マガジンのカバー画像

石巻日日新聞

1,788
石巻市・東松島市・女川町の話題を掲載している夕刊紙「石巻日日新聞」のnote版マガジンです。とっておきの地域情報と過去記事などのアーカイブ。無料と有料記事があります。ぜひぜひフォ…
運営しているクリエイター

#歴史

古き時代の風景で再発見 石巻の絵葉書パネル展橋通りボックスピア 写真集拡大で見やすく

 NPO法人石巻アーカイブ(小野寺豊代表理事)は、24日から「明治・大正・昭和 石巻の絵葉書パネル展」を石巻市橋通りのホシノボックスピア内「人とアーカイブの交差点」で開催している。(5面に関連)  展示しているのは、同会がこのほど発行したA4判の同名写真集をA3判に拡大した各ページ。掲載した約240点の写真絵はがきが実物よりも大きく、見やすくなっている。  このうち日和山から望む市街地や河口一帯の風景は、石巻の象徴として各時代に印刷されており、同時に見ることで変化を感じ取

歴史が見える240枚 「石巻の絵葉書」出版 明治、大正、昭和の風景

 NPO法人石巻アーカイブ(小野寺豊代表理事)は、写真で歴史を振り返る「石巻の絵葉書(絵はがき)」を出版した。出典元の古い絵はがき約600枚をデジタル化し、その中から240枚を厳選して1冊にした。  A4判カラー(写真はモノクロ中心)、60頁。明治、大正、昭和期に当時の写真館が撮影した施設、建物、教育、催事、災害、全景などが主。第1章の「遠景・全景」から第8章の「災害」まで項目別に掲載している。  落成、開校など記念はがき以外は、数年かけて売るという流れがあり、発行年が記

「石巻町報」第1号見つかる 市報の原点 大正11年発行

 石巻市の広報紙「市報いしのまき」の原点となる「石巻町報」(発行・石巻町役場)の第1号が見つかった。発刊の辞で、当時の武山一郎石巻町長は「町務の状況を民衆に知らせる方法がなかった」と発刊の理由を説明。町役場は「町民諸君に報告」と見出しを立て、小学校や図書館、金融機関など閲覧場所を明記していた。町報は㈱青葉電気商会=同市鋳銭場=の店主、佐藤英一さん(75)の自宅で発見された。  「亡くなった父親の私物を整理しようと4月に自宅(水明町)にあった机の引き出しを開けたら、ビニール袋

使節船の痕跡探り歩く サン・ファン研究会 史料基に雄勝湾で検証

 慶長遣欧使節船サン・ファン・バウティスタ号の出帆地を考えながら歩く「政宗の黒船 造船・出帆の痕跡を探って歩く会」が22日、道の駅硯上の里おがつ=石巻市雄勝=を発着点に行われた。使節船を研究する市民有志団体「サン・ファン研究会」(遠藤光行代表)のメンバーと参加者計約20人が雄勝の地を歩き、帆船の建造や出帆の可能性を探る歴史ロマンに触れた。  サン・ファン号の出帆地は石巻市月浦とされているが、同研究会は、仙台藩の正史「伊達治家記録」や伊達政宗の右筆(書記)として仕えていた真山

出帆地は月浦か雄勝か 使節船サン・ファン号 潜水調査で痕跡探る

 慶長遣欧使節船「サン・ファン・バウティスタ号」の建造、出帆の地を探る調査が15―17日、石巻市月浦の漁港で行われた。潜水士が海底にある痕跡を求めて海中を捜索した。使節船の出帆地を巡っては、月浦、雄勝町下雄勝の説がそれぞれあり、歴史ロマンの一つでもある。潜水調査で真実に一歩でも近づくのではと研究者らの期待も高まっている。  使節船は、江戸時代に仙台藩によって建造された大型帆船。建造と出帆の地は、これまで月浦が定説となっていた。  こうした中、市民有志で作る「サン・ファン研

「石巻駅110年の軌跡」石巻日日新聞 年末特別紙面

日本に鉄道が誕生したのは明治5年。江戸時代の街道と舟運から一気に近代化を遂げた。それから遅れること40年。石巻駅が大正元年(1912年)10月に開業すると、地域全体が発展に向けて走り出した~紙面本文より抜粋~ ※2022年に開業110周年を迎えた石巻駅。古くから地域の玄関口として、石巻地方のさまざまなシーンの舞台となってきました。年末特別企画として、新聞に掲載した紙面内容をそのまま「石巻Days」にもアップいたします。記事下広告部分を含め、掲載内容は2022年12月17日現

