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明治維新は一部の支配者の金と権力のための革命! 黒幕はお札の顔の人! 第二次世界大戦の本当の裏目的!賢者は歴史に学ぶシリーズ⑩

貧困・悲惨ではない!
江戸時代の暮らしについて
前回読んでいない方はこちらから。

戦争のない平和な江戸時代から一転。
戦争だらけの明治に突入です。
明治維新は一言でいうと
一部の支配者の金と権力のための革命です。
だから、庶民の生活や命などどうでもいいし
それが政策にも色濃く出ています。
戦国から江戸は
「庶民のための国づくり」
江戸から明治は
「一部の権力者のための国づくり」
だから、「明治維新バンサイ」のために
江戸時代が悲惨な時代として
印象操作されてしまいました。
日本の歴史で似たようなことが
また起きたのです。
平和な縄文時代が終わり
争いの弥生時代の再来ですね。
弥生時代は宇宙人ナーガと宇宙人ナーガに
支配されている移住者が
縄文時代を終わらせる中心となり
「所有」という概念ができたことで
弥生時代になりました。

今回の明治時代はとにかく登場人物が多いです。
まず、日本国内では主に
朝廷と若者たちと商人が中心となり
海外は国を超えた組織イルミナティーという
存在が中心になりました。
以前、賢者は歴史に学ぶシリーズ②で
国の首相や大統領は国や世界のトップではなく
中間管理職ということを説明しました。
そのときに、世界のピラミッド構造の図が
ありましたよね。国の首相や大統領よりも
高い位置にいた組織それがイルミナティーです。
イルミナティーは国々をまとめている組織です。
その組織の指示で国のトップが動きます。
そして、ややこしいことにイルミナティーの
中にも派閥というものがあり
今回明治維新で日本に関わっていたのが
西洋諸国のレプティリアン系の
イルミナティーと
中国などのナーガ系のイルミナティーです。

江戸時代は独自のお金を使い
鎖国していたから貿易を制限していました。
そして、ムーの軽い波動を
受け継いだ土地である日本列島。
その土地に住んでいる
人たちの波動もまた軽くなっていました。
これが気にくわなかったイルミナティー組織。
「百匹目の猿現象」を起こしてはいけない!
軽い文明に共振する人が増えて
重い文明から離れる人が増えることを
なんとしても阻止したい!
なんとか、また日本の波動を重くしたいと
思いました。
そして、波動を重くして、日本でがっぽり
チャリンチャリン儲ける仕組みを作りたい。
だから、日本独自の貨幣システムをぶち壊して
彼らの金融システムを
日本に組み込みたいと思いました。
それが資本主義です。
この弱肉強食の資本主義システムが
日本に入ってきたことによって
豊かな人はどんどん豊かになり
貧しい人はどんどん貧しくなり
格差社会となりました。
お金を持っていない人たちは
搾取され続ける社会構造に変わりました。
ちなみに、江戸時代の士農工商は
身分制度ではありません。
身分制度かのように印象操作されたのは
「明治維新バンサイ」にするためです。

明治維新を簡単に説明するとこうです。
日本に実力があって仕事ができる
ある1人のAさんがいました。
しかし、家柄がものを言う環境だったため
能力があるのに出世ができませんでした。
そんなときに、イルミナティーから
大きな話が舞い込んできました。
出世街道まっしぐらの夢のような話。
しかし、それには幕府を弱体化させ
朝廷の力を取り戻すことが条件でした。
そうすることで
イルミナティーは表には出れませんが
日本の裏の支配者として
日本の権力を持てるようになります。
早い話がAさんは
日本を外国に売ったんです。
売国奴です。
そして、色々な画策の末に
幕府を弱体化。
権力を朝廷に戻すことに成功。
そしてAさんは切れ者
頭がいいということを証明し
自分の承認欲求を満たして大満足でした。
満足したので、その後の明治維新の
新政府の中での争いは加わりませんでした。
さて、このAさんは誰でしょうか?

