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その薬を飲み続けている目的はなんですか?

ぼくに投薬治療をしてもよいですか?

という、質問をなげかけてくる方がいる。


世間的には整体指導者は薬を否定していると認識されている。

整体状態であればほとんどの異常は自力で経過させうるからね。

だから質問を投げかける相手を間違っているんだけど。

それはさておいて。


ぼくはそんなに優しくないので

好きにすればいいとだけお答えしています。


自分の心身を感じる塾として活動しているので

カラダの感覚や自分の要求を自分で感じとってほしいから。

心地よくなくなれば自然と飲まなくなるからね。

強要するようなことではないわけ。


免疫学の安保教授が言っておられる。

短期で薬を使うことは有効なんだけど

長期で薬を使い続けていくと

免疫のネットワークが働くことも阻害していくために

問題が多いと書いておられる。



ぼくの手応えの感覚もそれに近い。

膠原病とか、リウマチとか、糖尿病など

長期に渡って薬を服用されている方に

触れると独特の鈍~い感触がある。


生き物ではなく物に触れているかのような鈍さ。

気に感応しない、気が通っていかない

触れた瞬間に伝わってくる鈍い感覚。


カラダが敏感な方にふれると

ふれた場所に気が集まってくる。

カラダの中へ通していった気が

相手のカラダの内部で通っていく様を感じ取ることができる。


全然違うカラダ。


毎日せっせと薬を飲んでおられる方が

旅行中は薬を飲むのを忘れていました~

って言ってるのを聞いたことがあるんだけど。

本当に苦しければ絶対に忘れないからね。


本当はそのまま永久に薬を飲むことを忘れてしまえばよかったのに。


こころウキウキする旅行から帰ってきて

日常生活に戻ってくると

ひょっこり心配が頭をもたげてしまう。


やばっ

そういえば、クスリ飲んでなかったわ


カラダの中に侵入した細菌を殺すためには2週間継続して飲んでくださいね

と処方されたクスリを飲み忘れてしまったのなら

効果がなくなるから心配するのは分かるけど。

長期服用しているものなら、

飲まなくて問題がなかったのなら、

必要なくなっているってことでしょ?



クスリを飲んでいる目的ってなに?

クスリを飲まなくてよい健康な状態に戻りたくて

クスリを飲んでいるんじゃないの?



目的がすり替わっちゃうって

よくやりがちなんだよね。



彼女を喜ばせたくて

彼女が大好きなディズニーへデートに行くことにした。

彼女がメイクに時間がかかっていて

なかなか出発できない。

首都高に乗ったんだけど渋滞にはまってしまう。

ディズニーランドに着いたら

目当てのアトラクションが150分待ち。


いずれも想定内ではあるはずなのに

イライラしちゃったって経験ないですか?


今日の目的は彼女を喜ばすことだったよね。

イライラしてたら、全然ちゃうやん。

目的忘れてしまっているやん。

ディズニーに行くって決めたのも

彼女を喜ばせたかったからだよね。


それなのにディズニーに行くことが目的になっちゃってる。

あかんやん。

目的変わってるやん。



クスリを飲んでいるのはなんのためなん?

クスリを飲まなくてもよい状態に戻りたいんじゃないの?


だとすればクスリ飲むのを忘れていたって

飲まなくても何も困らなかったってことじゃん。

気が付いた『クスリ飲んでなかった』って事実は

心配の種ではなくて、

喜ばしい事実の発見だよね、ホントウだったら。


目的がクスリを飲むに変わっちゃってる。

お守りのようにクスリを飲んでいる。


そんなひとは本当は止めるべきだよね。


たぶんこの文章を読んで

あっ、

これ自分のことじゃん

って

すぐにクスリを止められる人ってほとんどいないと思う。


それは自分のカラダに対する信頼がないから。

活元運動の一番の効用は

いのちが営んでいるチカラを自覚できちゃうことにある。

自分にもともと備わっていた力の再発見。


アタマをポカーンとさせて

カラダの力を抜くと

勝手にカラダが動き出すという

象徴的な体験を通して


自分の意識ではないカラダの動きを目の当たりにする。

この働きがいのちを営んでいたんだという事実に直面する。


いのちってこうなんですよって考え方でもないし

ポジティブシンキングなどでもなく

体験だからね。


体験がカラダへの信頼を

勝手に育ててくれる。











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