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面倒くさくない恋愛なんて、する価値ないとおもうの/ぐるぐる女子のあちこち文通

「すき」に確証を持てない、と言ういっちゃんへ!

前回のお手紙を読んだのは、すきな人と会った後の暴風雨の帰り道。横殴りの雨に降られながら、持て余した気持ちを「さあ、どうしようか」と考えている最中でした。
離れた場所できっと同じような心許なさを感じてるのだなと思うと、お手紙って、届くってすてきだな〜〜!と冷えた身体にカイロをもらったような気持ちになったものです。

いっちゃんが言うように、好きって気持ちにまっすぐ正直に向き合いたいのに、なんだか迷子になっちゃう時。

ねえ、あるよ‥。ある!あるあるある!

「追いかけられる恋」VS「追いかける恋」はいったいどっちが幸せなのか、論

を問いたいということでしたが。うーん、一回も考えたことないな(笑)

例えば高校生の頃、不登校のひきこもりニートと化したわたしの生命を全力で支えてくれた当時の彼とのエピソードは「追いかけられる恋」だったはず。
そして、わたしが3年間も片想いをしてた海外に住んでた男の子とのエピソードは、(彼を追っかけてニュージーランドにまで飛びましたので)名実ともに「追いかける恋」と言えるでしょう。

でも、恋愛史として考えてみるなら。優劣なんてちっともなくて、どちらもその時の自分の人生に必要だった恋なんだと思うんだよね。あれがあって、今がある。そう思える記憶があることこそが奇跡みたいなラッキーなんだよ。

もしかして、いっちゃんが「追いかけられる恋〜論」を考えはじめたのって、恋愛の相手によって関係性のパワーバランスが変わるからだったりしない?そんなことを繰り返すのに疲れちゃったからだったり、しない?

だけどね、気持ちなんて、スタンスなんて、状況やタイミング次第でいくらでもひっくり返る。しいて言うならば、そんな追いかけっこを繰り返しながら年を重ねていける関係のことを「幸せ」って呼ぶんじゃないでしょうか。

すきをこわがらなくていいんだよ

せっかくすきな人と過ごす時間なのに、明るく振舞おうとして空振りしたりすることってない?(ちなみにわたしはめっっっっちゃある)
「あーあ、面倒くさいな(自分)」ってぜんぶ放り投げちゃいたい日もあるよね。そういう時に「伝わらなくて悲しいなー受け取ってほしいなー」って、伝えたっていいと思うんです。
だってわたしの、心臓がじわじわあったかくなる嬉しさも、ヒヤッとするような悲しみも、ぜんぶその人のためなんだもん。

女の子は我慢して我慢して我慢しつくして、そうやってある日突然プツンと糸が切れたように相手を見切りがち。でもわたしは、一緒に居たいって決めた相手だったらどこまでも対峙したいし、終わってしまうなら最後まで一緒に腐っていきたいんだ。

延命治療みたいな関係なんてまっぴらごめん。
うわべだけやりすごすようなふたりって、それってもう、終わってるもん。

もし伝える労力をケチってる自分に気付いたなら、それが相手を「もういらないな」って思っちゃう終わりの合図 なのかも。

面倒くさい女上等。強がり上等!面倒くさくない恋愛なんて、する価値なし!
だから、大丈夫だよ。 

追う恋でも追われる恋でもなく、それを面倒くさがらない男を選びたい派・ひよりさんでした。

P.S.
「おいかける恋はダメよ‥ママがそう言ってた」からはじまるCHARAの曲があるの。ぜひ聴いてみてね!


原稿料代わりに・・!?