現代で最も高価なものは【断罪】という「峻厳な優しさ」

自称咎人・罪人志願者の私諸君に告ぐ

この世はたしかに狂っている。
大犯罪者ほど「社会に正しく認められた存在」なのだから。



罪を犯すのはタダ:コスパめっちゃいい!

(生まれるのと同じくらいのコスパのよさ)
(最近はコスパよすぎるだけで罪らしいじゃん)
(コスパよすぎてコスパ最悪)

なのに、

罪人になるのは難しい。

警察と裁判管とそれなりの工程が必要でランニングコストめっちゃ高い!
いくら罪を犯しても、捕まらなけらば罪人になれない。


もはや罪(規範)というミームが入り乱れてて、

「郷に入っては郷に従え」の

郷が重なりすぎてて、従いようがないんだわ。

郷を知覚するだけで、なんらかの業に抵触してしまうんだわ。


なにが無罪かがわからないから、

すべてが有罪に思えて、

なのにそれを裁いてくれる人(智)が全く足りてない。


ハイデガーの言った無責任な「世人」とは

断罪という同情・優しさ・思いやり・興味関心を受けられなかった

社会の「みなしご」なのではないか。

アノミーだ。アノミーだ。アノミーーーー


私が裁こう。

愛を以って。


峻厳な優しさを以って。


ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』
・・・
このように自分自身に苦悩する人にとっては、早い死以外に救済はない。
裁判官たちよ、きみたちの死刑執行を同情であらしめよ。復讐であらしめるな。きみたちは殺すことによってみずから生命を正当化するように、心せよ!

・・・


真に罪人に求められる反省とは、

「峻厳な優しさ」を受けたことに気付き、
社会からの「寵愛」に感謝することであって、

犯した罪を悔いることではないのかもしれない。


だって、罪って罪じゃないじゃん。

あれ?

裁かれるべき人なんていないじゃん。

あ、そっか。

裁かれたがりが裁いてるだけ☆


裁くのやーめた。

でも、裁いてあげたい。

あぁ、裁いてあげたい。

あぁ!裁かれたいぃ


無罪こわい。



原罪返してってかんじ。

原罪も含めてのぼくなんだけど、ねぇ。イエスさんよ。



p.s.

この記事に共感してくれる人さすがにいなさそう。

いつも読んでくれて本当にありがとう。




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