多作であるクリエイターの方がSNSではベターだけど

多作になっていくと、数撃ちゃ当たる方式ができるから、とにかく良い出目が出るまでひたすら賽を振れるというのが強いよな。

ゲーム制作とかでもそうですけど、最初からめちゃめちゃでかい作品を作ろうとするとうまくいかないことが多いです。

私も割と完璧主義的なところがあって、絵とかゲームとか音楽とか着ぐるみとかも完璧な作品という形で出した方が……と思ってしまう節があります。

だけど、音楽も完成したやつよりもDAWの画面のキャプチャとか、何ならスマホ撮りしたものの方がバズってたりとかは昔からあります。

着ぐるみも削り掛けのヘッドベースの写真上げていいねやリツイートもらってる人も少なくないし、完成したヘッドが回ってる写真が皮肉にもそのキャラで一番バズった写真になるみたいなのってすごいありがちです。

そういうSNSのライブ感とかに適応していくのであれば、途中だったとしてもうまく作品を見せたりして自分をコントロールしていくってのは大切だと思います。

もしクオリティだけがバズの要因だったなら、AIに描かせた絵って必ずバズるはずなんですが、そんなことはなくて、結局イラストレーターの絵のほうがバズってるし、何ならラフの切り抜きとかでもめちゃめちゃいいねやリツイートが付いている。これって、そのアーティストの作品だから、もしくは活動だから、価値があるし応援したいと思われてるんですね。

もちろんこれに対しての反論っていくらでもあって、やっぱりクリエイターならクオリティを捨てた瞬間に終わりだろとか、クオリティは時短に変えられるけど時間をクオリティに変換させるのは難しいだろとか、色々あるんですが、だとしてもSNS上では安定したクオリティを毎日出せる人が強いよなって点においては変わらないと思うんですよ。事実、それができているクリエイターっていっぱいいますから。

私は作品を出しちゃった時点で満足しちゃうというか、作業工程を公開しちゃうとそこで満足して完成させなくなる傾向があるのもあってあえて作業工程を後から公開することが多いんですけど、作りながら作っているものを公開していくのって今のFanboxやFantiaとかTwitterとかSNSの仕組みとすごいマッチしてるから強いよなと思いますし、それに合わせて自分の意識を変えていったほうが長期的に見た時にもしかしたらプラスなのかもなとも思います。

それでいうとnoteはかなりゆるゆると書けているし、文章を書いて上げることに対する変なプライドがないから、無理な責任感やら何やらを負わなくとも、最低限の責任だけで文章を書いて公開できているという感じはします。

あと、noteだとなんかあんまり炎上しにくいというのもありますしね。

炎上しにくい割に、結構いろんな人が読んでくれるといういいプラットフォームだからというのもあるとは思います。

cakesで色々あったからこそ、noteではかなり慎重にプラットフォームの設計を今もしているんだろうというのも感じますが。

マルチに活動してバリバリ作品を出していっている人もいっぱいいるし、良い加減、4匹目の着ぐるみを完成させたいと思います。
たぶん、ぼくは着ぐるみ制作よりも文章を書くほうが向いているんだろうけど。

それでは。


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