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「川開き祭り」 ②課題 日にち固定か週末か

 石巻川開き祭りは人口減少や社会環境の変化に加え、復興が進んだことでの課題が浮上しているという。祭実行委員会から諮問を受けた各部の代表者による検討委員会は昨年5月、これまでの日にち固定から週末開催を調整し、花火大会の打ち上げ会場を震災前と同じ上流側に戻すよう答申した。

 さかのぼると、大正5年の第1回は8月18日。盆に各地であった水難供養の川施餓鬼(かわせがき)を統一し、そこに石巻発展の礎を築いた川村孫兵衛の報恩感謝の意味を加えて住吉公園で花火や流灯が行われた。

 翌年から8月第1日曜、昭和37年には8月1、2日に固定化。市民総参加の祭りにすべく平成11年から第1土・日曜とし、合併翌年の18年に旧町の祭りに配慮して7月31日の前夜祭を含む3日間になった。震災以降は31日から2日間に短縮している。

 来場者数(主催者発表)は23年こそ10万5千人だったが、27年に震災後最多の22万6500人へ増加。その後は減少に転じたが、ディズニーパレードのあった令和元年は19万4千人とやや盛り返した。来場者数は天候や曜日に影響され、27年は金・土の週末。この10年は土・日に重なったことがなく、土曜から3日間の開催だった震災前の平成22年は34万7千人が足を運んでいた。

 検討委が週末開催を答申したのは、経済効果や多くの来場が期待できるため。さらに被災企業の多くが人手不足にあり、平日開催の年には行事への参加や観覧、応援が難しい。準備から手伝う市職員も同様だ。今後は週末開催案をもとに毎年度、開催日を決めるが、土・日か金・土かでも議論の余地がある。商店街では「ころころ変えず日程を調整してほしい」と望む人もいた。

 花火は震災後、2日間とも旧北上川の中瀬で打ち上げている。検討委は答申で初日の供養花火をやや上流の住吉公園前の台船から、2日目の本祭はさらに上流の稲井地区で上げ、仮設住宅が撤去された大橋地区を観覧場所とするよう求めている。

 中瀬は保安距離の関係で大きな花火ができないが、それでも風向きの関係で燃えかすが落ちる事故が発生。警備のしにくさもある。市民からは規模の大きな花火を見たいという声も聞かれる。

 一方、街なかの復興が進み、消費効果からも「花火会場を移すのは本末転倒」という声も。人口減少で経済の縮小も懸念される中、2年後の100回、その先と、企業協賛金を中心にした事業予算が確保していけるかも課題になる。【熊谷利勝】


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