見出し画像

君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956

2007年のハンガリー映画です。
監督は、クリスティナ・ゴダ。
脚本は、「フラッシュダンス」「氷の微笑」のジョー・エスターハス、
エーヴァ・ガールドシュ、ゲーザ・ベレメーニ、レーカ・ディヴィニ。
撮影は、ブダ・グヤーシュ。
音楽は、ニック・グレニー=スミス。
出演は、イヴァーン・フェニェー、カタ・ドボー、
シャーンドル・チャーニ、カーロイ・ゲステシ、
イルディコー・バンシャーギ、タマーシュ・ヨルダーン。



1956年、モスクワで行われたソ連対ハンガリーの水球の試合。
ソ連びいきの判定に怒ったハンガリーのエース選手・カルチは、
試合後、挨拶に来たソ連選手たちに、「くたばれ、フルシチョフ」と言い、
ハンガリー選手団とソ連選手団でけんかになる。

帰国したカルチは秘密警察AVOに呼び止められ、本部に連れて行かれる。
そこでは、AVOに連行された人々が拷問を受けていた。

「本物のコーラーがあるんだが飲んでみないかね?、
 遠慮はいらんよカルチ」
「・・・。」
「なぜ、モスクワでソ連の選手を殴った?」
「彼が先に」
「そうだとしても殴り返した」
「・・・。」
「どんな理由があろうとソ連の同志にはむかってはならん、
 『くたばれ、フルシチョフ』と侮辱することもな」
「わかったか?、家族は大事だろう?、弟の名はヨージだったな?」

家に戻ったカルチは、AVOに連行されてはいないと言った。
カルチの弟は、「兄ちゃんが逮捕されるとぼくは施設に送られるの?」
と不安がり、カルチの祖父は、ポーランドの市民運動を伝える
自由ヨーロッパ放送のラジオを聴いていた。

「ソ連に勝たせろと言ってきたのか?」
「ロシア人に逆らうな言ってきた」
「なんと脅された?、家族を持ち出されたか?」
「おやすみ、おじいちゃん」
「カルチ、時には反撃すべき時もある」


翌日のブタペスト工業大学では、共産青年同盟が、
「あのニュースは、相手側の作り話だ」と演説する。
が、そこへセゲド大学の代表が乱入し、発言させてくれと言う。
集会は混乱したが、「彼に発言させて!」と女学生が声を上げた。
──それがヴィキだった。
セゲド大学の代表は、「ポーランド人は自由のために闘っている」と言い、
共闘を呼びかけた。

カルチが大学に行くと、共産青年同盟より独立したハンガリー独立学生連盟
が結成されていた。

カルチは言う「大学生がなにが独立だ」

ハンガリー独立学生連盟は、ソ連の圧力で首相退陣に追い込まれた
ナジ・イムレの復帰とスターリン主義者の追放を主張したが、
共産青年同盟に邪魔され、スピーカーの電源が抜かれた。

が、ヴィキが叫んだ「わたしたちはもう黙らない!、叫び続ける!」

「イミ、あれは誰だ?」
「ヴィキだよ」
「紹介してくれよ」
「ふられるよ」
「ありえない、紹介してくれ」

大学内で政府への要求文を配るヴィキに、大学生でも斎藤佑樹なみの
有名人のカルチは声をかけた。

「俺はオリンピックに出るんだ、手伝っている暇はない」
「知ってる」
「君に会ってたら忘れないな」
「保身第一の臆病者ね、共産主義者のお気に入りならどうぞ特権を大事に」


1956年、10月23日。オリンピック合宿に向かう途中のカルチは、
デモに参加していたヴィキを見つけ、
日本の学生運動レベルの志の低さでデモに参加する。
デモは巨大な市民運動と化し、カルチの家族たちも参加、
前首相のナジ・イムレのもとを訪れる。
さらに学生連盟は、独自の行動を起こし、ラジオ局の占拠に向かう。
が、ハンガリーの市民運動は、日本の革命ごっこの学生運動と大違いで、
AVOは、催眠弾や放水車での放水だけでなく、機関銃で市民を銃殺した。
──カルチとヴィキ、自分たちの目の前で同級生のイミが銃殺された。


