#読書感想文 論文の教室

 何故私が『論文の教室[レポートから卒論まで]』を読書感想文にしようと
思ったかというと、読書感想文のことを「論文ではない」(戸田山,
2002,p.50)とばっさり切り捨てるからである。戸田山の意見を
要約する(戸田山,2002,pp.267-268)と、


読書感想文が無意味、有害と批判されながらも学校教育に使われていること
感想文は書評とは違い、本の紹介、批評を目的とするのではないこと
アメリカにも似た課題があるが、それは、その本を読んでない人に紹介する
立派な目的があるという比較を上げて、戸田山の論を補強していること
「つまらなかった、時間を無駄にした」とは書けないこと
問いも、主張も、論証も無くていい(論文の方でなくていい)こと


と、これだけ読書感想文が論文でないかが主張されており、その隙の無さは
論文そのものだといってもおかしくはないと考えられる。


(ちなみに、今書いてある文章が論文調で書かれていると思っていると
お考えの方は、是非とも『論文の教室』を買って、この文章が如何に
論文の「ふり」をした読書感想文であるかを探してみるのも面白いかも
しれない。)

このエッセイで立てた問いは、「『論文の教室』は、読書感想文として
成り立つかどうか。」であり、その主張は、「『論文の教室』は読書感想文としても成り立つ」というものであった。その論証として、「『~おかしくはないと考えられる』の部分が、論文として成り立っておらず、
読書感想文の体裁を取っていたからだ」ということが出来た。
ということは、このパラグラフで書いた文章としては、論文としての
体裁と取っているという形になっているという一種のパラドックスが
生まれてしまった。しかし、その辺も含めて、読書感想文らしい読書感想文
になったのではないか考えられる。

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