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<正>なる家族ー名付けようもない記憶が名付けられたときー

<性>なる家族

信田さよ子さんの『<性>なる家族』(春秋社、2019年)を読んだ。改めて心をえぐられ、そして思い返さずにはいられないことがあった。忘れないように、書いておこうと思う。

本書は心理相談の現場で日々来談者と個別にカウンセリングの場で向きあう著者がさまざまなエピソードを基にまとめた1冊だ。著書を読み終え、私はひとりではなかったのだという安堵とともに、同時にこれほどまでに多くのひとが子ども時代に名付けようもない傷と記憶を引き受けなねけらばならなかったのかと、胸がしめつけられた。

本書の冒頭でも引用される橋本治氏のことばが、長年じぶんに説明できなず、納得させてやれないことへのひとつのヒントになった。

「セクハラという事例の不思議なところは、やる方にその自覚はなくて、やられる方だけが『セクハラ』だと感じるところである。やる側は、「男性優位=自分優位」が当たり前になってしまっているから、その対象となった相手が被害を訴えるということが想像出来ない。その行為を成り立たせる一方が、「自分の優位性」を当然の前提にしてしまっているから、「被害」を受けてしまった側は、そう簡単に「被害」から抜け出せないし、立ち上がることも出来にくい。(中略)する側に自覚のない行為は、される側だけに不条理を一方的に引き受けさせてしまう。セクハラが従来の性犯罪と一線を画すのはここのところで、問われるのは、行為の犯罪性や暴力性ではなくて、「当たり前」の中にも眠っている「バイアスのかかった歪な優位性」なのだ。(『父権制の崩壊 あるいは指導者はもうこない』朝日新書、2019年)

家族の秘めごと「"かわいがり"が過ぎた」

「娘が『かわいい』と語る父親」の章では、父親として娘に性虐待をした40代半ばの男性と著者との会話に基づくエピソードが著されている。著者は「多くの性虐待は誰にも言えない秘密の行為として名前の付けられない記憶として残っている」ことも多く、歳を、経験を重ねることでその意味を理解するようになると指摘する。「かわいくて仕方がなかった」と、かわいがること=愛情表現と称し、そうした行為に及ぶ。一方、された側は「自分たちはかわいがられていたのだ」と思わねばならず、そう思えない自分を必要以上に責め立てる日々が続く。

連載中の「ゆるやかな性」の1回目で、実の祖父から受けた性虐待について書いた。私の父方の祖父というひとは、いま思えば非常に男尊女卑的な人物だった。名だたる大手企業の幹部として、東南アジアはじめさまざな国にへ赴任し、表向きの顔は「家族思いの真面目な男性」だった。内向きには、妻であるわたしの祖母に対し、思い通りにならないことがある度に彼女を叱責する絶対的な主だった。その声は、当時二世帯住宅に暮らす祖父母の1階から2階に暮らすわたしの耳にも聞こえるほどだった。

家族の中の力の弱いもの(=妻である祖母や、孫のわたしたち)は自分の思い通りにしてもよいとばかりに。我が家は、いま思えばいかにも家父長的信念と権力関係によって構成されていた。だから、わたしたちは最も劣位に位置し、"弱き者"とされてきた。名付けようもない行為とその記憶を、長らく引き受けなければならないとは、その頃は思いもしなかった。それほどまでに、わたしは非力だった。

模範解答や正誤表のように、「正しい」「誤り」とされることの基準は、それぞれの小宇宙、家族の判断によるところが大きいのだと思う。「うちはうち、よそはよそ」では、どうしても自分を納得させることはできなかった。家の内で<正>とされてきたことは、一歩外に出て時間が経ったいま、答え合わせをしてみたら、<誤>と言われる行為なのだと知った。実の祖父による性暴力をなかったことに、ただただ「かわいがりが行き過ぎたもの」「子どもたちの勘違い」だと、大人にとって都合のいい解釈、言い訳として記憶されてきた我が家の歴史。秘めごと。タブー。それでも、彼らは、わたしたちの記憶までもを塗り替えることはできない。いままでも、これからも、この痛みを、傷を、わたしたちが携えて生きていくことに変わりはない。

傷を語るとき

20歳を過ぎ、このひとになら話せるかもしれないと、実の祖父からの性暴力を力を振り絞って打ち明けたとき。まず第一に同情。第二に、無防備で下世話な矢が放たれる。「…で、実際のところ、どこまでやったの?」。唖然としたわたしが「ご想像にお任せします」と精一杯の冗談を言ってみせたところで、届かない。二の矢三の矢を放ち、わたしの傷をさらに深くえぐった彼の矢は、彼自身にとってはわたしの傷の的めがけて意図して放たれたものではない。だけれど、その(悪意なく)(悪気はなく)というものほど、たちが悪いものもないと思うのだ。彼は「イジりが過ぎた」と言うかもしれない。でも、性暴力を受けた当人がこころを差し出し、精一杯のカミングアウトをしたとき、状況見聞的な説明責任までもを引き受けなければならないのだろうか。そうではない男性もいるのだと思うけど、こんな経験からわたしは優位性を意識しない、できない男性が苦手になった。

女子高、女子大に進学したわたしは、こうした話ができる女性たちにであった。第一にハグ。第二にカミングアウトへの感謝。第三に実祖父への怒りが返ってきた。単なる同情ではなく、「もし会ったら、ぶん殴ってやる」とまで言ってくれるひともいた。ただただ、そんな彼女たちの気持ちが、ことばが、ありがたかった。「実はわたしも…」と、同じような経験をした友人と泣き明かした夜もある。タイのカトゥーイ(一般的に、男性から女性へのトランスジェンダー)の友人たちもそのひとりだった。

<正>なる家族

わたしは長い間、家族ごっこをしてきた。優しくて、物分りがよくて、真面目な長女を立派に演じ上げた。今年29歳を迎えるわたしが家族について思うとき。自分がどんな家族を築いていくのだろうかと考えたとき。この経験と記憶を避けては通れずにいたとき。本書を勧めてくれたのが、あの夜泣きながら語り合った友人だった。家族は続くものだと思っていた。外面だけはいい家族になれたのだろう。かつては、家族の正しさを信じて疑わなかった。それだけしか信じようがなかった。でも、この家族は<誤>だったのではないかと、かつてのわたしは問いかける。「家族」になり損ねたのは、時間が経ち、告白した娘たちの声を聞いて聞かぬふりをし、面倒ごとをひたすらにさけ続けてきたひとたちらしい選択の結果だとも思える。

弱いわたしたちは、もう弱くないとばかりに声をあげたが、彼らのなかではまだ弱いままなのだろうか。家族とぶつかり合い、真正面から挑みつづけてきたわたしたちの虚しい独り相撲だったのだろうか。せめても、いまは、この記憶を、経験を、まずは書き留めておくことでしか当時の自分を救えない気がした。救いようもない自分だけど、家族だけど、いつか許せる日がくるのだろうか。自分はこうじゃない家族というものの可能性を探っていくことで、あの頃の欺瞞であふれた家族に、その選択は果たして<正>なのかと問いなおしたい。そう思えるほどには、歳と経験を重ねてきたのだと、思いたい。

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