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いまを生きる

1989年、アカデミー賞、作品賞、監督賞、主演男優賞ほか、
4部門にノミネートされ、脚本賞1部門受賞の作品です。
監督は、ピーター・ウィアー。
主演は、ロビン・ウィリアムズ。
共演は、イーサン・ホーク、ロバート・ショーン・レナード、
ララ・フリン・ボイル。




全寮制の進学校、ウェルトン・アカデミー、
卒業後は、有望な就職が約束される名門校です。

学校は有望な就職を与え、生徒には厳格な校則を強いります。

この学校に、かつての卒業生でもある
ジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムス)が赴任してきます。


ジョン・キーティングの授業。

キーティングは、教科書の序論“ 詩を理解するには ”について語ります。

文学博士、J・エバンス・プリチャード著、序論“ 詩を理解するには ”
詩の持つリズム・韻律・比喩表現を学び、二つの考慮をする。
一、内容はいかに芸術的に表現されているか(完成度)、
二、内容はいかに重要か(重要度)、
一を横軸とし、二を縦軸と設定する。
例えとして、
バイロンの「ソネット」は、縦軸は高いが横軸はそれほどでもない、
が、シェイクスピアの「ソネット」は、縦軸も横軸も最大の水準に達する。なぜかシェイクスピアこそが最大だという不可思議な結論に達します。

キーティングは、「プリチャードという奴は、くだらん奴だ」と言い、
「詩や歌の鑑賞は、道路工事ではない、
 ましてや全米ヒットチャートではない」と言い、
「そのつまらないページは、破って捨てろ」と言います。

「今日はおもしろい授業をしてたね」校長が言います。
「おどかしたのなら謝りますよ」
「いや、詫びることはない、おもしろかったよ、
 かなり危険だとは思うがね」校長が言います。
「そうですかね」
「芸術家になるように仕向けるのは危険だよ、
 彼らがモーツアルトでもレンブラント
 でもシェイクスピアでもないことに気がついたとき君が恨まれるよ」
校長が言います。
「僕は自由な発想を持てと言っているだけです」
「過激派を育てるのか」校長が言います。
「先生がこんな皮肉屋だとは」
「皮肉屋じゃないさ、リアリストなんだ
 “ 愚かな夢に枷を解かれた人々たちを、汝は幸せと呼びたもう ”」
校長が言います。
「“ されど、人は夢の中でのみ真に自由なり、
 昔も今も、そして未来にもまた ”」
「テニスンか?」校長が訊きます。
「いや、キーティング」


ある日、普通に授業をするキーティング。
突然、教壇の上に飛び乗ります。「なぜここに立ったか、わかる者?」
「優越感」生徒の一人が言います。
「違う、遊んでくれてありがとう」キーティングは言います。
「デスクの上にたったのは、
 物事を別の角度から眺めることの重要性が理解できるからだ」
「ここからは、世間が違って見える」

「なにか新しいものに出会ったときは、別な角度からも眺めること、
 例えそれがばかばかしく見えたとしてもだ」

「なにか読んだら、その作者の考えばかりではなく、
 自分の考えもまとめてみろ、
 そして、自分だけの答えを見つけなくてはいけない、
 そういう習慣を持たなければ、作者の考えもわからずじまいになる
 ソロー曰く“ 人は静かな絶望の中に生きている ” 
 そんな言葉にしばられるな」

そしてキーティングは、論理的に授業を進めておきながら、最後は
昔ながらの根性論「失敗を恐れずに新境地を求める」と授業をくくります。

世間は優秀な人がもっと活用され、世の中を良くしてほしいと願いますが、
実際は、優秀な人は変わり者扱いされ、
大多数の“ 少しの幸せで十分 ”と云う人が事実。そして、なにもしない。

そして物語は、相談だけしておきながら、
「君の気持ちをはっきりと言え」という大人の言葉に、
なにもできずおびえていただけの子供が原因となり、
大人が責任を取らされると云う展開になります。

すべての責任を無実の人間に押し付け、
平然となにもなかったことにしようとするのが大人なら、
それを受け止め、怒りも悲しみもせず去っていくのも大人。

そして、子供が大人になる為には、心や言葉ではなく、自らの意思で
行動ができるかだということにて、映画は最高に気分よく完結します。


いい映画です。





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普段は会社員をしています。映画のコラムみたいなもの、素人小説などを書いてみます。

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