誰にでも生き別れた「半人前の兄弟」が2人いる。みんな絶対的に片っぽ。
四捨五入 は 切り上げ と 切り下げ の折半である。
これわかる? 要は「場合分け」の片っぽってこと
もう片方は 四入五捨 だね
小数点以下を四入五捨すると
(,,,0.8, 0.9, 1.0, 1.1, 1.2, 1.3, 1.4, 1.5, 1.6,,,)
→(,,,0, 0, 1, 2,2,2,2, 1,1,1,1,1, 2, 3,3,3,3, 2,2,2,2,2,,,,)
実用的じゃないから使われないけど、
実際、想像すらしない人がほとんどだろうな。
↑
3 ---- - -----
2 ---- - -----
1 ---- - -----
0- -----
0 1 2 3 →
こんな風な、「半返し縫い」みたいになる。
四捨五入よりすこし煩雑になり、波が生じる。
おや、、事業の成長とか、恋愛とか、人間関係とか、
現実で波がないものってなんだ??
時計とメジャーと数値と、、
あれ?
むしろこっちの方が実用的なんじゃね?ってなったりもする。
数直線はもっとグニャングニャンでもいいような気さえしてくる。
数直線はいくら曲がっていても、「概念」であるから真っ直ぐだ。
見やすさのために直線で書くのが慣習なだけ。
そう、見やすいから。見せやすいから。あれ?
もはや真っ直ぐな直線さえも印象操作なんじゃね?ってなる。
日々、目にする活字も、口にする白米も、耳にする放送も
使用言語に依存した発音の波長の傾向まで、
図られているのではないか?と思えてくる。
そしてこれはたぶん杞憂ではない。
図られていないはずがない。
こんなに便利なんだから。生き物は自動なんだから。
動物は自動物だ。半自動物だ。
植物はどうだ? 微自動物だ。
なんと!扱いやすいが、逆に手間がかかる。
流動的な半自動物の方が、操作はむしろ容易い。
なんと人間は、人間にとっても最も扱いやすい動物ではないか。
機械はどうだ? 全他動物だ。
最悪だ。なんと手間がかかることか。
自分の親の介抱も満足にしてやれないほどの重労働だ。まぁそれは元からか。
基準 が おかしいのではないか?
普通 が お粗末なのではないか?
分母 が 単純すぎるのではないか?
統計 が 幼稚すぎるのではないか?
概念 が 分裂症なのではないか?
分裂 が 統合なのではないか?
減数分裂の片方、次の肉を持たずに先に土に還る方
人は誰でも
生き別れた「半人前の兄弟」が2人いるのだ。
かれらは元気にしているだろうか。
かれらは今、どこで何をしているのだろうか。
土になったか、魚になったか、
貝かプランクトンあたりかな。
いつかまた会えるかな。
遺伝子、DNAってそんな大層なものじゃないと思うよ。
愛情や想像力、慈悲や智慧に比べれば。
宗教、哲学、文明ってそんな大層なものじゃないと思うよ。
畢竟じて、赤子が泣くのと同じことだよ。
片っぽ
われわれは最大でも片っぽ
絶対的に片っぽ
片っぽ以上は、難しいよ、、
100点満点でも片っぽ、もう片方は彼ら
贅沢三昧でも片っぽ、もう片方はイエス
即身成仏でも片っぽ、もう片方は尸解
からだは一つじゃあ、ないんだよ
でも、いくつあっても片っぽだ。
「もう片方」を見る力
私はこれを優しさと呼びたい
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