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霊前に誓った古里復興 一線退き気ままに生活 石巻市南光町 田倉 晴昌さん

 東日本大震災の津波で、石巻市南浜町にあった自身が経営する電気設備工事の会社と自宅が流され、一緒に働いていた長男の昌実さん(当時37)を亡くした。翌年の市の追悼式で「歴史ある石巻の復興に希望を持って立ち向かうことを霊前に誓う」と遺族代表の言葉を述べ、10年余り会社の継続に奔走。80歳を契機に経営から退き、畑を作ったり、木を植えたりして気ままに過ごす。

 震災当時は石巻電気事業協同組合の理事長を務めており、会議でいた石巻市大街道地区の組合事務所で地震に遭った。すぐに戻って来るつもりで自宅の様子を見に行くと、従業員はすでに避難。そばの自宅で片付けをしていた妻と娘に避難をせかし、自分も車で追いかけた。高校時代に旧北上川の水が引いたチリ地震津波を目撃しており、津波の恐ろしさは知っていた。

被災しても「石巻にいたい」と言う田倉さん

 会社に誰もいないことを確認したはずだったが、自宅の2階に昌実さんがいたことに気づかなかった。その後、昌実さんは行方不明。後継者として4年前に帰郷したばかりだった。晴昌さんは「頑張ってくれていた。これからの人間だったのに」と悔やんだ。

 津波で兄と甥も亡くした。一度は会社をたたむことも考えたが、被災した得意先も撤退せずに残る話になり、再起へ動き出した。幸い、付いてきてくれる従業員もいて、門脇町にテントを建てて事務所とした。自宅と会社跡が見える場所で、「ここなら長男が見つけて帰って来られる」、そんな思いもあった。11月になって、DNA鑑定で身元不明の遺体の一つが昌実さんと判明した。

平成24年の追悼式で読んだ遺族の言葉は、今も取って置いてある

 「一緒に仕事を頑張り、楽しく過ごした日々が思い起こされてならない」。晴昌さんは翌年3月、ビッグバンであった市の追悼式で、遺族代表の言葉を読み上げた。「支援に感謝しつつ、つぶれそうになった自分を奮い立たせ、明日に向かって少しでも地域社会の再建に力を注いでいきたい。世界の復興モデル都市・石巻に築き上げることに役に立つことが、尊い命を奪われた人たちへの供養になる」と、何としても立ち直る決意を込めた。

 会社を双葉町に移して軌道に乗せ、約1年前、大街道南の新しい土地区画整理事業地内に再建。「80歳まで頑張ったからもういいか」と次男に会社を任せ、自身は代表権のない会長になった。「次男は一生懸命で電気も好きなので、うまくやってくれるはず」と何の心配もしていない。

 晴昌さんには、生まれ育った石巻への愛着がある。一時は東京に出たが、肌に合わず家業を継ぐことを選択した。街は今、追悼式で誓ったハード面の復興が完了間近。「昔のようににぎやかになってほしいね」と願う。
【熊谷利勝】





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