岩倉具視です。
あのお札にもなった人です。
お札の顔になった人=
権力者の都合のいいように
動いた人だったなんて。

岩倉具視は下級の公家の生まれでした。
家柄がものをいう公家社会。
岩倉は自分より才能も能力もない人が
生まれた家柄だけで
どんどん出世していき
自分よりも上の立場にいることが
本当に許せませんでした。
ある意味そのせいで
歪んだ権力を欲するように
なったといいます。
権力欲と富の中心になりたいという
エゴしか持っていなかった岩倉。
そんなときに見えてきた好機。
西洋諸国と組めば権力を手にすることが
できるかもしれないと。
そこで西洋諸国と組んでゆっくりと
水面下で動いていました。
岩倉は世の中の先を読む力に
優れている人でした。
周りの人をうまくコントロールし
自分に都合のいい状況を
創り出す才能がありました。
ザ黒幕の才能です。

先ほど明治維新は
主に朝廷と若者たちと
商人が中心となることをお話しました。
まず、若者たちをターゲットにした
お話をしますね。
簡単に言えば
「西洋諸国の文化は素晴らしい
それに比べて日本は劣っている。
この西洋文化を
取り入れない幕府はバカだ。」
という思考を若者に刷り込みました。
日本も江戸時代に独自の文化があり
それは世界に誇れる
素晴らしいものなのですが
西洋諸国のものは、とにかく派手で
きらびやかなもの。
若者の心を掴むには十分でした。
若者たちは好奇心が強く
長い間鎖国をしていて平和だったから
危機感もなかったのです。
さらに
鎖国をしていたから自分たちの文化が
どれほど素晴らしいものか分からず
当たり前に思っていて自覚がありませんでした。
長い間戦争がなく平和ボケしていた
江戸の人たちと
支配コントロールなど
戦略に長けた西洋の人たちの差が
明治維新につながっていった1つの原因でした。
特に西洋文化の中で若者たちの目を
引いたのが西洋医学でした。
解剖などを見せることで
最新の医療はこうだと刷り込み
怪我や表面的でわかりやすい病気の治りは
確かに早かったので西洋医学は
素晴らしいものとされました。
逆に日本で使われている医療は非科学的で
遅れすぎていると煽られました。
さらに塾も開き、全国から集まってきた若者に
「君たちはエリートだ」という
特別意識と西洋医学や西洋の価値観や
考え方を教え、日本が遅れているのは
鎖国しているからと反幕府的な思考を
刷り込んでいきました。
イルミナティーは戦国や江戸の経験もあり
宣教で日本を侵略するのは無理と思ったので
こうやって文化を狙うことにしました。
悲しいことですが、この手法は現在進行形で
日本で使われています。
「英語を話せるのがかっこいい」
「世界を股にかけて活躍するのがかっこいい」
「日本はださくてかっこ悪い」
外国の人の金髪に憧れて金髪にしてみたり
鼻が高いのをうらやましいと思ったり
日本の文化や人を否定するように
持っていく手法です。
いやー私はまんまとその手法にはまってました。
日本の文化を否定して
外国の文化は素晴らしいと刷り込む。
そして、日本の内側から
日本独特の文化や感性を壊していきます。

そして、江戸時代の若者に
西洋諸国の文化を刷り込んでいくことに
一役買っていたのが大阪商人の人たちです。
すべての大阪商人ではありません。
金と権力に目がくらんだ一部の
大阪商人の人たちです。
とにかくこの人たちはお金が欲しかった。
お金をたくさん手にすることができれば
生活が豊かにできる。
物質的に豊かになる=幸せになる
そうした考え方でした。
しかし、物質的に豊かになるということが
必ずしも幸せには直結しないことは
今の現代社会を見てみれば
明らかだと思います。

そして、外国諸国と貿易することで
富を得ていきました。
そして、外国諸国のイルミナティーは
大阪商人を煽りました。
「物を持たない江戸の人達は
いつまでたっても貧乏のまま。
鎖国しているから日本は
いつまでたっても豊かな生活ができない」と。
確かに、江戸の人達はあまり物を
持ってはいませんでしたが
心のゆとりは持っていました。
物質的な豊かさではなく
気持ちの豊かさがありました。
それをお金や物質に目がくらんでしまった
商人たちは分からなくなっていました。
そこで幕府を弱体化させるべく
ある事件を起こします。

