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回れ支援の輪~災害ボランティアバス体験記~(中)

属性異なる19人乗せ

 石巻圏域の3社会福祉協議会が先月末に石川県志賀町に派遣した能登半島地震被災者支援ボランティアバスには、私を含め25―77歳の男女19人が参加した。約13年前の東日本大震災を経験していても、災害ボランティアは初めての人が半数近く。年齢も経歴も異なれば、ほとんど見ず知らず同士。困った時はお互いのさまの気持ちで心を一つにし、それぞれに充実感を持ち帰った。【熊谷利勝】

震災恩返しへ心一つ 車内で体験や思い共有

 石巻から宿泊先の金沢市まで高速道を使って片道約10時間。参加者は町内会役員、定年退職した教員、元行政職員、現職・元職の市議会議員、看護師などさまざまだ。

 行きの車内で社協の職員から「被災地(土地)でなく、被災者(人)への支援」と説明があった。旅のしおりには「13年前のありがとうを届けよう」との題字があり、震災支援の恩返しが目的。自己紹介やボランティア経験者からの助言、帰りは振り返りの時間があり、それぞれの体験や思いを共有できた。

 最年長は石巻市門脇の橋本信子さん(77)。被災民家で瓦の搬出に汗をかいた。震災では津波で自宅が被災。泥かきなどのボランティアが冷たいご飯を食べているのを見て、炊き出しを逆支援した経験があり、「ボランティアのおかげで復旧復興ができた。感謝しかなく、恩返しへできることをしたかった」と振り返った。

 「普段と変わらないよ」と言うのは、長く大工として働いてきた東松島市小松の木村正孝さん(74)。以前からボランティアの機会をうかがっていて、同市の人口にちなんで「3万8千分の1の恩返しはできたと思う」と目を細めた。

作業を終えた参加者(志賀町ボランティアセンターで)

 各社協から4人の職員が引率したが、女川社協の島田圭子さん(55)は一町民として参加。電気や水道が途絶えた在宅避難生活のつらさは震災で経験しており、「そんな思いをしている人があれば、共有したい」との思いからだった。3市町合同でのバスに「住む場所を超えてつながれるのはいい機会」と交流を育んだ。

 最年少はボランティア休暇の制度を活用した石巻市職員の大山航平さん(25)と小笠原健悟さん(25)。「家族だけでは難しいからこそボランティアの重要性が理解できた」「若い人たちがもっと社会貢献できるように働きかけたい」と成長につなげた。

 私自身は震災の津波で九死に一生を得たが、それだけのこと。親しい人を亡くしたわけでも、家や仕事を失ったわけでもない。ボランティアの支援を受けた記憶がなく、直接、復旧復興に汗をかいてもいない。だからボランティアを経験したいと思い、助ける側の心境も知りたかった。

 往復の総移動距離約1380㌔、実働わずか4―5時間ほど。それでも石巻に戻ると、社協の職員が出迎えてくれた。バスは、参加したくてもできなかった人の思いも乗せていたのだろう。

 これからの被災地の長い道のりを考えた時、どれだけの役に立ったか分からない。だが、少なくとも手伝った家では感謝されたし、私たちが働いた分、現地の人や他のボランティアが休めたかもしれない。自己満足でも、参加したことで被災地に関心を持ち続けていられる。


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