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カラダとの対話が自分にとっての真実を教えてくれる。

整体指導を受けに来られた方に伝わったらいいなと思っていることは

自分のカラダと対話するってことに尽きる。

それさえ伝わってくれたら嬉しいと思って活動している。


「わたし」が人間として生を受けたときからずっと

カラダはひと時も離れず

「わたし」と共に在る。


当たり前の極致としてカラダが在るために

無意識運動によっていのちが滞りなく営まれていることに

目を向けることがない。


病気に罹って初めて

滞りなく営まれていた活動が当たり前じゃなかったことに気づく。

病気って、失っていたカラダとの対話を促してくれるチャンスでもある。


カラダを「わたし」だと思ってしまっている人がいるけど

カラダは「わたし」じゃない。

その証拠に

腕を奪われても

足を奪われても

眼球を奪われても

「わたし」という意識には傷つけることすら出来ない。


受精した卵子が無意識運動によってカラダへと変化していき

妊娠3ヵ月くらいに乗り込んだ意識が「わたし」なのだから。

カラダを傷つけても「わたし」は傷つかないわけだよね。

カラダに宿っている意識が「わたし」。


ただし「わたし」が地球において

人間体験できているのはカラダのお蔭さま以外の何物でもない。

だからもっとも大事な存在がカラダであると言い切れる。

カラダは丁寧に扱う価値があるものです。


カラダを丁寧に扱うって

物理的に丁寧に触れてあげること

カラダから湧き起こってくる要求を大切に扱ってあげること

カラダから湧き起こってくる感情を感じること


難しいことはなんにもなくて

今すぐに出来ることばかりなんだけど

実際には出来ていなかったことばかりかもしれない。

少なくともぼくの場合は出来ていなかったよね。


ワクチンを打ってから常にカラダに違和感を感じるようになった人が

次は打たない方がいいでしょうか?と尋ねてきた。


それって他人に聞くことじゃないよね。

カラダとの対話がないとそうなってしまう。

どこぞの偉い先生がカラダにいいと勧めてきたから

あなたの旦那がこれはカラダにいいよって勧めてきたから

ネットで大勢の人がいいねを付けている情報に書いてあったから


だから、なに?


だって既にカラダが教えてくれているじゃん。

それ以上、確かなメッセージなんて無いよ。

カラダは常に「わたし」にとっての真実を教えてくれる。


だから人と意見が違ってもいいし

周囲と異なる選択をしてもいい。

カラダとの対話は

湧き起こる要求や感情、違和感をスルーせずに感じることが最初の一歩になります。

すべては自分だけが感じられるカラダからのメッセージなのだから。




















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