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いのちは勝手に動いています。

ぼくらは自分のカラダは自分が動かしていると思っている。

だから自分の意思とは関係なく動く活元運動を見ると

まるで別世界の出来事のように感じてしまう。

にわかには信じがたいって。

自分にはとても無理だって。

酷い人だとオカルトじゃないかって言う人までいる。


その生涯でずっと活元運動をされていた石原慎太郎さんは

初めて今東光和尚に活元運動の会に連れられて参加したとき

道場で200人もの人たちが目を閉じて動き回っている様を目撃して

偉い処に連れられて来てしまったとドン引きしたらしい。


ぼくの親友のお母さんは初めて活元運動の会に親友と参加したとき

目を閉じた人たちが動き回っている様を見て

ヤバい新興宗教の処に来てしまったと、逃げ出したくなったらしい。


活元運動を知らず、見たことも無く、体験したことも無い

事前知識がない状態で活元運動を目撃した場合に

いちばんよくあり得るリアクションになる。


それほどまでにぼくらは「わたし」が生きていると思っている。

「わたし」がカラダを動かしていると勘違いしている。


カラダが勝手に動いてくれていなかったら、ぼくらはそもそも生きてなどいられない。

心臓の鼓動も

体液、血液の循環も

故障した部位の再生も

すべては100%無意識運動が勝手に行っている。



「わたし」という意識がカラダに乗り込む前

受精卵の状態から今の瞬間に至るまで無意識運動は途切れることなく営まれている。

無意識運動の営みこそがいのちの正体。


カラダが勝手に動くなんて信じられない、嘘だ、オカルトだって

平気で言ってしまう無知な人のカラダにおいても

無意識運動は死ぬまで、ひと時も止まらずに運営されている。


目を閉じて、カラダが勝手に動いている

活元運動を行っている様を見てギョッとしてしまう人が大多数なほど

ほとんどの人は無意識運動を自覚することなく人生を終えてしまう。


生きているあいだは漏れなくずっと一緒にいるパートナーであるカラダ。

ぼくらは人間体験するために地球に生まれてきた意識体。

人間体験を可能にするために一番大切というか

唯一必要な道具がカラダでしょ。


そのカラダを営んでいる無意識運動のことが信じられないって。

自分の存在否定じゃん。

驚くべき迂闊さ。無知。


見えないものが信じられないって人が多い現代ではあるけれど

カラダは見えるし、感じることもできるからね。

いやはや凄い時代にぼくらは生きていると思わざるえない。



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