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ボランティアがいたから 物心支援に尽きぬ感謝 石巻市渡波 高橋 のり子さん

 石巻市渡波字栄田にある㈲高橋電気商会の高橋のり子さんは発災当時、事務所内で強い地震に襲われた。「柱にしがみつくのがやっと。上からエアコンが落ちてこないかおびえていた」と振り返る。大津波警報を受けて内陸に孫を連れて避難。この間、無人の店に津波からの避難者が垂直避難先を求めて押し寄せ、30―40人が2階に登って難を逃れた。「店に命を救われた」と、12年過ぎても避難者の感謝は絶えない。

 同商会は昭和49年創業。石巻市立女子商業高校や渡波中学校の真向かいで、中間を国道398号が通る。発災時は店内でテレビの個展(商談会)を行っており、それぞれの画面が緊急地震速報や巨大地震を報じる番組に切り替わり、入口のショーウインドーも割れた。

 南三陸町出身の高橋さんは、チリ地震や宮城県沖地震で津波を経験しており、避難を告げる警報後、すぐに家族の車で避難を開始。道中で孫たちも乗せて根岸地区の山沿いに逃げた。

ボランティアへの感謝を語る高橋さん

 高橋さんが避難を終えたころ、同商会前の国道は渋滞。津波が襲来したため、車を捨てて逃げた人たちが割れたショーウインドーから店に入り、2階へ逃げたという。流されてきたプール更衣室の屋根にしがみつき、同商会の屋根に飛び移って避難した人もいた。

 「店を建てる際、重量鉄骨にしたので津波に持ちこたえた。2階には食料も備蓄していた。逃げてきた人たちの役に立ててよかった」と備えが生きたことを喜ぶ。一方で店は2階の床から1メートル浸水。背後地にあった自宅も全壊した。

ボランティアが立ち上げたカラオケサークルは健在

 発災後、全国から多くのボランティアが被災地入りし、栄田地区でも泥出しや家の補修、心の復興に向けた各種行事などに尽力した。高橋さんも支援を受けた一人。住民の命を救った店舗の2階をボランティアの活動拠点として開放した。

 発災から数年後には、被災した自宅も開放し、ボランティア主導のカラオケサークルの会場に。現在も被災者の憩いの場となっている。

 発災から12年。ボランティアへの感謝は尽きない。「励まされた人も多いはず。ボランティアさんがいなければ、私もこの地域もここまで立ち上がれなかった。本当に衣食住を助けられた。今でも顔を見せにきてくれる人もいて、カラオケサークルもにぎやかに続いている」と語った。

 一方で、店の外には、更地となった旧石巻女子商と渡波中跡地が今も広がる。「目の前の風景はいつまでも変わらない。更地で覆いがあってという光景に変化がなければ、どうしてもこの地域ではハード面の復興を実感しにくい。何か利活用されれば、もう少し地域がにぎわうと思うのだが」と今後の被災跡地の動向を注視していた。【横井康彦】





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