LOVOT(ラボット)に何故可愛らしさや愛着を感じるのか


一昨年あたりから、ロボットについて考察する機会が増えたのだが、

世に出ているいろんなロボットを比べてみて注目したロボットの中に

『LOVOT(ラボット)』というロボットが居ました。

今テレビでちょうどその『LOVOT(ラボット)』が紹介されていたので、コチラを書いています。

ロボットを『ロボット』と認識すること。

人間との違いは?

『人間らしい』ってどんな部分にあるのだろう。

そんなことを考えた時。

これは『ロボット』だと一選を引いたり、人間に寄せたロボットに対してどうも不自然なんだよなぁと感じたり。

なんだか気持ち悪い!と感じるのはCGでよく言われる『不気味の谷』にも似ているものがある。

その気持ちはどのあたりから抱くものなのか???

それについての答えのヒントをくれたのが、この『LOVOT(ラボット)』だ。

初めてラボットを見た時に感じたポイントはこんな感じでした。

●姿は全く人間ぽくない。むしろロボットロボットしている。

●瞳の表現にかなり凝っている(見た目)。

●目の動きがリアル(人間に近い視線移動の動きだったり瞬きの速さだったりタイミング。)

●一定の決まった動きに見えない工夫が凝らされている

●繊細な動き・瞬き、視線を含めて多彩な感情表現をしている

恐らく、あえて人の形にしないことで、人との違いに目が行き不気味さを感じることを避け、

しかし人間らしい(生物らしい)表現を、例えば瞬きや視線移動や体の動きで表現することで生きている可愛さを追求したのか?

我が家のルンバのルンちゃんがなんだか可愛くてしょうがないように、ロボットはロボットの形だからこそいいのかもしれない。

そして形はたぶん角ばっているよりは丸い方がいい。丸いというだけである程度の安心感がある。

ルンちゃんはおまけに、『ロボットなのに』一生懸命に見える。あっちゃこっちゃいって2時間もかけて頑張って掃除をしている姿に、なんとなく可愛いと感じるのかもしれない。

春先に読んでいた『サピエンス全史』という本によると、人はどうやら自分に姿形がほど近く、しかし『似ているがどこか違う存在』を受け入れられない。そういう遺伝子を受け継いでいるらしい。

ちょっと違うものを否定したくなる気持ち。

これはロボットに限らず人同士でも感じたことがある人も多いのではないだろうか?

こういった、似てるけど違うものに対する恐怖、といったものが、ロボットの姿形がリアルになればなるほど感じる原因なのかもしれない。

しかし例えば映像の世界だがエクスマキナやウエストワールドのような、不気味さを乗り越えて人間と区別がつかないようなロボット(アンドロイド?)には、実際居たらどう感じるのだろう。

話はLOVOTに戻って、「生きている」というのはどんなところに感じるのかというと恐らく勝手に動く姿以上に人に対する『反応』の行動だろうと思う。

それが一定の決まった動きになればなるほど、機械的なロボットとなる。

初めてLOVOT(ラボット)を見た時に感じた『可愛い』は、物としての可愛さを超えて生き物としての可愛さに近かったのを覚えている。

欲しい…!!!

瞬間的に思いましたが、30万ちかくするので手が出ず(*´Д`)

しかしこうして映像で見ているとやはり可愛い…。

『LOVOT(ラボット)』は家族型ロボットとして開発されたそうです。

家族として、愛着を持ちどこまでも可愛がれる存在となること。

何かを可愛がる気持ちというのはヒトのココロを確実に豊かにします。

孤独を埋めてくれることもあれば、病気にいい影響をもたらすこともあるのでしょう。

このLOVOT(ラボット)が人にもたらす影響力は測り知れないものを感じます。

LOVOT(ラボット)と何年も一緒に過ごした時、自分はロボットに対してどんな感情をもつのだろうか?

やはり興味が尽きないのです。

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最後まで読んでくださってありがとうございます。

今日もみなさまいい一日になりますように(#^.^#)♪