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おーうぇるさん

わたしが「愛国心」と呼ぶのは、特定の場所と特定の生活様式にたいする献身的愛情であって、その場所や生活様式こそ世界一だと信じてはいるが、それを他人にまで押しつけようとは考えないものである。
『オーウェル評論集』岩波書店、P308

「ナショナリストはすべて、過去は改変できるものだと信じている。」
小野寺健編訳『オーウェル評論集』岩波書店、P323

敬愛するオーウェルだが、実は動物農場、1984、カタロニア讃歌くらいしか読んでいない。もしかして他も読んだかもしれないが、忘れてしまった。そもそも、誰かに傾倒はしない性質の私だからその程度で問題ない。

でも、評論集を読めば、なんと、オーウェルには非常に失礼極まりないが、私が捻り出した自分なりの哲学と思っていた言葉たちで溢れている。
これは、どういうことだろう。
オーウェルの亜流みたいな人の本を読んで知らず知らずのうちに感化されたか。
それとも逆に、オーウェルが感化された誰かに私が出会っていたのか。
本以外のところで、出会っていたのか。

私の哲学は、自分との対峙の連続から産まれてきた。頭をフル回転して、突き当たった壁に抗おうと思考を繰り返してさらに絶望した果てにある諦観のようなもの、不条理と対峙する覚悟のようなものから形作られていた。

…と生意気にも思っていたことが、めちゃくちゃ他の人も同じことを語っていた、そんなことがたくさんある。

てへ

真っ白の中から私が産み出した思考なんて、ないのかもしれない。

それが、私が人文学を愛してやまない理由なのか。思考というものは、非常に興味深い。

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