大塩平八郎の乱です。
飢饉がおきて庶民が食べ物に困っているのに
幕府は何もしないといって大塩平八郎が
一揆を起こした事件。
これは大阪商人が
幕府を弱体化させるべくして
仕組んだマッチポンプ事件でした。
まず、反幕府の思想を持っていた
大塩平八郎を利用しました。
一揆のための武器などの費用は
大塩平八郎が自分の屋敷を売り
お金をつくりましたが、それでは足りず
武器やその他の費用を援助していたのが
大阪商人でした。
大塩平八郎に大きな米問屋を襲わせることで
幕府に反乱を起こさせようと画策。
それが成功したのです。
当事者の大塩平八郎はそんな計画は知らずに
幕府に対しての不満を一揆にしただけでした。
この事件をきっかけに一揆を起こす人が増えて
庶民の幕府への不安をもっと
大きくすることができました。
そして、大塩平八郎の乱で大阪商人たちは
気に入らない他の商人もつぶすことに
成功しました。
米問屋の商人たちはあらかじめ大阪商人から
一揆の情報をもらっていました。
そこで、一揆が起こる前に別の米蔵に
買い占めていた米を移しました。
一揆が起こった時に見せたのは空の米蔵。
空の米蔵をみせて
「買占めなどしていません」と
言いました。
困ったのは大阪商人から
一揆の情報をもらっていない米問屋です。
情報をもらっていない米問屋は普段から
大阪商人の言うことを聞いていなかった
商人たちでした。
その商人たちの米蔵にあったお米は
市場に流通させるためのものでしたが
一揆をしている人たちは、頭に血が
のぼっていたため
「米蔵に米があった」
それだけで悪い米問屋とみなし
米を奪い屋敷を破壊しました。
めでたく商売敵がつぶれて
その一揆を知っていた米問屋は笑いが
とまりません。
大阪商人に恩義を感じて今後も
計画に加担していきます。

いやー汚いやり方ですよね。
でもこれがイルミナティーのやり方。
マッチポンプ作戦。
自分で火をつけていき
親切で火を消して回るというやり方です。
この手法が明治維新では
多く使われていくことになります。
また、これが今現在進行形で
よく使われる手法になっています。

その他にも色々な事件があり
幕府の信頼が落ちて
西洋的な考え方が若者を中心に広まり
ペリー来航により
幕府が混乱して右往左往します。
幕府の代わりに
日本に任せられるところはないか
という動きが出てきました。
そこで出てきたのが朝廷です。
その動きを作ったのが長州藩に出来た
松下村塾と呼ばれる若者たち。
そして岩倉具視です。

岩倉具視は、その当時
日本一の戦略家といっても
いいのではないでしょうか。
岩倉は、こいつは使えそうだと思った人に
1人1人声をかけていったといいます。
声をかけられた人は自分だけが
岩倉に声をかけられたと思っているので
岩倉を信じて行動しました。
みんながバラバラに動いているように見えても
実は岩倉の思った通りにことが運びました。
声をかけられている人は
岩倉が他の人にも声をかけていることが
分からなかったので
岩倉とは違う方向に行く形で
他の人同士で団結もできなかったのです。