“ ハンガリー動乱 ”

翌日、ハンガリー勤労者党は、市民運動の沈静のためにナジ・イムレを
首相に復帰。しかし、時同じくソ連軍が武力介入。
ブダペストの街にはソ連軍戦車が姿を現すこととなる。

「来て」
「俺は行けない、オリンピックは俺の夢だ」

政府は混乱状態、情報は錯綜、市民たちは銃や食料を集め抵抗に備えるが、
実際に銃を撃ったことをある人間は誰もいない。
急遽、警官や軍人が市民にライフル銃の撃ち方を訓練する。

一度は、合宿に戻ったカルチだったが、
また市街戦へと突入したブタペストの街へと戻って行く。
同じ頃、学生連盟とヴィキは、軍の士官学校を訪れる。

「革命の成功のために武器を渡してくれ」
「待っていたよ、
 君たちが強要したことにしてくれるなら武器はすべて提供する」

武器は集まり、市民グループは抵抗軍にまで膨れ上がった。
その本部でカルチとヴィキは再会した。

10月25日、ナジ・イムレは戒厳令を取り下げる。
街の人々は平静を取り戻した。もともとの駐留軍のソ連兵士たちは
攻撃をやめ、これで戦闘も終わりかと思われた。
──が、一発の銃声が起きた。

国会前広場は、血の海と化し約100人が死亡した。
その場所に、カルチとヴィキはいた。
混乱のさなか逃げ惑うカルチとヴィキ。AVOと遭遇し、相対した。

「やめろ!、撃つな!、わたしは神父だ!、銃をおろせ!、大丈夫だ!」
「この裁きはわたしたちに!」
「裁くのは神だけだ!」
「AVO!、銃を置け!、市民は銃を取り怒っている!、
 これ以上はかばえない!」
銃を神父に渡そうとしたAVOの隊員たち。
が、一人の隊員が神父を撃った。
神父を銃殺され、武装蜂起した市民たちもAVOを銃撃した。
ヴィキが撃たれた。
銃を撃ったこともないカルチまで、AVOに銃を向けて引き金を引いた。
そして、その場にいたAVOの隊員4人は皆、市民たちに銃殺された。

10月29日には警察、軍隊、市民による国民防衛隊が結成。
ナジ・イムレがソ連に停戦を呼びかけ、ソ連軍は撤退を開始した。
街に平穏が訪れた。動乱のさなか愛で結ばれたカルチとヴィキ。
カルチはメルボルン・オリンピックに出発した。

──が、カルチはメルボルン・オリンピックに向かうバスの中、
  反対側からやって来る大多数のソ連軍戦車団を知ることになる。

11月4日、ソ連軍は、ハンガリーに再介入。
街は市街戦と化し、ナジ・イムレはまたも追放され、
西側諸国はなにもしなかった──。


12月のオーストラリア、メルボルン。
家族とまったくの連絡がつかないカルチと選手団。
テレビのニュース映像で、祖国が崩壊状態にあることを知る。


“ メルボルンの流血戦 ”

カルチたちハンガリー水球選手団は、「祖国に勝利を」と心を一つにする。
が、準決勝。
ハンガリー水球チームは、ソ連水球チームと対決することになる。

奇しくも1998年、長野オリンピック。アイス・ホッケー競技では、
NHLプレイヤーが本格参加した世界最強カナダ、オールNHLチーム、
アメリカを破った背番号68を背負ったヤロミール・ヤーガー率いる
チェコ・チームがロシア・チームと決勝戦で対決した。

日本を含め、西側諸国では語られることのない、
旧東側諸国の歴史と“ 伝説 ”の物語。


いい映画です。


-------------------------------------------------

■ハンガリー動乱と同時期の東ドイツの映画


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

よろしければ、作品の自費出版の費用にさせていただきます。

ありがとうございます。
11
普段は会社員をしています。映画のコラムみたいなもの、素人小説などを書いてみます。

この記事が入っているマガジン

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。