたかったんだなって。


※※

私はずっと、文章が書けなくなったことに焦ってた。
『ブログを書かなきゃ』『早く形にしなきゃ』『早く結果を出さなきゃ』って、いつもいつも焦ってた。

何度も何度も、「ブログを通じて、何を伝えたいのか」を考えてた。
「ブログの先に何があるのか」を考えてた。

…考えても考えても、動けなかった。
先に進むことはできなかった。

「どんな内容の、どんな形のブログにすればいいのか」も何度も何度も考えようとした。
だけど、うまく考えることができなかった。

『とにかく、書くしかない』
それが私の答え。

…だけど、書けなかった。

それはきっと、私の大事な原動力がなかったからなんだと思う。
『楽しい』がなくて、そこに愛や情熱が生まれなかったからなんだと思う。

だからね、『何を書くのが正しいか』とか『何を書けば、その先に繋がるか』みたいなのはどうでもよくてね。
今の私は、自分の『楽しい』を優先させて、自分が書きたいことを自由に表現してみようかなって思うの。

それが誰の迷惑になるかとか、それを誰がどう思うかとかじゃなくてさ。
今の私はただ、自分の『楽しい』を優先させて、自分らしく自由に表現してみたいなって。

それがどんな形のモノになるのか、それがどうなっていくのか…、それは後からわかることだからなって。
結果が出たら『よかったな』って思うかもしれないし、結果が出なくても『じゃぁ、今度は何をしてみようかな?』って考えるだけだもんなって。

…今は、そんな気持ちになってる。


きっと明日、東京行きの飛行機の中で、いろいろと考えるんだろうな~って。


※※

石垣島に来てさ、すごくしんどい日が続いてね。
うまく笑えなくなって、何も考えられなくて、動けなくて…、ご飯も美味しくなくてさ。
後から気づいたの。『鬱っぽかったんだな~』って。
もうね、いろんなバランスが崩れて、消えなくてしょうがなくなったりもしてね。

…思ったのよ。
『心に素直に、自分らしく生きたい』って思ってたくせに、『お互いに尊重しあえる関係性』『自分らしくいることを受け入れあえる関係性』を求めてたのに、
石垣島に来てまで、何やってるんだろうなって。


昔はね、『やりたいこと』が少しでもできれば、こっそり『やりたいこと』をできればよかったの。
その『ほんの少し』も楽しくて、幸せだったから。

だけどさ、『自分の心を抑えこんで我慢しなきゃ』が薄れていって、『もっと自分らしく生きたい』『もっともっと自分の感覚を自由に表現してみたい』って思うようになった。

自分の心を抑え込んで我慢してる人を見てるのが苦しくなって、『もっと自分らしく生きれる人を増やしたい』って思うようになった。
そのためには、わたし自身が『もっともっと自分らしく生きて、もっともっと自分の経験や感覚を表現できる人になりたい』って思うようになった。

だけどさ、自分らしく生きることも、自分らしく表現することも、すごく恐かったの。
だから、ずっとずっと逃げようとしてた。
自分の心が感じてることをわかってるくせに、現実に向き合わずに必死に逃げて…、逃げる理由を、できない言い訳をずっと探してたんだと思う。できない状況をずっとずっと自分で引き寄せてたんだなって。


石垣島に来る時、『ラストチャンスだ』って思ってた。
…正確にはラストチャンスなんかじゃないと思う。だけど私は、そういう覚悟で『今度こそ』って思って石垣島に来た。

それでもずっと、決断できなかった。…自分では想像できない、未知の世界の扉を開くのが、ものすごく恐かった。

…正直に言えば、今もまだ不安はあるし、恐いんだと思う。
だけど、「マッサージ」「ヒーリング」「話すこと」みたいな形に逃げる道が断たれた。
「石垣島に住む」「ただ生活するために仕事をする」という選択肢も断たれた。
…正確には、『逃げ道を断たれた』という流れを感じてるだけで、無理やり逃げることもできる。けど、私に「逃げる」という選択肢がないんだと思う。

だから、『自分の感覚を自由に表現すること』に集中するために、東京に戻ったほうがいいかなって。


どんなにかっこいい言葉を並べようとしたところで、『東京に帰ろう』と決めた時の私には『逃げたい』気持ちがあったんだと思う。

石垣にいてもさ、困った時に『頼りたい』って思う人に頼ることができなくて、『会いたい』と思う人には距離を置かれてて…。
頼りたい人がすぐ近くにいるのに、頼ることもできず…、辛い状況の中で一人で自分自身と向き合わなきゃいけなかった。
…それが、自分を成長させるという意味では、すごく価値があったことはわかってた。それでも、こんな思いをするくらいなら、物理的に会えない距離があったほうが安らげるんじゃないかと思った。

だけど最近は、『あの人が頑張ってるなら、私も自分のことに集中して頑張ってこようかな』って思ってる。

私ね、2月の頭にノートに書いてたの。
『依存・執着をなくして、自立した状態にならなきゃ』って。
だから、自分で望んだことだったんだって、今はわかってる。

鬱っぽくなったのだってさ、「マッサージ」に逃げようとしてた私の逃げ道を断つためだったんだなって。そんな感じがしてる。


…ちょっとね、今日は頭がぼーっとしてて、思考が行ったり来たりしてて、うまくまとまらない。脱線してる…。

でもなんかさ、思ったのよ。

石垣島に来てから、自分の中の不要だったものをそぎおとされて、逃げ道も断たれて…。
『本当にやりたかったことだけやりなさい』って言われてるような気がする。

「あなたが本当に心から『やりたい』と思ってる、『楽しい』と思って行動できるものだけをやりなさい」って、言われてるような気がする。

「私が何かを持っていて、何ができて、メリットがあるから愛してくれる人・大好きでいてくれる人」じゃなくてね。
「どんな私でも、私がわたしらしく楽しんでいることを愛してくれる存在・大好きでいてくれる存在」がたくさんいることを、石垣島に来てから感じてる。

…なんというか、私がわたしらしく楽しんでること。…そのまんまの私でいいんだな~って。
そのまんまの私で、素直に、自由に、楽しくしててもいいんだなって。

そんな私を大好きでいてくれる人たちがいて、そんな私が生み出すものを楽しみにしてくれてる人たちがいる。
それってすごく幸せなことだなって。

…本当はさ、今までだって、そう思ってくれてる人たちがたくさんいたんだなって。だけど、私はそれに気づけなかった。

何年も何年も逃げ続けたけどね、このタイミングで、今、今度こそ、ちゃんと自分を貫くことのできる私でいたいなって。


…あぁ、今日のnoteの内容がもう全然わかんなくなっちゃたんだけど…。
きっと、自分の中で覚悟を決めたかったのか、宣言したかったんだと思う。

「私は、自分らしく自由に楽しんで表現していきます」「私は、そのまんまの私で、素直に、自由に、楽しんで表現していきます」って。

きっとこれは、私が今、1番大切にしたい感覚だから。

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