岩倉具視が幕府倒幕のためにした
戦略をこれから解説していきますね。

岩倉具視がした戦略その1
「幕府の中でも朝廷側の水戸藩から
将軍を輩出し、邪魔な存在を排除」

朝廷は表だって権力はありませんでしたが
承認権(最終決定権)という大きな権力を
持っていました。
今までは幕府の言うことを素直に聞いて
承認していましたが、承認権を持っているので
意見を言ったほうがいいと
岩倉は天皇に伝えました。
そのことで朝廷に権力を持っているという
自覚を与えました。
そして、岩倉は尊王の考え方が
強い水戸藩に近づきました。
水戸藩は御三家といわれながらも
考えが朝廷よりだったため、長年水戸藩から
将軍が出ないことに不満を持っていました。
ペリーが来航したとき将軍だったのは
徳川家慶。
海外のやり方をよく知っていたために
開国には反対でした。
そして、ペリーが来たちょっとあとに
病気で亡くなりました。
これは表向きの話で、実際は毒殺されていました。
そして、最後の将軍となった
徳川慶喜を水戸藩から出すことができました。
その後も岩倉は目的を達成するために
邪魔なものを排除するというやり方を
徹底していきます。

岩倉具視がした戦略その2
「日本を売り渡してしまうくらいの
不平等な条約を結ばせる」

日米和親条約を結んだことで実質的に
日本の鎖国は終わりました。
これも岩倉が裏で仕組んだことです。
そのあとに、日本に不平等な条約を
結ばせることを企んでいたイルミナティー。
それに岩倉がまた加担したのです。
その条約は日本が実質的に外国の植民地に
なってしまうくらいの不平等な条約内容でした。
まず、治外法権を認める。
日本でどんなに外国人が悪さをしても
日本の法律で裁くことができません。
今の沖縄と同じです。
そして、関税自主権がない。
自分の国で関税を調整する権利がありません。
外国から安い品物が入ってきても何もできません。
高い日本製よりも安い外国製を買う人が
増えてしまい、日本の産業を守ることが
できなくなってしまいます。
岩倉の望みは開国と倒幕して
もう一度朝廷に権力を戻すことです。
幕府はその条約について賛成派と反対派で
揺れていました。
幕府は朝廷にどうすればいいか
お伺いを立てましたが
長いこと政治に関わっていなかった
朝廷が判断できるわけが
ありませんでした。
そこで朝廷側として岩倉の登場です。
岩倉は反対派としての立場をとりました。
岩倉は本心では賛成派なのに
なぜそのような立場をとったのか。
ここが岩倉のすごいところです。
岩倉は朝廷側として
反対派の意見を強く押し出す
アメリカは上から目線で条約の締結を
早くしろと押し付けてくる。
幕府はその間の板挟みとなり困ります。
幕府がどうするか決めても
朝廷が勅許を出さなければ締結できません。
朝廷の動きを待つしか
幕府にはできませんでした。
ここで幕府と朝廷の権力が逆転しました。
そして、幕府の権力を
地に落とす策略をします。
朝廷の動きを待っていた幕府に
岩倉は井伊直弼が大老となり
アメリカとの外交の責任者となれば
朝廷も善処すると伝えました。
幕府は喜んで井伊直弼を
大老の地位につけました。
そして、岩倉は井伊直弼に
「私が必ず勅許をもらうように朝廷に
話をつけるから安心してください。
だからアメリカとの交渉の席で
条約を締結しなさい。
あとの責任は全部私が持つから。」
と伝えました。
アメリカとの条約交渉の席当日。
しかし、当日になっても朝廷から
勅許がおりませんでした。
井伊直弼は勅許をもらうまで条約を
する気はまったくありませんでした。
アメリカは強気な態度でした。
それに押されそうになりながらも
頑張っていた井伊直弼。
ちょっと弱気になりかけていたその時に
岩倉の使いから
「勅許おりました」と伝言が。
これを聞いて安心して
条約を調印した井伊直弼。
ところが、実際には
勅許はおりていませんでした。
勅許も出ていないのに勝手に調印したとして
井伊直弼は責任を全部押しつけました。
幕府の大老として調印したので
幕府も同罪となり
幕府の権力を地に落とすことに成功しました。
ちなみに、岩倉はそのあと
知らん顔だったそうです。
やばすぎる人ですね。
岩倉にとって用済みである井伊直弼は
後に暗殺されてしまいました。
恐ろしい。