縄文村 古代役人のベルト復元 革部分残存 全国でも例なし 

 東松島市の奥松島縄文村歴史資料館(菅原弘樹館長)は9日、史跡赤井官衙(かんが)遺跡群を構成する矢本横穴から出土した市指定文化財「革帯」の復元模造品を制作したと発表した。革帯は古代の役人が正装時に使用したベルト。矢本横穴からは、1本分の金具と一部革が残った状態で出土。革の残存は全国でも例がなく、これにより科学分析で革帯の詳細を把握。復元模造品の制作にたどり着いた。  矢本横穴は、東北随一の豪族「丸子氏(のちの道嶋氏)」一族の墓。東日本大震災後の平成26年、治山工事に伴う横穴

真珠湾攻撃から80年 惨禍の上に成り立つ平和 私設資料館開設の佐々木さん

昭和16年12月8日、旧日本軍が米国のハワイオアフ島真珠湾にあった太平洋艦隊や基地に奇襲を仕掛けた「真珠湾攻撃」からあすで80年を迎える。米海軍の軍艦や戦闘機を撃墜するなど戦果をあげた一方、原爆投下など日本が苦境に追い込まれる呼び水となった。石巻市北村の佐々木慶一郎さん(74)の私設平和資料館にも、当時の隊服や新聞が並ぶ。「なぜ日本は奇襲を仕掛けなければならなかったのか。ある意味では終戦以上に開戦日の方が重く感じられる出来事」と、節目を考える。  佐々木さんは開戦の背景につ

石巻市博物館が開館 無料公開で1100人来場 文化祭との相乗効果も大

 マルホンあきあーとテラスに完成した石巻市博物館が3日、無料で一般公開され、のべ約1100人(市教委集計)が入場。待望の施設オープンに喜びがあふれた。また、大ホールなどでは「第24回みやぎ県民文化祭」(5日まで)が開かれ、双方の会場を行き来する人も多く、文化の日らしいにぎわいを見せた。

¥100

進駐軍「おっかねがったなぁ」元養蚕指導員の近江さん 「戦争二度としちゃいけない」元地裁事務官の亀山さん

 3回目の最終回はともに小規模多機能型居宅介護施設「めだかの楽校」=石巻市蛇田=を利用する近江春子さん(95)、亀山廣さん(91)の体験談。肉親にもほとんど話したことがないという証言は、郷土の歴史に刻まれる貴重な内容だ。  日和山の一画に住んでいた近江さんは、終戦の時が19歳。10代の多感な時期が暗い時代に重なった。  「父が病弱でうちは貧しかったから、石巻小学校を出たらすぐに働きに出された。駅前に養蚕(ようさん)の事務所があってね。一日50円の給仕から始めました」。その

「命の大切さと人の心の清らかさ」 元看護学生 中里美世さん 石巻で傷病兵を手当

 戦時中、石巻市で看護学生として傷病兵の手当てに明け暮れた中里美世さん(94)=東京都杉並区=に、当時の体験をつづった手記を寄せてもらった。うら若き女性が直面した現実は、平和な現在からは想像しにくいことばかりだ。  渡波に住んでいた私は、石巻実業女学校に通っていました。戦争が激しさを増し、男子は陸軍士官学校や予科練へ、中学生、女学生は学徒挺身隊として動員されるようになっていきました。  読書好きだった私はナイチンゲールにあこがれ、日本赤十字の従軍看護婦になりたいと思ってい

「未来につながる今の暮らし」 元石巻市教育長 阿部和夫さん マンガが変えた歴史の価値観

 終戦から76年。戦時中の体験を語れる人たちは、ますます高齢化し、直接話を聞ける機会が減っている。石巻地方が米軍の空襲にさらされたことを知らない世代も多い。平和のありがたみを今一度かみしめ、未来に生かすためにも貴重なエピソードを3回にわたって紹介していく。初回は石巻市教育長などを経て、現在、石巻市芸術文化振興財団理事長の阿部和夫さん(83)にうかがった。  昭和13年生まれの阿部さんは、石巻の中心市街地で生まれ育った。戦時中は、父親が横浜の海軍工廠(こうしょう)に徴用され、

昭和28年 市制20周年記念の像

 私の目の前に昭和28年に撮影された石巻市制施行20周年記念の「石母田正輔翁像」(正輔像)除幕式後の写真があります。

¥100

「赤井官衙遺跡群」国史跡へ 文化審が答申 里浜貝塚以来、東松島で2例目

 文部科学省の文化審議会は20日、古代の役所跡などが残る「赤井官衙(かんが)遺跡群」=東松島市赤井、矢本地区=を含む全国12件を新たに国の史跡に指定するよう文部科学大臣に答申した。

¥100