手放し切らないこと
先日、しばらく連絡を取り合っていなかった友人からLINEのメッセージが届きました。
「SNS断食をしようと思うので、再開したときのためにLINEのID教えて下さい」
最初、このメッセージを乗っ取りなのではないかと疑い、しばらく悩み
「本人だったら私のフルネームと出身中学の名前を言ってみて」と返してみました。すると、中学校名は答えられたのですが名字は卒アルを見ないとわからない、と返ってきました。
疑いはまだ晴れませんでしたが、危険を感じつつもしばらくやり取りしてみたら、本人だと確信が持てるようになりました。
それほど親しかったわけでも、頻繁に会っていたわけでもなく、正直連絡が取れなくなっても困るような相手ではありませんでしたが、彼女は何となく自分と同じにおいがするタイプの子で、近頃どうしているのかも気になり、近々会う約束をしました。
なぜSNS断食をするに至ったのか聞いてみると、「元カレとその周辺の友達からの連絡を絶ちたいから」とのことでした。サバゲーとか、お風呂でアロマキャンドルを浮かべたりとかする子なので(関係ない?)、その子らしいなと思いながら、来月会えることを楽しみにしています。
何も持っていない状態になる、というのはとても覚悟がいることで、最初は不安と戦うことになります。
洋服は色違い・型違い・素材違いで持っていないとおしゃれじゃない。
朝食・昼食・夕食を決まった時間に食べなければならない(おやつも)。
記事を投稿しないと、いいねしないとフォロワーが減っちゃう。
それはもう強迫的に続けていることで、心地良さと心の底からの欲求からは、少しズレたものになっています。そして、持っていても、手に入れても負担となる可能性が高く、本来感じなくても良いはずの疲労を感じてしまいます。
でも、なかなか手放せないし止められない。ズルズルズルズル、目の前の幸せ中毒から抜け出せない…。
完全に抜け出すことは、人間である限り不可能だと思います。それをただ単に悪だとしたり、幸せになれないよー、なんて他人からおせっかいを焼かれるのは、なんだか腑に落ちません。
それが“人間くささ”であり、人が人に魅力を感じて興味を持つポイントであるからだと思います。
時々余分なものを削ぎ落としてみて、どうしても手放せない自分がいることも、許してあげる。そういう他人のことも許す。そんなゆとりを持っていたいものです。
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