岩倉具視がした戦略その3
「長州と薩摩に倒幕を持ちかけ
倒幕を成功させる」

長州と薩摩の薩長同盟が強大な勢力になり
幕府の存続が難しくなりました。
岩倉はそんな幕府に
「幕府もここまで実力が
なくなってしまったので
もうあきらめたらどうですか?」と
徳川慶喜に進言しました。
長州と薩摩も同じように迫りました。
そこで条件を出した徳川慶喜。
「征夷大将軍という地位はそのまま
徳川家においてほしい。
次の政権にも徳川家を入れて欲しい。」と。
その条件をのんだ岩倉。
そして、大政奉還へとつながります。
260年続いた江戸幕府が終わり
政権は朝廷に返すこととなりました。
みなさん岩倉の今までのエピソードから
徳川慶喜の条件を岩倉が
受け入れたと思いますか?
もちろん、すべて無視しました。
朝廷を中心とする新政府の樹立。
そして、長州と薩摩に徳川排除の命令を
出しました。
岩倉にとって徳川慶喜から出された条件は
口約束のもの。
契約書もないのだから口約束なんて
効力はないと考えました。
それ、完全に
外資系の考え方だよなと思いました。
岩倉はイルミナティーの人たちと
付き合っていくうちに
支配者側の西洋の考え方や価値観に
どっぷりつかっていました。
反対に徳川慶喜は口約束程度でも
約束を信じました。
信頼関係を重視していた日本の習慣にとって
契約というものがあまりなかったのです。
徳川慶喜はこの状態を
受け入れるしかなかったといいます。
あきらめて隠居生活していました。
しかし、没落したとはいえ天下の徳川家。
岩倉はさらに念押しで幕府をたたきつぶそうと
考えました。薩摩藩に幕府を徹底的に
たたきつぶそうと声をかけました。
徳川にちょっかいを出す薩摩藩。
家臣だった薩摩にそういう態度をとられては
徳川も黙っていられません。
これが新政府軍と旧幕府軍の戦い。
戊辰戦争へとつながっていきます。
その中の会津戦争は
岩倉達、新政府軍にとっては
みせしめだったといいます。
新政府軍にたてつくとどうなるか
脅すためにとことん叩き潰されました。
大人だけでなく、子どももです。
本当にひどいし、悔しいですよね。
国内にいる一部の地位・富・名誉に
固執した人間と外国諸国の思惑で
平和な時代がつぶされました。
「ぶっ壊された」
といってもいいと思います。
戊辰戦争が終わり、新政府が動き出し
岩倉の明治維新のクーデターは完了しました。

岩倉具視ものすごい策略家ですよね。
織田信長とは
まるっきり正反対のことをして
一部の権力者のための新政府をつくりました。
簡単な話、日本を海外に売ることで自分は
富と名誉がもらえてヤッター!!の人です。
岩倉具視=売国奴
後に、日本のお札にまでなった人ですからね。
偉い人なんてとんでもない!!
権力と地位に固執した売国奴です。
岩倉がしたことに同意はしませんが
関心はします。
これも宇宙的にみれば
いいとか悪いとかではなく
価値観の違いだけなんでしょうけど
いやー私は平和な社会を創る側でありたいです。
NO MORE 岩倉具視

そして当時幕府が倒れ
今まで心のよりどころで
あった将軍さまがいなくなって
混乱のさなかにいた庶民たち。
岩倉の次の目的は
庶民を落ち着かせ、掌握すること。
そこで、宗教と天皇を合体させました。
庶民にあった「神社の偉い人が天皇」
という程度の認識から
「素晴らしく頼りになる存在それは天皇」
という宣伝をしました。
天皇は人間ではなく神であり
庶民はその神のもと
安心して生きていくことができる。
庶民は神の子なのです。
そして、神となった
天皇を中心に国づくりしていくこととなります。
神である天皇のために
神の子である国民は
戦争に行きなさいとたくさん戦争に
駆り出されることになります。
そして、第二次世界大戦に
突入していくのですが
第二次世界大戦は歴史的に知られていない
裏目的があったんです。

それは、ムーの波動を受け継いだ軽い波動の
日本列島をもう二度と軽くならない
くらいまでに落とすこと。
以前日本は「世界の縮図」ということを
お伝えしました。
日本列島って世界地図の形に似ていませんか?

