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もっと親孝行したかった 第二の人生は人つなぎ 石巻市鋳銭場 木村 正さん

 「十三回忌か。もっと親孝行したかったな」。石巻市鋳銭場の木村正さんは天を仰いだ。「こうして上見ると、3月11日の星空を思い出す。なぜあんなにきれいだったのか」とつぶやく。

 当時、同市大瓜の特別養護老人ホーム第二和香園で事務長を務めていた。市内であった会議の帰りに震災に遭遇。波打つ道路。「このまま車が横転するのでは」とハンドルを握る手に力を込めた。施設は被災したが、入所者を含め、そこにいた職員も無事だった。

 翌日、内陸の稲井経由で女川町浦宿まで来ると風景が一変。車を置き、がれきの山を越えながら役場近くの家を目指した。基礎だけを残し、家は流されていた。父の正武さん(当時86)、母のきみ子さん(同80)を亡くし、妻の信子さん(63)も津波に襲われたが、病院に運ばれ、一命を取りとめた。

「人と関わるのが好きなんだ」と木村さん

 母は忘れ物を取りに行くと自宅に戻り、そのまま。津波が引くと自宅跡からすぐに見つかり、やむを得ず土葬にした。足が弱かった父は自宅裏の竹やぶに逃げたが、行方が分からなくなっていた。

 4カ月後、父は女川湾で見つかり、DNA鑑定で確認できたのは翌年1月。「おやじがよく釣りに出かけていた場所で見つかった。これは偶然なのかな」。

 石巻市中里地内の借家に住み、震災からちょうど100日後、妻が退院した。木村さんは震災から1年後に55歳で退職。同市鋳銭場に家を建てた。〝第二の人生〟は、震災後に石巻市に移り住んだ人たちとつながりを濃くした。

 牡鹿半島でツリーハウスの整備を手伝ったほか、現在は送迎ボランティア団体「移動支援Rera」、東松島市の旧野蒜小学校を改装した防災学習施設「キボッチャ」で働く。

手先が器用でキボッチャでも重宝される技術

 人望が厚く、面倒見が良いため、木村さんを〝パパ〟と呼ぶ人は多い。震災復興にかかわる事業やイベントにも加わり、行動力は年齢を感じさせない。「とにかく人が好き。ボランティアも好き」と語り、屈託のない笑顔を見せた。

 古里の女川町に行けば「土地空けているからな」と言われ、すかさず「もう石巻に家建てた」とかわす。気さくな人柄は人の輪も広げた。「俺も女川からの移住者。だからよそから来た人の気持ちも分かる。最初は皆が不安なんだからさ」と諭した。

 間もなく命日が訪れる。「小さい頃、おやじやおふくろと出掛けた記憶はよく思い出すんだ。でも震災後のことはあまり…。思い出すのがつらいんだろうな」。笑顔が消え、少し遠い目をした。

 「元役場職員の頑固おやじ。元小学校の先生だったおふくろ。もっと一緒にいたかったし、もっと親孝行したかったな」。あの日、地上の惨事とは裏腹に夜空は満天の星がきらめいていた。「きれいだったけど、思い出すとやっぱりつらいな」。【外処健一】





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