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才能を才能の一言で片付けるな

こんばんは。阿部有希(あべゆうき)です。

私は普段、自らトレーニングをマネジメントしつつも、要所要所では競泳の選手コースや、一昨日のように陸上の強豪校にお世話になったりしております。

そんな専門種目の子たちと一緒にトレーニングしていると、才能やセンスといったものをまざまざと見せつけられることがあります。

そんな時その才能を「センスがいいから」「天才だから」という言葉で片付けてはいけません。

それはなぜか。

今日はなぜ「天才」という一言で片付けてはならないのかを考えていきたいと思います。


努力を否定することになる

トライアスロンにおいて自分よりも明らかに速い選手を見て、あれは「センスがいいからだ」という言葉で片付けたとしましょう。その時に何が起こるのか。

そもそも相手へのリスペクトが欠けている言動です。要するに「センスがいいから」の一言で片付けることによって、相手の努力すらも「センス」にまとめてしまっているということ。

そして、自らの努力も否定してしまうことになります。そのつもりはなかったとしても、「センス」で片付けてしまうことによって、その人のようにはなれないと負けを認めてしまうことになるんです。

自分自身で己の未来に蓋をしてしまっているということ。

分かりやすくいうと、サッカー選手を目指している少年がメッシのプレーを見て、「あれはメッシだからできたことだ」と思ったら、その瞬間にメッシのようにはなれなくなる。といった感じです。


ドリームキラーには気を付けろ

自ら「あれは〜だからできることだ」と蓋をしなかったとしても、外からそれを言い蓋を閉じてくる人間もいるんです。そういう人間のことをドリームキラーと呼びます。

例えば先程のシチュエーションで、少年が「うわー俺もあのプレーできるようになりたい。」と言ったとしましょう。そこにドリームキラーが「あれはメッシだからできたんだよ。」と言います。そこで外的に蓋をされてしまうことがあります。

もちろん言われてすぐに「あ、メッシだからできたのか・・・じゃあ無理か」とはならないと思います。しかし、長い間ドリームキラーと一緒にいると、そっちの思考に引っ張られてしまいます。

そのためドリームキラーにはお気をつけください。


まとめ

もちろん世の中には、どうしようもない「才能の差」というものは存在します。中学時や高校時といった、まだまだ体が出来上がっていない時期は、特にその「才能の差」を見せつけられます。それは同じ部活やクラブ内で同じトレーニングをこなしているから。もしかしたら影で努力をしていたり、同じトレーニングでも他の人と違い、しっかり目的意識を持っていたりするかもしれないのに・・・。

そのため自らの努力量が、その「才能がある」と思われる人たちを上回るまでは諦めてはいけません。最終的にトップまで上り詰める人間は、必ずと言っていいほど圧倒的な努力をしているのだから。

ただ、トライアスリートに「才能」の一言で片付ける選手はほとんど見たことがありません。おそらく、「センス」や「才能」という言葉で片付けるには難しい競技であるためだと思います。それと同時に努力量がものをいう競技だと大部分が分かっているからかなと。

もし相手を「才能」という一言で片付けてしまったら、その時点で負けを認めたことになるということを忘れないでください。


最後に努力貼ります↓


以上



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