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北海道は南北アメリカ大陸
本州はユーラシア大陸
四国はオーストラリア
九州はアフリカ大陸
沖縄は日本
実はテラ(地球)が日本列島を
世界地図の形にしたのですが、
沖縄は日本ですよね。
そこを狙われました。
唯一の本土決戦となった沖縄は
日本の軽い波動を徹底的に
落とすために狙われたのです。
そして沖縄に米軍の基地が
多いのは必要以上に沖縄の波動を下げようと
しているそんな意図があるからです。
そして
日本では原爆が2つも使われてしまいました。
原爆は土地だけでなく、波動エネルギーまで
傷つけるものです。
その威力はすさまじく、宇宙の隅々まで
大きな影響を与えてしまうくらいのものです。
どれだけ日本列島の波動を落としたかったのか
支配者の徹底ぶりにはドン引きです。

あと、もう1つの目的は日本列島に
住む人々に自虐感を持たせること。
「戦争を起こしたのは日本人です。
みなさまに迷惑をおかけしました。
過ちは二度と起こしません」という
自虐感を持たせることで、
自分を責めて、セルフイメージを下げ
自信を無くさせることで波動を重くさせる
ように仕向けました。
しかし、あの有名な真珠湾攻撃は
実はマッチポンプでした。
知らなかったのは現地の人達だけ。
アメリカの軍は知っていたのです。
「日本が先に手を出してきました。」という
戦勝国になる言い訳と理由が欲しかったのです。
戦争は自然発生的におこるものではなく
意図しておこされるものであることを
お伝えできればと思います。

ちなみに、江戸の人達は人としての
誇りを強く持っていたそうです。
社会的な立場はあったとしても
上も下もないみんな平等であるという
意識がありました。
他のアジア諸国はその意識が弱く
力で押さえつけたらひれ伏していました。
江戸の人は力で押さえつけられたら
ただひれ伏すことを自分に許さず
とことん戦う姿勢を持っていました。
それに気づいたイルミナティー達は
他の外国のように日本を
植民地化することは危ないと思いました。

そんな高き誇りを失わせるために
戦後にもっと白人至上主義が
徹底されていきます。
明治維新でも使われた文化の破壊です。
これもセルフイメージを落とす手段です。
「白人は美しい、すごい。
日本人はださい、みっともない。
スタイルがよくない」
テレビや雑誌で白人ばかりを
モデルにしました。
そして、英語の教育。
英語を話せる人はかっこいいという
価値観を刷り込み
英語が苦手な自分はダメな人間だと
思わせるような教育です。
それでまた波動を重くします。
しかし、英語は左脳
日本語は右脳を使うので
日本人が英語に対して苦手意識を持つのは
当たり前なのだそうです。

改めて思うのは
江戸時代は260年も戦争がなかったのに
明治になってから一気に戦争が増えたのは
明治維新が
「一部の権力者のための国づくり革命」
だったからですね。
悲しいですが
同じ歴史を繰り返さないためにも
知るべき歴史だと私は思いました。
これを本当の事実かどうか
判断するのはその人自身ですが。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
この宇宙に1つしかない
オリジナルでスペシャルなあなたに
このメッセージが届けられたことに
感謝を込めて。

Twitterもしています。
noteではなかなか伝えられない
情報をお伝えしているので
よかったらご覧ください。

そして
次回の賢者は歴史に学ぶシリーズ⑪は
支配者側が望むこれからの世界に
ついて解説します。
元々生きづらい社会が
2020年からさらに
生きづらくおかしな社会になったと
感じていませんか?
これからの支配者側が
望む世界を知ることで
支配されない搾取されない予防が
できると思います。
その情報を次回お伝えできればと
思います。

以下、参考文献です。

#明治維新 #大政奉還 #長州 #薩摩  
#第二次世界大戦 #明治 #歴史  
#賢者は歴史に学ぶシリーズ





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