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千葉勇作さんが死去 石巻市出身の日本画家 絵手紙に別れのあいさつ

 石巻市の老舗レストラン「たわらや」の経営や日本画家として知られた石巻市出身の千葉勇作さんが、昨年12月25日に胃がんのため仙台市内の病院で亡くなっていたことが分かった。90歳だった。

「精いっぱい前向きに生きました」

 先日、交流のあった人たちに届いた千葉さんからの絵葉書が別れのあいさつだった。最期を看取った長男の千葉丈二さん(63)によると、千葉さんは3年ほど前から親しい人たちに送る絵葉書を丈二さんに託し、亡くなった後に発送するよう依頼していた。

 裏面に、亡くなった妻・美喜子さんを描いた「再会」と題する絵を印刷。表面には「これでおしまいです。長い間いろいろとありがとうございました」と印字されていた。石巻日日新聞社へのはがきには「精いっぱい前向きに生きました」と直筆のメッセージが添えられていた。

千葉勇作さん

 千葉さんは約3年前に脳梗塞を患い、以前にも増して「最期」を意識するようになったという。昨年春には仙台市内のケアハウスに入所。11月に体調を崩し、検査で胃がんが判明。最期は東北大学病院で亡くなった。葬儀は12月28日に仙台市内で家族やごく近しい人たちで営んだ。

 千葉さんは石巻高校時代、父の八郎さんが胃がんで急逝。進学をあきらめ家業の俵屋旅館を継いだ。その後に内海橋のたもとにある旅館の一部を改装してレストランを開いた。

 さらに、仙台に進出して4店舗を展開。その中の一つ、国分町の「サロン・ド・たわらや」は、アールヌーボー調の華やかな作りが評判となり、有名人が次々来店。作家の五木寛之さんは「こんなぜいたくな店は銀座にも京都にもない日本一の店」と書いた。

千葉さんの最期の絵葉書の裏に印刷された「再会」。亡き妻を描いた

 飲食業から身を引いた後、趣味で描いていた日本画に本格的に取り組み、県芸術協会会員となった。大作を描いては公共施設などに寄贈し、平成21年には石巻市役所に支倉常長のスペイン・マドリード到着前夜を描いた「トレドの常長」を送った。

 50年以上付き合いがあるヤマト屋書店会長の阿部博昭さん(72)は「社交的で博識、記憶力がよく、話していて飽きない人。面倒見もよかった。大変残念」と惜しんだ。令和元年に千葉さんが出した自叙伝「国分町花戦争」を仕入れて店頭に並べるという。【本庄雅之】


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