大事なことはニコ動が教えてくれた

未だにといわれるくらい、ずっと離れられていないのがニコ動である。

ニコ動との出会いはもはや10年以上前、γ時代に登録しているようだ。あのころは、接続時間に制限があってな、というくらいの懐古厨ムーブはできる。私にとって世の中の面白いものに出会う場だった。そして、自分の生きる価値観の根底に根付くのが、ニコ動の文化だ。

ひとつに、いわゆる「アマチュア」な表現者の面白みをしったこと。いわゆるプロ、商業ルートのものでない、歌なり音楽なりMADなり、そんな表現がすこぶるおもしろかった。歌ひとつとっても、CDでは出ないような遊び・雑さ・勢い自体が「味わい」としてコンテンツとなる。自分の感性の中に、アマチュア的な自由な表現へのあこがれが生まれた。

そして、そんな「アマチュア」たちが商業の場に出るようになったこと。CDがレーベルから出たり、プロとしてニコ動的な活動が専業になっていったりした人が徐々に表れたときに、こういう風に生きることもできる時代になったのか、と感動を覚えた。同時に、やとわれ人じゃなくなること、自分の趣味的な活動で生きていけることに非常にあこがれを覚えた。

最後に、そんな人たちの場をなんやかんや維持し続けていること。特に、チャンネル制度は、今でこそ「サブスク」といえるけれど、一定の能力や魅力のある人がファンをつけて、月に一定額の価値を提供し続けられる関係を続けられれば生きていけるのか、ということに感動を覚えたものだった。それ以降、時折捕らぬ狸の皮算用で自分にどれだけの「ファン」をつければ生きていけるのかと考えるようになった。

なんだかんだ好きなんですよね、ああいうの。そしてこれからもなんやかんや見たり応援したりし続けていると思うのです。

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