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宝物に触れるように人にふれる師匠の整体指導の風景

師匠の田総先生が亡くなった直後にブログに追悼文を書いていた方がいた。

今はもうそのブログはなくなってしまったけれど。

家族で先生の個人指導を受けていたんだそう。

中学校時代は県内ではテニス選手として優秀だった。

その流れで高校に入ってからもテニス部に入り、練習する日々。

ただし、いつからか後からテニスを始めた人たちに負けるようになっていていたんだそう。

テニスに熱が入らなくなっていたのに

周囲を気にして言い出すこともできず

漫然と部活動に参加する日々。

抱えていたその葛藤を先生に話したことは一度もなかったのに。

愉気を受けている時に、

『好きなことをやっていいんだよ』と

ポッと言われた。


それがきっかけでテニスをスパッと止めることができた。

そんなふうに寄り添って理解してくださっていた不思議な先生だったと。




ぼくは初めて田総先生の整体指導を受けた時 

何も伝えていないのに

何も相談していないのに

『もっと楽に生きられるとよいね』

と声をかけられた。

ちょうど大好きな祖父が亡くなった後であり

役者として事務所に所属することが叶わず

将来についていくつかの選択肢を抱えて悩んでいた時期だった。

背中に愉気をしていただいて

ものすごく安心したのを覚えている。

カラダという水袋の中で、気を通していただいた背骨が浮き上がってくるような感覚。



何度か先生の指導を受けた時に

『君は整体を学びたいのか?』

はい

『年齢はいくつになる?』

35です

『ギリギリだな』

ぼくは深々とお辞儀をしながら、

お願いしますと、即答した。


あのとき、先生の声かけにもじもじしていたら

先生はぼくを引き受けてくれていなかったろうと思う。

間髪を入れずに

お願いします、と返されて引受けたんだと思う。

ちょうど前日に俳優の遠藤憲一さんを育てた俳優事務所の社長さんと3時間膝付き合わせてお話をした翌日のことだった。

ぼくの覚悟を自発的に引き出した先生の心理指導だったんだなと、後に思い当たることになる。

野口晴哉先生から潜在意識教育を受け継いだ数少ない整体指導者である田総先生による心理指導が決まった瞬間だった。



祖母が亡くなった直後の整体指導では

先生はぼくの背骨を観察すると

いつもと違って

ぼくの背中の1点にずーっと愉気をされていた。


愉気を受けているだけでカラダがビクビク動き出して活元運動が起こり、

やがて動きが収まった。

愉気していただいたまま、いったい何分が経過したんだろう。

急に涙があふれそうになって。

懸命にこらえた。

指導が終わり、先生に礼をしたら、瞳の奥をのぞきこまれました。

そのまま指導室の隅にすわったら涙が抑えられなくて。

タオルで汗をぬぐうふりして目頭を押さえた。


先生は的確にぼくの中の悲しみを捉えたのだ。


その時、先生が愉気をしたのは胸椎6番右側一側だけだ。

失恋や死など感情的なショックがあると気が滞る処。

最初から最後まで、

先生も何も言わず、

ぼくも何も言わず。

ただ最後に穏やかな目でぼくの瞳の奥をじぃーっと見つめられただけ。

フリーズしていた心身の働きが動き出し

涙となって現れた。



初めてお会いしたとき

田総先生が目の前にうつ伏せになっている方の背骨を観察している姿をみて

野口晴哉が「いのちへの礼」と言っていたのは、これだと。

体現している方を見つけたと直感した。

田総先生はまるで宝物のようにふれる。

そんな風に感じさせてくれた唯一の整体指導者の先生だった。


生きているあいだに、どこまで先生に近づけるか分からないが

目指すべき姿として目に焼き付いている。









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