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自分らしさの原点。湧き起こる要求にゆだねて生きていく。

20年前と変わらず

書店には自己啓発本コーナがあり

ネットやYouTubeでも悩み相談に対するコンテンツがあふれている。

宗教や哲学や占い、自分を勇気づけてくれる歌などもふくめ

人間は言葉で元気づけられる生き物であることは間違いない。


悩みってものは自分が取り上げることで初めて生まれる。

どんなに酷いことが目の前でおこなわれていても

とりあげなければ問題にはならない。


それは分かっているんだけど

置かれた環境によってはどうしても取り上げてしまうよね。



保険会社で交通事故の示談交渉をしていたとき

当然ながら、仕事なので示談がまとまっても

毎日新しい事故が起こり、

新たな担当事故が割り振られるため

解決しなければならない事故件数の総数は変わらない。


こんなこと人生でしたいわけじゃないのにという思いが頭を離れない。

たまたま友人が空手の正道会館の指導員だったので

汗をかいてサンドバックを蹴り込めば

鬱散して気分転換になるだろうと思って通い始めた。


おまえ、本当にバカだよねえ

ただの問題の先送りじゃねえかと

今の自分だったら言ってやるとこなんだけど。


まあ、体験して無駄だと思い知らされた。

問題を明確に抱えているのに向き合わないわけだから

スッキリできるはずがない。

空手をやって肉体を動かし、

エネルギー鬱散できて

汗をかいて、終わってからシャワーを浴びて

確かにそのときは気分がスッキリする。


でも、それは錯覚だった。

向き合わないでいる問題は何も変わっていなかった。

向き合わずに、逃げているだけなんだと

頭のどこかで分かっちゃっている。


世界中を騙せたとしても

自分を騙すことは絶対にできない。


そんな当たり前のことも体験して知ることができた。



勤めているということは

所属している組織の要求に従って活動しているということ。


当然、組織の要求は自分の中から湧き起こってきたものではないから

適応するために努力を強いられる。


だから、20年前と変わらず

自己啓発や心理についての情報が

今でも求められている。

自分の要求発信じゃない環境で働いている人が多いから当然でもある。


一番多くの時間を過ごしている勤務中に

自分の要求ではない

組織の要求に従っているんだから

その中で自分らしくあるとか

自分の要求にしたがって行動するというのは

ものすごく人生ゲームの難易度が高い。


勤め人ですら結構な高難度ゲームなのだから

非正規の職場などで

自分らしく生きている人というのは

ほぼ絶無に等しい。

そもそも無理ゲーだよね。


みんな自分の要求が湧きおこらないカラダの在り方になってる。

そもそも要求が湧きおこらないように

無理ゲー環境で生きていくために

カラダが鈍り適応している。


そのために非正規の職場では

やりたいことがないんです。

ワクワクすることが分からないんです。

って、意見が多く聞かれる。


だから整体指導では鈍り適応の産物である

カラダの無意識の硬直を解除することで

鈍り適応をまず破壊する。

その結果、

心身のホメオスタシスがふたたび機能するようになり

自分の中から要求が湧きおこるようになって

再適応がかってに行われる。


整体指導を受けた方が

会社を辞めたり

就職される方がいて

感謝されたりすると自分の中では???

って、最初は不思議だった。


心身の弾力が回復することで

自然発生的に環境へ再適応したというだけで

自然なことなんだよね。


いのちを大切にするということは

目が輝いてくるように行動するということ

いのちを大切にする=自分の要求に従う


そのように自分では認識していたんだけど

いのちの側から言うと

心身の弾力が回復してくれば

いのちが進みたいように

勝手に動き出すってだけのこと。



大切にするなんて

いのちにすればおこがましくて

本来の在り方

整体状態であれば

いのちから湧き起こる要求に委ねてしまえば

結果として

いのちを大切にしていたことになる。











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