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子ども巻き込む戦争の意味問う

平和資料館運営の佐々木さん 学童疎開や勤労動員紹介

 終戦から79年を迎える今年、石巻市北村の自宅で私設平和資料館を運営する佐々木慶一郎さん(77)は特別企画展「戦争と教育」を開いている。観覧無料。8月上旬まで。太平洋戦争末期に行われた学童集団疎開、石巻地方の学徒勤労動員に関する資料など約400点展示。写真や日誌などが当時を静かに物語り、子どもや学生をも巻き込み、激化していった戦争の愚かさを伝えている。

疎開先で書いた日誌のほか、佐藤さんの写真も展示されている

 佐々木さんは18歳から戦争関係資料を収集。その数は約4千点に上り、毎年終戦の日が近付くこの時期に企画展を催している。今年は空襲から身を守るために昭和19年に始まった学童集団疎開から80年であり、戦争と教育に焦点を当てた。

 県内には、学童集団疎開で首都圏から1万1千人以上の児童が身を寄せた。このうち佐藤富士夫さん(90)=同市新栄=は旧東京市小石川区(東京都文京区内)からの疎開を体験。空襲で実家が焼失し、戦後、親戚の暮らす石巻に移った。展示では、佐藤さんが疎開先の鳴子温泉「ますや旅館」で書きためた日誌のコピーが公開されている。

 日誌には旅館による食事への配慮、地元の子どもたちとの相撲大会、イナゴ捕りの様子がつづられている。その一方で「大本営発表によると沖縄の宮古島に敵機が400機来たうち25機撃ち落としたという」といった変わりゆく戦況の記述や「親や親類との面会が何よりうれしい」と心境を記したものも見られた。

レコードや雑誌は、労働力として駆り出された学生たちにとっての唯一の娯楽だった

「お前たちは国賊だ」

 戦争拡大に伴う農村や軍需産業の労働力不足を補うため、昭和18年から中等学校以上の生徒や学生が労働力として駆り出されていった。石巻地方でも学徒動員の動きがあり、石巻高等女学校(現・石巻好文館高校)は50人、石巻実業女学校(現・石巻市立桜坂高校)は167人が神奈川県の軍需工場「横須賀海軍工廠(しょう)」へ動員された。

 石巻高等女学校の生徒の中には、工場に無断で石巻へ帰った人も。卒業式に出席しようと学校へ向かうと「無断で帰るとは何事だ。お前たちみたいな人間を国賊と言うんだ」と校長からののしられ、一部の生徒は特別高等警察によって強制的に工場へ連行されたという。

特別企画展「戦争と教育」を解説する佐々木さん

 一方、石巻実業女学校の学生は誰一人里帰りせず終戦を迎えた。展示には同校生徒の肖像写真や、学校から横須賀へ送り出す際の壮行式の様子が紹介されている。

 佐々木さんは「子どもや女子学生をも巻き込み突き進んでいった戦争は、一体どんな意味があったのか。展示を通して考えてほしい」と呼び掛けていた。問合せは佐々木さん(73―4057)まで。【泉野帆薫】

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